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インターネットバンキングを駆使して必要な資金を契約している日本国内のいくつかの銀行の口座に分散させて、一番贔屓にしている取引銀行の担当営業には明日早朝に現金を配達してくれるように頼み、友人の携帯には次週いっぱいの講義の代返とノートの入手を目的に電話をかける。
この事態では暢気に大学に通っていられる保証もないし、むしろ雄太の立場ならば家で大人しくしているべきだろう。
そうしてから、雄太は七瀬に連れられて横浜へ出かけた。
山下公園に程近い中国人の集落、横浜中華街。横浜市内でも昔から有名な観光スポットだ。
日が暮れると観光客も数が減り、飲食店以外は閑散としてしまう。
まして、観光客の夕飯時も終わった午後十時近くには閉店している飲食店も出始めて、何とも怪しい危険な空気が漂う。
七瀬と雄太が護衛を引き連れて大手飯店前に現れたのは、午後十時の数分前だった。
早めの時間に着いたにも関わらず、到着と同時に神龍会日本支部幹部である姜が出迎えてくれる。
組織規模こそ雲泥の差だが双方の立場は対等で、組長の出迎えが下っ端では面子に関わるのだそうだ。
中国人は日本のヤクザ以上に面子に拘る。
七瀬の姿を確認して、姜は深く頭を下げた。
「ようこそいらっしゃいました。黄がお待ち申し上げております。こちら様もご一緒で?」
「えぇ。黄さんが会いたいとおっしゃっていたうちの金庫番です」
「それはそれは。至急お席をご用意いたしましょう」
この姜は、日本語が堪能だというところに加えて日本人並みに細かいところまで目端が行き届くところから最近大出世した、この中華街で生まれ育った中国人の青年だ。
片親が日本人だったりすると出世の妨げになっただろうが、中国人の両親を持ち日本人の友人を得て育ったおかげで、中国系組織でも存在価値を見出されることになったわけだ。
護衛は別室で待機となるため、七瀬と雄太だけがこの大飯店でも最も豪華な個室に案内される。
部屋の前には多数の中国系ガードマンが並び、室内にいたのは老紳士が一人とすらりと背の高い四十代後半ほどの男が一人。
姜が頭を下げて部屋を出ると、室内には四人だけが残された。
通訳として室内に残るはずの人なので、雄太の分の根回しに行ったのだろう。食卓は元々晃歳が来る予定があったので人数分揃っているのだ。
「良く来た。この子は噂に聞いた養い子かな?」
「えぇ。晃歳が事情のため来られないので代わりに連れてきましたよ」
老紳士はこの大飯店の主人で東といい、もう一人は神龍会日本支部長の黄だ。紹介されなくとも判断できるため確認もせず、雄太は進み出て頭を下げた。
「杉山雄太です。突然お邪魔して申し訳ありません」
深く頭を下げてから二人を見返す。おっとりした外見と弱そうな体格から侮られやすい雄太だが、こうしてしっかり相手を見返せば随分と意思の強そうな印象を与えるのだ。
初対面の二人も雄太と目が合った途端に満足そうに笑った。
「七瀬と似たタイプかな。おっとりしているようでしっかりした目だ」
「(なかなか見所のある強い目をしている。是非手元で育ててみたいところだが)」
「うちの子、スカウトしないでくださいね」
中国語で不穏な感想を述べるのに、七瀬が日本語で答える。
双方共に相手の言葉を理解はできても文章を自ら構成するまでに至っていないのだ。だから、こういう中途半端な会話になる。
この状態で困っていないものだから、黄も七瀬もこれ以上言葉を学ぶ気が起きないわけだ。
「それで、七瀬。今度の件は大倉には影響はないのかね? 双勇会とは別組織のようだが」
心配そうに尋ねてくれる東翁に、七瀬は少し困った表情を見せた。
直接の影響はないものの、手を煩わされているのは事実で、全く影響がないともいえないのだ。
「ともかく、敵が見えてこないのが厄介ですね。それぞれが疑心暗鬼になってしまっていて、解決の糸口すら見つからない。
関東三大組織配下には該当する組がないんですが、東北や西の方までは調べ切れていないですし、新興の可能性もある。外国勢や素人まで視野に入れなきゃならないですし、正直対象が広すぎます」
「何故関東ヤクザはないと断言できる? 嘘をついていればわかるまい」
「基本的には上位組織への上告を信じます。
といっても嘘をつかれればそれまでですから、鵜呑みにはしないんですよ。
関東には三つの広域指定暴力団がありますが、それぞれに組織内で自浄作用が上手く働くような仕組みが組み込まれています。
暴対法の施行以来、我々も慎重なんですよ。下がヘマをすると上まで芋づる式に引っ張られますからね。とばっちりは御免なんです」
その自浄作用の役目を果たしているのが、表向きは無役の下位組織として歯車の一つに甘んじている成長株たちだった。
役割上、どの組織がそうなのかは表立って知られていないが、無役ながら上位組織に重要視されているところは大体そうだと考えて間違いないと思われているし、実際その通りである。
もちろん、大倉組もその一つだった。
関東双勇会に属するほとんどの組と横のつながりを持って常に情報を集めており、面倒ごとになりそうな噂話を逃さず拾い上げて芽のうちに穏便に摘み取っていく。
双勇会総長には報告を上げるが他に漏らすことも一切ないため、常に影の功労者だ。
組長である七瀬としては、自分の商売を守るためにしていることであるから吹聴する気も起きないのだ。
その程度の手柄をことさら取り上げなくても、本来の稼業から出る上納金の額はこの不景気にも関わらずコンスタントに増やし続けており、それによる評価だけで事が足りる。
「大倉は大丈夫だろうに。ヤクザのくせに違法行為厳禁なのだろう? 引っ張るネタがなくて警察も困るだろうよ」
「うちだってスレスレのところはありますよ。真面目に働けば金が入るような平和な業界ではないですからね。
でも、この場合うちが困るのは双勇会が弱体化することです。
上がしっかり締めているから今戦争の火種もなく商売に専念できるんです。
上昇志向の強い者が多い業界ですからね。みんな総長の地位を虎視眈々と狙っている。気は抜けません」
「(七瀬も狙っている一人だろう?)」
「残念ながら。今の総長に引き摺り下ろすべき欠点は今のところないですし、俺自身トップに立つよりは一歩後ろに引いて暗躍している方が性に合ってます」
話の途中で室内にそっと入ってきた姜は、七瀬と黄の間に通訳不要と判断し、一人だけ中国語の分からない雄太に黄の言葉を訳してくれた。
相手が一人だけなので、すぐ隣に座って雄太にのみ聞こえるくらいの抑えられた声量だ。この気の使い方が上役に重用される大きな理由なのだろう。
「七瀬は控えめなのか狡賢いのか判断が難しい性格じゃの、相変わらず」
「(だからこそ頼もしいというものですよ、大老)」
東翁の呆れたような表情と黄の満足げな表情は、どちらも七瀬という年若い友人を信頼しているからこそ見せられるものだ。
七瀬もまたイタズラっぽくくすりと笑って肩をすくめて見せた。
「さて、姜も来たことだし、食事にしようかの。二人とも腹が減っているのだろう?」
このメンバーで会食となる時はほぼ常にこの横浜中華街で最も格式の高い大飯店の貴賓室が会場となるのだが、それはこの店のオーナーが東翁であり七瀬と黄の仲介人でもあるが故のことだ。
したがって、食事の準備を指示するのも東翁が仕切っている。七瀬と雄太は素直に頷くだけだ。
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