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パソコンデスクが二台とプリンタ複合機と、他にもいろいろとOA機器が揃っている共有ルームは、宏紀の仕事場でもある。
夕食後、宏紀はその仕事用パソコンの前に座って昼間見ていたサイトを再び眺めていた。
普段家族三人が揃って出かけていると宏紀はこの部屋に入り浸っている。
ダブル用のシーツ二枚に四人分の衣料を全て天日干ししても余裕のあるベランダは家事を引き受ける宏紀の気に入りの場所だし、毎日使う場所である。
そのすぐ近くに普段の居場所を作るのはごく自然な行動だ。
共有ルームに入ってなかなか出て来ない宏紀を心配して、忠等が様子を見にやってきた。
「宏紀。仕事?」
「うぅん。お昼のサイト見てた」
おいでと手招きされて忠等も遠慮をやめて部屋に入ってきた。仕事でないなら遠慮は不要だ。
もう一台のパソコンデスクの椅子に座って、忠等も宏紀が見ていた画面に視線をやった。
ブラウザをいくつも広げて、サイト内のページをあちこち開いている。
うち一つはチャットのようで、定期的に更新される画面ではかなりの勢いで会話が進んでいた。
慣れていないと会話のスピードについていけないほどだ。
「今日の結果が更新されてたんだけど。三人逮捕されてるのに成功としか書かれてない」
「警察が逮捕の情報を伏せたのは共犯者に地下に潜られるのを防ぐためだってわかるけど、こいつらの側には伏せる理由もないだろうに」
「捕まったのがわかってない可能性もあるけど。三人捕まえたヤクザさんたち、逃げていく姿を見つけられたのはその三人だけだったって」
「それは、深山のお義父さんから?」
「そう。双勇会と黒狼会の直通ルートが、丁度今日被害にあったところらしくてね。お父さんが直接話を電話で聞いたんだって」
妙に詳しい情報もそれならば納得だ。ふぅんと頷いて、忠等はまた画面に目をやった。
「次の標的、警察も警戒してるんだよな? こいつらも暢気なもんだ。明日は牢の中かも知れないってのに」
「この中のどれだけが実行犯なのか、って話でもあるよ。無責任に言いたい放題な人たちの中には、言うだけタダみたいな気楽な人もいっぱいいるだろうし」
「これ、脅迫罪とか教唆に当たるんじゃないのか?」
「証拠が揃ったら全員逮捕だろうね」
やれやれ無知とは恐ろしい、とぼやく忠等は完全な他人事だ。一方で、宏紀は少し悲しげな表情を見せている。
「次が襲われる前に止められないのかな?」
「そりゃその方が良いだろうけど。何で?」
「明日の標的。多分林野組なんだよ」
「ん? 狛江だろう?」
「うん。届出上の林野組本部がね、狛江の駅前。こっちのビルはフロントと関連企業の本社社屋になってるんだ。幹部は大体こっちにいるんだけどね、表向きのメインはあっち」
宏紀が心配の元になったカラクリを説明して見せて、それから何故か自分で首を傾げた。ぽんと一つ、手を打つ。
「そっか。だから引っかかってたんだ」
「……なんだよ、いきなり」
「や、昨日ね、林野組にお邪魔に行ったじゃない。あそこで会った人。何かすごい気になってたんだよ。でも理由が分からなくて困ってたんだ」
昨日といえば、双勇会と銅膳会の連絡のために銅膳会会長に挨拶に行った時のことだろう。
それも、仲介役になってくれた林野組のビルがその現場らしい。
一体どんな人間に会ったのかと忠等も続きを気にする。
聞き手の興味を引く話の運び方はさすが本職の小説家というべきか。
忠等に話をするまでもないと今までは思われていたようだから本筋には関係なかったのだろうが。
「どんな奴?」
「多分刑事さんなんだ。脇に銃入れてたから。その人がね、駅前の再開発に関わっている土建屋の営業として林野組のフロントになってる不動産屋の事務所に来てたんだよ」
