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一皿一皿給仕される料理の数々は、確かに中華だった。
祝いの席だからいつもより豪華なんだそうだけれど、とろみのある中華スープに始まって、前菜、肉料理、魚料理、粥。デザートは杏仁豆腐に似たゼリー状の甘味物だった。
食事の共に勧められたのは、多分紹興酒だ。これも旨かった。
俺は体質的に酔っ払わない体質なんだけれど、それはどうやら鳳生家の血筋らしい。
叔父も平然とした顔をして、でもだいぶ酒量は進んでいる。
食事をすべて終えて、正妃、側室が子供を連れて部屋を出て行くと、俺と叔父とラオシェンだけがそこに残り、酒盛りが始まった。
それは、部屋を移動してさらに夜中まで。
ちなみに、移動したのはラオシェンの部屋だ。
俺の部屋も随分広いと思ったが、さすが王の部屋。執務室もかねているらしいそこは、俺の部屋の倍くらいあった。
王家の食事は残っても使用人には下げ与えられずに捨てられるんだと知った叔父は、だったら酒の肴にくれ、と前王に強請ったらしい。
それ以来、こうして全員が集まるような食事の席で出された料理の残り物は、叔父の酒の肴になることが義務付けられたそうだ。
飽食の時代に生まれている俺や叔父だけれど、だからと言って、食事の席に出されなかった残り物を棄てられてしまうのは見過ごせない。
それを育て、調理した人間の労力と、せっかくの大地の恵みが無駄になるなんて。
で、こうして残り物を肴に叔父が飲むのはいつものことだそうで、しばらくしたら、先ほど顔を見なかった、ラオシェンに良く似た男が三人、この部屋にやってきた。
たぶん、これらの残り物を目当てに。
それと、珍しい俺の顔もついでに拝んで行こうとは思ったのだろうが。
その三人とは、国衛軍王都親衛隊所属の副隊長であるラオシェンの叔父リャンチィ、大学府研究職勤務のラオシェンの弟トンラン、それに、同じく大学府学生のラオシェンの弟メイウェン。
いずれも、王族ではあるが、独立して城下に屋敷を構える臣下の一人に過ぎない。
そんな人間が、簡単に現王の自室に出入りできるのだから、この国が平和な証拠なんだろう。
リャンチィはともかく、トンランもメイウェンも叔父が育てたリエシェン王の息子たちだから、叔父には大変懐いていて俺にも日本語で話しかけてきた。
なんでも、ラオシェンの鳳王には、この世界に馴染んでもらいたい、という強い思いがあって、それで懸命に日本語を勉強したらしい。
叔父の、喧嘩して俺たちの世界に帰って来た事件は、彼らにとってトラウマになっているのだ。
「最初は、ラオシェンの鳳王とお話がしたかったっていう動機なんですけれど、今は日本語が好きで、母上と話すときはいつも日本語なんですよ。響きが良いですよね」
そんな風に説明したのは、大学府で言語学を学んでいるメイウェンだった。
ゆくゆくはたくさんの国の言葉を覚えて、国の外交官として活躍したいと考えているそうだ。
歳を聞いたら、俺より年下で驚いた。
この国では、十五歳で成人し、家を出る。
実家に暮すこともあるのだそうだが、それでも自ら稼ぎを得て自らの稼ぎで食っていくことになる。
実家では、成人した男児の養育費は一切出さないという文化なのだそうだ。
かわりに、大学府の学生には学業支援金として給料のようなものが出る。その分、試験は厳しい。
なかなか厳しい世界だと思う。
けれど、だからこそこんなに立派に自分の考えを述べられる人間が育つのだろう。
俺みたいな温室育ちには、逆立ちしたって真似できない。
「いや、しかし。ホウショウの血筋って、皆さんこんなに美しいんですか?」
……みなさん?
「うん、まぁ、神様の血筋だしねぇ。そうなんじゃない? 実際その血筋に生まれてると、これが普通なんだけどな。俺たちより、王家の血筋の人間のほうが美人だと思うけど。ねぇ? シン」
話を振られて、俺はこっくりと大きく頷いた。
最初にミントゥを見ているから、この国の人間の大半は栗色の髪で茶色の瞳をした人たちなのはわかるけれど、それに比べて王家の人間はみんな、紺から黒の髪に白人らしい彫りの深い顔立ち、漆黒とも見える目をして、実に凛々しく逞しい容姿をしているのだ。
俺たちみたいな貧弱な体つきで平凡な日本人顔から見れば、彼らのほうこそ美人揃いだった。
そうでしょうか、と彼らは首を傾げるから、叔父はお互い様でしょ、と笑っていた。
唯一、リャンチィだけは早口の日本語がわからないらしく、隣のトンランに通訳を受けていたが、それから、酒瓶片手に俺の隣にやってきて、ぐいっとそれを差し出した。
「ドゾ」
ちょっとだけなら、わかるらしい。
そう、その一言でわかった。
素直にお礼を言って、どう見ても茶碗な丸い容器を差し出す。
鳳凰の絵が描かれた陶器の茶碗に、なみなみと注がれて、俺も御返杯。そちらはかなり恐縮していたけれど。
向こうで俺の仕草を見ていた叔父は、けらけらと笑っていた。
「ダメだよ、シン。あんまり飲ませるとひっくり返るから」
そうなのか?
