16
周亀の電話が先方と繋がったのとほぼ同時に、A4サイズのノートパソコンを抱えて仁が戻ってきた。
普段雄太の学習机に置きっぱなしで移動しないので、配線を外すのに少し時間がかかっていたようだ。
雄太の前にパソコンを置いて、ついでに持ってきた延長ケーブルにコンセントを差し込むと、待ってましたとばかりに雄太に抱きつかれた。
親友の手に不安はないものの、やはり恋人でないと落ち着かないようだ。
一方で、周亀が中国語で話しているのを、キョトンとした表情で見つめてもいて、そんな雄太の反応に仁と雪彦は顔を見合わせた。
周亀の母国語が中国語なことはもちろん雄太も知っているはずで、その言葉を耳にするのも初めてではないはずなのだが。
「(こちらの連絡先は後ほど知らせる。頼むぞ)」
雄太と直接やり取りするよう指示を出して電話を切り、周亀も首を傾げた。雄太に不思議そうな表情で見つめられていることに、電話をしながらも気付いていたのだ。
「ユタ? どうした?」
「……だよねぇ?」
一人で納得して何に同意を求めたのか雄太もコテンと首を傾げた。
それから、おもむろに言葉を発した。
中国語を知らない雄太の口から出た中国語に、周亀と雪彦がそれぞれ唖然とする。
「(龍頭の贔屓といえど、この程度の脆弱なガキ一人。他愛もない。いい気味だ)」
まるでレコーダーの再生でもしているような脳裏に残る記憶を探っているのが見て取れる思案顔の雄太に、それを彼はどこかで聞いて覚えていたのだろうと知れる。
耳にしたそのままを再生したのだろう。
言い終えて、雄太は周亀と雪彦をそれぞれ見比べた。先ほど一人で納得していたのは、それが中国語であると再確認していたようだが。
「わかる?」
「……それを、どこで聞いた?」
「乱暴されてる時。誰かがそう言っ……」
答えきる前にすぐ近くにいた雪彦に抱きしめられ、言葉を飲み込んだ。
雪彦は今にも泣き出しそうな表情で、周亀は苦虫を何十匹も噛み潰したような苦々しい表情をしている。
中国語がさっぱり分からない雄太も仁も、二人の表情の理由を察することが出来ずに顔を見合わせるばかりだ。
「ユタ、戸山さん。済まない。俺のとばっちりのようだ。七瀬さんにも改めて謝罪しなければ。
申し訳ないが、七瀬さんが戻られるまで待たせていただけるか?」
「……それは構わないが……とばっちり?」
何がどういう経緯でその結論が出たのか分からず、仁が頷きながら首を傾げるという器用なことをしてみせる。
答えたのは雪彦だ。
「神龍会龍頭の友人と知っていてユタを攫って乱暴したヤツが、その中国語の男だ。『いい気味だ』って意味だよ」
「え? シュウの?」
あまりに突拍子もなく、被害者であり今でも心の傷に苦しんでいるはずの雄太自身がキョトンと目を丸くして二人の親友を見比べた。
「だって、僕に乱暴したって、シュウを怒らせるだけでダメージにはならないよ?」
「……十分ダメージになってるぞ?」
「そう? それだけヤル気で目をギラギラさせといて?」
周亀のせいで自分が傷つけられたとわかっても気にした様子もなく、クスリと雄太は小悪魔的な笑みを浮かべて友人をからかってみせる。
自覚はあるのか、周亀も苦笑と共に肩をすくめるだけだ。
新事実に雄太の心が動かされなかったことにほっとした仁は、雄太とじゃれあう周亀に改めて向き合う。
「しかし、それが本当なら七瀬の証言と食い違うぞ」
「七瀬さんの?」
まだ七瀬が犯人たちの話を聞いていたという内容は周亀も雪彦も聞いていなかったのだ。
仁からその話を聞かされて、顔を見合わせる。
「……一般人か。中国マフィアとの接点なんか、ヤクザ以上に無さそうな相手だね」
「根が深そうだな。……いや、案外あっさりしているのかも知れん」
「あっさり?」
「あぁ。うちの人間にしろ敵対勢力にしろ、俺にダメージを与えるためなら二人とも生きて解放されたことが不思議だ。
最初の一人が殺されていることを考えれば、連中に殺人に対する禁忌観はないはずだ。それにも関わらず無防備にも犯人に繋がる会話を聞かれておいて開放している。
何故だと思う?」
「え〜? 知られても構わなかった?」
「……むしろ、自分たちの行動だと知らしめるのが目的、か」
周亀が促した正解に辿り着いたのは仁だった。
そう、と頷く周亀を確認して、雄太は自分を抱きしめたままでいてくれる恋人を見上げる。
「最初の殺人に対する警察の反応が気に入らなかったんだろう。
ヤクザの幹部を殺したのに、ヤクザ同士の抗争としか判断されなかったんだ。
ヤクザといっても大したことはない、一般人でも殺せるんだ、と思いたがった自己顕示欲の強い人間には面白くないだろうな」
「だから、自分たちの仕業だと知らしめるためにわざと殺さなかった……」
「でも、一般人が犯人でこれが一連の事件だなんて、世間には公表されないだろ。
ヤクザの面子にかけても、素人にヤられたなんて口が裂けても言えないし、たとえ訴えたところでサツも取り合うわけがない。
裏の人間なら誰でも判断できそうなもんだ」
「だから、断言できるだろう? 今回の一連の件。首謀者は素人だ。
ただし、被害者に選ばれた顔ぶれから見て、裏の人間が加担して誘導しているのは間違いない。
最初の被害者は公私共に恨みを買うような人物ではないようだし、中華街で大倉の組長をそうと知っていて拉致できるってことはその行動が把握されているということだからな」
「その誘導しているのが、さっきの中国語の男か」
なるほど、これで辻褄が合った。
この場の四人が全員認識を共有できる程度には、有り得る話だ。
「まぁ、仮説だけどな」
「新説だが、俺は有力だと思うぞ。それで、どうするんだ?」
一人年齢の高い仁が周亀の苦笑交じりを上手く肯定して、方針を促す。
せっかく仮説を立てたなら、それに基づいて行動してみるべきだろう。見つかる裏づけが仮説を肯定か否定かしてくれるはずだ。
そうですね、と周亀が軽く考え込み、雪彦に視線を向けた。
「ちょっと横浜まで行ってくる。東邦電々の方を頼めるか、ユキ?」
「了解。ロウさんとの仲介役をすれば良いんだろう? お安い御用だ」
「安と中を置いていく。戻るのが遅くなっても、お前はここに泊まらせてもらえ」
「何時になっても良いから、戻って来い。七瀬が心配する」
まるで時間によっては戻らないようなことを言う周亀に、その判断を否定したのは仁だ。
遠慮が必要ないことを示すと共に、むしろ無事に戻って来いというお達しのようで、周亀は仁を見返した。
それから、コクリと頷く。
「必ず戻ります。ユキをお願いします」
「神龍会の正妃はこの大倉が責任を持ってお預かりしよう」
ここに来て初めての『神龍会の龍頭』として扱った台詞は、もちろん対内外に正式な依頼であることを示していて。
お世話をかけます、と頭を下げた雪彦の台詞はそれ故に中国語だった。
[ 16/41 ][*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]戻る