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 大倉家の風呂場は銭湯並みに広い。
 本家敷地内に住み込みで働く組員も多く、宿直もあるため、夜でも人数は大して減らないのだ。
 血気盛んな組員に柔肌を見せるわけにいかない、とそれぞれの恋人が主張したおかげで七瀬と雄太は専用の浴室を確保しているが、他のメンバーは全員この風呂を使っていた。
 その全員が入るためには、広い風呂は欠かせない。

 現在、風呂場の前には使用禁止の札が掛けられており、若頭補佐である仁が直々に門番よろしく仁王立ちしている。
 中国から来た客人と大倉組の愛し子が使っているせいだ。

 自室に寄ったせいで遅くなった雄太が脱衣室で服を脱いで浴室に入ると、二人はそれぞれにこちらに背を向けて身体を洗っているところだった。

 その二人の背を見て、雄太は立ち止まってしまった。

「ん? ユタ? 来たのか?」

 ガラス戸の開いた音はしたが続く足音がなく、周亀が振り返る。続いて雪彦も振り返った。

「どうかした?」

 どうかしたかと問われれば、どうもしていないのだが。
 それが友人の背中だと思うから動揺しただけで、立場を考えれば特別なことでもない。

「シュウの龍にビックリしてた。ユキのも綺麗に完成してるし」

 言われて、二人はあぁこれと納得して自分の背を見るように視線を向けた。

 二人の背には、一面を覆うような刺青が入っていた。
 周亀の背には立派な昇り龍が、雪彦の背には薔薇に似た多弁花を背景にした四神が。

 そもそも、高校卒業を目前にしていながら証書を受け取るまもなく中国へ嫁入りしてしまったのが、この刺青に関係している事件だった。
 中居組が長男を大倉組に残して離散したのも同じこの事件が原因だ。

 雪彦の背に刺青を入れたのは、実の父親である中居組組長だった。
 幼少期こそ手の付けられない腕白坊主であった次男だが、成長するにつれて整った顔立ちとニキビ痕の無い肌質から見るものによっては垂涎モノの魅力的な青年になっていた。
 その雪彦を見初めたのが中居組組長が出世の足がかりにと考えていた大手貸金業の社長だ。
 大倉組組長が姫として多々有益な人脈を作り上げていた過去を知っている父親は、同じ役目を次男に期待した。
 嫌々ながらも父親には逆らえず身体を差し出した雪彦だが、噂が噂を呼び要求はエスカレートするばかり。
 ついには嗜虐趣味のある男に捕まり、父親に命じさせて未成年の雪彦に自分の見ている前で墨を入れるように要求されたのだ。
 この時には父親の方もあまりの順調な成功ぶりに箍が外れており、それは躊躇されることなく実行に移された。
 本来であれば何日もかけて少しずつ入れていく刺青を一気に入れさせようというのだから無茶な話で。

 その時助け出したのは違和感を訴える恋人に従って中居組長の動向を探っていた仁だった。
 仁が舎弟を大勢引き連れて現場に踏み込んだ時、背中を血で真っ赤に染め、壮絶な痛みに気を失うことも出来ず、泣くだけ泣き喚いて脱水症状を起こしかけていた雪彦がそこにはいた。
 よくぞこの状況で気が狂わなかったものだと、雪彦自身が後に振り返って自分で感心するくらいだ。

 助け出されてから雪彦は背中の傷が瘡蓋になってきちんと治るまでこの大倉組本家の離れで雄太と共に暮らした。
 それから、雄太に「迎えに来てやって」と呼ばれた、高校一年生の頃に祖父が病に倒れたことで中国に帰国していた周亀がやって来て、積年の想いを訴え口説き落として中国へ攫っていってしまったのだ。

 あれから二年。
 初めての帰国が雄太の危機というのだから、彼らの縁は本当に深い。

 その事件の時に雪彦の背中の手当てをしていたのは雄太だったから、当然その時の絵柄も知っている。
 四神は輪郭は出来ていたものの仕上がっていた一匹は肌の色をそのまま使うことでほとんど傷を入れなかった白虎のみで他はまだ描きかけだった。
 それが今は美しく完成されていて、だから雄太も驚いたのだ。

「うん。なんか、途中ってみっともないかなって思って。どうせ消せないなら綺麗にしてやって欲しかったんだよね」

「俺の龍はユキのついでだ。龍頭に相応しいだろ?」

「うん。カッコイイ」

 だろ、と言われて素直に認めた。
 余程腕の良い絵師の作なのだろう。鱗の細部にまで神経の行き届いた緻密なその図画は見る者を圧倒する雄雄しさだ。

 実際、雪彦がそれを完成させようと思い切るには想像を絶する苦悩があったのだろうと察せられる。
 だが、それを越えてここまで生きてきた雪彦には親友に恋人をベタ誉めされて拗ねてみせるだけの余裕がある。
 だからこそ、ともいうべきか。

