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『今日午後三時頃、東京都足立区内のテナントビルにおいて銃撃事件があり、周囲は一時騒然となりました。このテナントビルには暴力団三郷会事務所が入居しており、警察は暴力団同士の抗争事件と見て調べを進めています。周辺では今も立ち入り禁止の状態が続いている模様です。それでは、現場の市川記者に……』

 夕方のニュースをつけっぱなしで大学の授業で課されたレポートを記述していた雄太は、そのニュースに驚いて顔を上げた。
 社会情勢が株価に少なからぬ影響を与えるもので時事情報を得るために流し聞きしている番組で、思わぬ情報が耳に飛び込んだ形だ。

 そもそも住んでいる場所も親代わりになってくれている保護者もヤクザの関係にあったために暴力団事件には敏感な方だが、今関東にいきなり銃撃戦が始まるような火種はなかったはずなのだ。

 テレビの画面には未だに騒然とした様子の現場が映っている。
 画面左にマイクを持って興奮した様子のレポーター、画面奥は警察車両と黄色いテープや青いビニールシートに囲まれたごく普通のテナントビルが見える。

 今アナウンサーの口から出た三郷会は、雄太がお世話になっている大倉組が所属している関東双勇会とは別の広域指定に所属する暴力団で、シマも離れているため接点はない。
 とはいえ、どこかの暴力団が騒ぎを起こせば全体的に取締りを強化するのがマル暴の常だ。動きづらくなるのには違いない。

 現在大倉組の中でも大きな資金源になっている雄太も、動向を厳しくチェックされることになるだろう重要人物の一人だ。
 せっかくの大きな買い物のチャンスも、厳しく監視している中では手を出しにくい。
 直接的な影響とは言わないにせよ、思わずため息も漏れるというものだ。

 このニュースのおかげでレポートに集中していた気が散漫になってしまい、雄太は握っていたボールペンを放り出して立ち上がった。
 テレビを消して部屋を出れば、頭上を覆う見事な夕焼けが目に飛び込んでくる。台所の方向からは良い匂いが漂っていて、もうすぐ夕飯時だと知れた。

 コンコンとすのこが音を立てる。
 来客があれば音が知らせてくれるし、雄太が外へ出たことも周囲に知らせてくれる。この家で育てられるようになってからの雄太の気に入りだ。

 すのこの音を聞きつけてダイニングの戸を開けて顔を出したのは、この屋敷の厨房で働いている準構成員の増田だった。
 板前を目指したものの、喧嘩っ早いところが災いして一つ所に長く勤められず街を彷徨っていたところを拾われた。
 先々代の時代から仕えている大井じいの下で修行中の二十四歳だ。

「坊ちゃん。部屋から出たら顔を出すようにと副長からの伝言ッス」

「そうですか。ありがとうございます」

 ようやく二十歳になった雄太には、この屋敷の人間はことごとく年上だ。
 元々の礼儀正しさも手伝って普段から敬語で話す雄太だから、増田も違和感など感じることもなく台所へ戻っていく。

 部屋から出たら、と注釈がついたということは急ぎではないのだろうが、それにしても呼ばれているのには違いない。
 雄太は普段養い親が仕事をしている床の間のある奥の部屋へ向かった。

 襖の前に膝を着いて床をコツコツコツと叩く。
 純和風のこの屋敷内で来訪時に床をノックする人間は雄太だけであるらしく、室内から応える声が返ってきた。

『お入り、雄太』

 それは、呼んでいるといわれた副長ではなく、この一家の長である穏やかなしっとりした声だった。
 大倉七瀬という。
 このヤクザの一家を地元の任侠一家から経済ヤクザに押し上げたやり手だ。

 室内にいたのは七瀬一人だった。大きな座卓に資料をいっぱいに広げていかにも仕事中といった様子だ。

「お呼びとうかがいました」

「うん。まぁ、座って」

 資料をチェックする手を休めて七瀬が顔を上げる。相変わらず年齢不詳の美貌で、しっとりと微笑まれると性別まで不詳だ。

「雄太にお願いが二つあるんだ」

 雄太が正面に腰を下すのを待って、七瀬はそう切り出した。
 高校生までは一般人であるからと仕事には一切関わらせなかったのだが、それが一緒に暮らしているのに仲間はずれでもどかしいというのと、高校生の頃から少しずつ学んでいた株取引を組の資金源にしたいというのとで雄太から七瀬を説得し、今では構成員の一人に数えられている。
 すでに金庫番として組の中枢を担っているからこそ、今では雄太にお願い事というのも珍しくはなかった。

 そうはいってもまだ大学生の雄太は届出上この屋敷に同居している一般人の扱いなのだが。

「二つ、ですか?」

「うん。一つは雄太の仕事。いつでも動かせるように資金を手元に用意しておいて欲しい」

「三もあれば足りますか?」

「そうだねぇ。手元ではなくても十は動かせるように、って可能?」

「じゃあ、海外口座から拾い上げておきますね。今日のうちに用意します」

 数字しか口にしない二人だが、この場合の単位は億である。
 屋敷内の金庫には常に一億用意されているからこそ、単位の確認が要らない。一桁の数字でやり取りするからわかりやすい、という面もある。

 一つは仕事ならもう一つはプライベートだろうとまで判断して、雄太は続きを促す。

「もう一つも半分は仕事。今夜黄さんと会食が予定されているんだけど、晃歳が緊急事態で双勇会本部に行くことになっちゃってね。一緒に行ってくれない?」

「僕が、ですか? かまいませんが、ボディガードにはなれませんよ?」

「うん。松兼と飯田についてきてもらうから大丈夫。
 最近うちの金庫番に会ってみたいって言われてたから、そのうち連れて行こうとは思ってたんだ。
 可愛い養い子を自慢してたら興味もってくれたみたい。親戚のおじちゃんくらいな気軽な気持ちで行って良いよ」

「わかりました。お供します」

 華僑マフィアの支部長を「親戚のおじちゃん」呼ばわりできる七瀬に舌を巻きながら、雄太は見た目上はあっさりと頷いた。
 実はこの後恋人とデートの約束があるのだが、七瀬と同行する予定だった副長が緊急事態では恋人の手も空かないだろうと判断ができた。
 組の仕事が理由でのキャンセルでごねる気は雄太にはさらさらない。むしろ、仕事しろと促すだろう。

 二つのお願いを了承されたところで、七瀬は座卓に組んだ手を乗せて雄太を見つめた。

「実は、今ちょっと厄介な事件が起きててね」

「三郷会ですか?」

「うん。あれ? どこで聞いたの?」

「テレビで。夕方のニュースでトップニュースでしたよ。都内で銃撃事件ですからね」

 その説明には納得の表情を見せた七瀬が、それからため息をつく。

 七瀬が話してくれたのは、このヤクザ社会を浮き足立たせた件の銃撃事件と周囲の状況についてだった。





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