でも、ラオシェンも同じくらい呑んでいた、と思ってそちらを見やれば、もうとっくに酒は止めて、一人で熱いお茶をすすっていた。
ふむ、なるほど。
言われてみれば、確かに。
強い酒だし、飲みすぎたら大変だ。勧めるのは自重しなければ。
で、そこで自分が飲むのは自重しないわけ。
だって、俺、ザルだし。
「何言ってんの。シンはワクでしょ。引っかかるところ皆無」
けらっけらと楽しそうに笑っている叔父は、どうやら酔っているらしい。
楽しそうで、羨ましい。
三人の息子たちに構ってもらって御満悦な叔父を放っておいて、俺はといえば一人だけ日本語の不自由なリャンチィと片言の会話をしていた。
どうやら書き損じの紙をラオシェンは溜め込んでいるらしく、言葉のわからないところは筆記で代用だ。
何しろ、この国の言葉は、発音こそ方言程度に違うものの、本当に中国語らしくて、漢字を書き連ねると意味が大体通じるのだ。
ホント、助かる。
今までカタカナで聞いていた彼らの名前にも、ちゃんと漢字が当たるらしい。
ラオシェンは烙神、リエシェンは烈神と、王の名には神がつく。
確かにさっきから、二人ともシェンだなぁ、とは思っていたけれど、そういう意味だったとは。
ちなみに、教えてくれる本人はと聞けば、怜持と書くそうだ。
意味は?と聞いたら、恥ずかしそうに答えた。
「いとしむ、ココロ、持つ、意味」
「愛する心を持つ、か。良い名前だね」
「ユウ様、つけてくれた。名付け親」
え?
確か、ラオシェンの叔父だったはずだけれど。
叔父ってたしか、十八の時に失踪して、それが俺が生まれる二年前なんだから、今四十歳のはず。
ここに来たのは、二十二年前の計算だ。
一体何歳なんだ、この人。もしかして、ラオシェンより年下なのか?
「リャンチィって、何歳?」
女性ならともかく、男に歳を聞いても失礼には当たらないだろうと思う。
だから、素直に聞いてみた。確かに若いけれど、それでも、一応ラオシェンの叔父だし、それなりに歳なはず。
で、返ってきた答えは。
「にじゅ、歳」
「二十歳!?」
同い年かよ!
そもそも、ラオシェンの叔父ということは、父親はラオシェンの祖父ということになるが。
前王リエシェンとは兄弟に当たるはず。
つまり、ラオシェンの祖父は、叔父がこの世界に来たときはまだ生きていたということだ。
しかも、子作りできる程度に元気に。
え?
じゃあ、何で叔父はこっちに呼ばれたんだ?
王位が移動したからだよな、リエシェン王に。
前の王は何で譲ったんだろう。
そうやって問いかけたら、リャンチィは少しだけ辛そうに笑った。
「先王のフェンワン、すぐ、亡くなった。先王の王位、三年。フェンワン、いない、困る。新しい、フェンワン、必要」
「それで、王位がリエシェン王に移ったのか」
王一人に鳳王は一人だけ。
つまり、鳳王を失った王は、国を救うためには、鳳王を呼ぶことの出来る次の世代に王位を譲るしかなかったわけだ。
王様の意味って、国を統治する人間ではあるけれど、そもそも鳳王が得られているという大前提が必要なんだ。
自分が国を統治したいなら、鳳王を大事にするのは当たり前で。
叔父がこっちの世界からいなくなったときは、リエシェンは大変だったんだろうな。
俺が小学生だったんだから、ラオシェンだってあまり変わらない歳だし、次の鳳王は望めない。
ならば、自分が自分の失態によって失った鳳王を、呼び戻すしか方法は無かったはずなんだ。
「ユウ様、元気。国、安泰。良かった。でも、兄、先に逝った。ユウ様、兄、好き。悲しいね」
「そうだね」
頷いて、でも、反対はどうだったんだろう、ってちょっと思う。
叔父を繋ぎとめるためだけの関係だったのか、本当に叔父に惚れてくれていたのか。
そうやって苦労をして自分の鳳王を繋ぎとめたのは、きっと先王の鳳王を早くに失って、自分の代でも失うわけにはいかない、という義務からも来ていたのだろう。
そして、叔父はそこにつけこんだ。
なるほど、なりふり構ってないって猛反省、の理由はそんな事情だったのか。
本当に、リエシェンの義務感につけこんじゃったんだ。
もしかしたら、叔父が子供たちや俺の教育係になったのは、そのせいなのかもしれない。
先代を失い、自分も消えかけた、さらに次の代に連鎖が続かないように。罪滅ぼしの意味もこめて。
なんだか、複雑だなぁ、って。
思ったよ、さすがにお気楽な俺もね。
今、目の前で楽しそうに酔っ払って笑っている叔父からは、想像もつかないけれどね。
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