「ちょっとユタぁ。俺のは誉めてくれないの?」

「え、いや、うん。なんていうか、妖艶?」

「だろ、だろ? もうむしゃぶりつきたくなるくらい色っぽい。特にこの蕾」

 わが意を得たりとばかりに子供のようにはしゃいで周亀がこのと指差すのは、四神を覆い尽くすように描かれた花の一部。
 あまりに周亀が弄るからすでに性感帯に開発されていて、思わず身を捩る。

「ちょっ! もう。つっつくなっ!」

 身体を洗っている途中だったから、身を捩って暴れて泡を恋人に投げつける。周亀はそんな雪彦の反応に上機嫌で笑うだけだった。

 雄太の体も今は傷だらけだ。
 ほとんどが瘡蓋になっており本人にはもう治ったと思われているが、見る側にはどうしても痛々しく映る。
 おかげで、背中は雪彦に手で洗われて、それに嫉妬した周亀に頭も洗われてしまった。
 そうして三人揃って浴槽に移動する。

 幼い子供なら十分泳げる広い浴槽に、三人は雄太を挟んで寄り添って入った。
 そうして落ち着けば、他者の目の無い三人の会話は自然と恋愛話に流れていく。

「実際のところ、ユタがこんなにしっかり気を持ち直してることには驚いたんだ。
 好きでもない相手、しかも複数によってたかって嬲られて、そのショックは物凄いって知ってるから。まして、恋人がいるならなおさらだろ」

 それは、身体を売らされた過去のある雪彦ならではの感想だ。その意見に周亀も頷いている。

「戸山さんの献身的な看護のおかげだろうな。愛されてるなぁ、ユタ」

「そうなのかなぁ……」

 一人自信無さそうに答える雄太に、周亀と雪彦は顔を見合わせる。

「どうして? あんなに、真綿で包み込むくらい大事にされてて、何か不安?」

 組長に愛されている養い子とはいえ、若頭補佐の仕事を休んで傍にいるばかりか常に手を繋いでいてくれるくらいの尽くしぶりだ。
 疑う余地などなかろうに。

「だって、あれからずっと嫌そうな顔してる。僕が見てるのに気が付くと笑ってくれるけど、本当は他の人に抱かれた身体なんか嫌なんじゃないかな」

「あの人が?
 ……それはありえないだろ。あの人のとんでもない過去は俺でも知ってる。自分の事を棚に上げて溺愛してた恋人をいきなり突き放すような人じゃないよ」

 とんでもない?とそれを知らないらしい周亀が首を傾げて、雄太はその言葉にはっと気付いて顔を上げた。にっこり笑って雪彦が雄太の頭を軽く小突く。

「あの人は、ユタを守れなかった自分を責めてるだけだろ。何人もの人間に犯される辛さはあの人自身が身をもって知ってることだ。ユタをそんな目に合わせて平然としていられるとは俺には思えないよ。あの人の情の深さはよく知ってる」

「……そう?」

「それに、傷だらけのユタを可愛がりたいのに手が出せなくて悶々としてたりするんじゃないか?」

 雪彦は自分の事件の時に慰めるつもりで話されたこの大倉組幹部の過去を聞いていたからこそ言える台詞を口にし、周亀は同じように傷を負った恋人を前にする辛さを経験しているからこその同情を口にした。
 心に傷を負っているからこそ抱きしめて慰めて愛していると言い聞かせてやりたいのに、身体にも傷を負っているから手が出せない。
 その気持ちは、自分にも覚えがあるからよくわかる。
 自分の場合は怪我も大分良くなってから呼んで貰えたからそう長い間ではなかったが、雄太の場合その傷の手当をしているのも仁なのだ。下手に手を出せなくて当然だ。

「あの人に溺愛されて自信も付いてきたかと思ってたけど。引っ込み思案とマイナス思考は相変わらずなんだな」

「仕方ないよ。三つ子の魂っていうじゃない」

「あぁ、確かに。日本のことわざは上手いこと言うよな」

「え。あれって日本固有? 日本のことわざって大体中国故事が元じゃない?」

 今でこそ中国で生活して中国語を話している二人だが、日本で育って日本の初等教育で学んでいる。
 中国故事の知識量は中学で漢文を学んでいる日本人と全く同じだ。

 ちなみに、ここに出た「三つ子の魂百まで」ということわざだが、幼い頃に覚えた性格や習慣は死ぬまで抜けないものだという意味で、全世界に同じような意味のことわざがある。
 辞書を引いても出典不明となるところから日本固有ではないかと思われるが、正しくはやはり不明だ。





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