「……その時点でかなり怪しげだが、それからどうした?」
「その人とね、事務所のエントランスで鉢合わせたんだけど。『階数を間違えたんじゃないか』って言われたんだ。変でしょ?」
でしょ、と言われても、忠等にはそれのどこが変だと思えるのかわからない。
したがって、首を傾げて返すことしかできなかった。
「悪い。わからない。どこらへんが変だ?」
「だって、そこ、組事務所だよ? 一般企業が同じビルに入ってるわけないじゃない」
「……そんなもんなのか?」
正直なところ、ヤクザの事情など忠等にはわからない。
中学二年生で家が引越しをしてから不良行為から足を洗ってしまっていたし、ヤクザの知り合いも個人的にはいないのだから当然だろう。
宏紀に話を聞いている範囲でしかわからないのだ。
一方で、中学生時代から林野組をはじめとするヤクザに可愛がられていた宏紀はヤクザ者のモノの考え方を理解していて、彼らと接している時はその思考回路にそって行動していたから、一般市民と常識の在り処が違うという認識すら欠落しがちだった。
「そう、そこなんだ。
俺はさ、林野さんの所にいる時は彼らの感覚に近いから、暴力団事務所のあるビルは一般企業がテナントに入るわけがないって一般常識だと思ってたんだけど。
あそこは形式上はテナントビルでしかないし、表向きはあそこに組事務所もないことになってるんだから、他の階に普通の会社が入ってると思ってもおかしくなかったんだって、今気が付いた」
何しろ、たった今宏紀が自分で言ったばかりだが、林野組の本部事務所は狛江の駅傍にあり、昨日宏紀が訪ねて行ったビルにはフロント会社と関連企業が入っているのが表向きなのだ。
一般市民であれば、そこに入居している会社がすべて暴力団関係であるとはわからないだろう。
ビル入り口も近代的なエントランスの造りになっていて、常に警備員が一人立ってはいるが一般人立ち入り禁止にはなっていない。
「なるほどそれはわかったが。それで一体何に引っかかってたんだ? 相手が一般人感覚だったってだけだろう?」
「そうなんだけどね。だとすると、ヤクザの組事務所に取引先営業マンと身分を偽って訪ねてくる刑事さんって、何が目的なんだってことなんだよ」
目的って、と忠等はさらに困惑している。
刑事が別の職業を装ってヤクザの組事務所に現れたのなら、それは密偵か潜入捜査以外にないだろう。
具体的に何の捜査であるかはわからないが、何かの捜査でなければ上から許可が下りないし銃の携行も許されないはずだ。
そのくらいのことが分からない宏紀ではないはずだが。
ヤクザの知り合いに気に入られていながら元警官と同居しているのだから。
「感覚が一般市民並みなら、マル暴ではないはずでしょう?
林野組に凶悪犯罪なんてあまりにも突拍子がなさ過ぎるし。
詐欺って疑惑ならわからなくもないけど、建設会社に潜入した時点で今の仕事に違法性がないことくらいすぐわかる。
脱税と麻薬はどちらも警察とは別の管轄が捜査してるはずだしね」
「……マル暴でないなら、潜入捜査も意味不明だな。
元刑事が組長補佐やってるような組で、そんな分かりやすい犯罪はしないだろうし」
「ね?」
刑事の所属部署が組織犯罪対策ではないと説明されて、宏紀と同じ疑問に忠等も辿り着いた。
「それこそ、年長組の出番だろ」
「かな?」
「だよ。ちょっと行って話してくる」
「じゃあ、俺も」
恋人に断言されて、宏紀はようやく腰を上げ。パソコンは起動したそのままで二人は揃って部屋を出た。
パソコンのモニタ上では今もしきりに自動再読み込みを繰り返し、チャット上では暇な参加者たちが好き勝手に犯罪の相談を繰り広げていた。
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