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丸々一週間大学を休んで自室に引き篭もっていた雄太に来客があったのは、次の土曜日のことだった。
ようやくすのこを渡って組長一家のプライベートスペースである一角のダイニングに姿を見せるようになったのが五日目の金曜日だったのだから、見計らったかのようなタイミングだ。
朝の九時という早い時間の来客はこの家では珍しくもない方ではあるのだが、普通の客であれば追い返されていたに違いない。
それこそ、昨日の今日で他人に会うなど不可能というものだ。
ただし、この客人はむしろ、雄太の心のケアにも最適な人物であり、七瀬も是非会ってやってくれと積極的に勧めるくらいの相手だった。
「突然お邪魔してというべきか、遅くなりましてというべきか……」
申し訳ありません、と続く言葉の前置きを迷ってそのまま口にしたのは、二人連れの一方。
モンゴロイドの多い日本人の中にいると分かりやすい中国人系な顔立ちの青年だった。
その隣に控えているのは、男装の令嬢とも女装した男性とも判断し難い容姿をした人だ。
細身で腰の絞られたパンツスーツを着ているせいだろう。
二人の他に、乗用車二台分の護衛を伴っていたが、その人々には別室を控えの間として提供している。
それはつまり、長居を歓迎するという意味合いも含んでいた。
「君たちから堅苦しい挨拶をもらったりすると何か違和感があるからね。この場所で立場は気にしないで楽にして。
二人とも、ホント久しぶり。元気そうで何よりだよ」
「ご無沙汰してましてすみません。せめてコイツくらいは里帰りさせてやりたかったんですが、なかなかチャンスができなくて」
「良いの良いの。便りがないのが良い便りって言うでしょ?
雄太とはメールとかで連絡とってたみたいだし、黄さんからも噂は聞いてたし、心配はしてなかったからね」
率先して口を開くのは主に中国人の青年の方で、連れの美人は縁側の方が気になるようでそわそわしている。
口数の多い彼も大人しい美人さんも普段らしからぬ態度ではあるのだが。
しばらくして、縁側の方の廊下が小さくコツコツと音を立てた。
その小さな音を聞きつけて、全員が同時にそちらを振り返る。
「お入り、雄太」
他にそれをする人がいないからこそ、疑いもせずに名を呼んで七瀬が入室を許可する。
障子から透けて見える影は雄太にしては大きな一人分だけだった。
障子を開けて姿を見せたのは大倉組若頭補佐であり、今は雄太の傍に付きっ切りのはずの戸山仁。
その背後にすっぽり隠れていた雄太が右の脇から顔を覗かせる。
「ユキ!? シュウっ!」
来客としか聞いていなかったのか半信半疑だったのか。雄太がビックリした様子で二人の名を呼んだ。
仁としっかり繋いだ手は離さずに、大慌てで走りよってくる。
「えっ、えっ? 二人とも、どうしてここにいるの?」
「ユタに不幸があったって聞いて、すっ飛んできたんだよ。思ったより元気そうで良かった」
「うちの連中が見ている目の前で、と聞いたよ。済まなかったね、助けになれなくて。あいつらは厳しく叱っておくから。
七瀬さんにも、本当に申し訳ありませんでした」
飛び込んできた雄太をしっかり抱きとめて心配そうな声の美人の隣で、中国人の青年がまたも深く頭を下げる。
七瀬と顔を合わせてイの一番に謝罪の頭を下げていたから、雄太の前で改まった形だ。
二人は、雄太がこの大倉の家に引き取られる前からの友人たちだった。気の置けない間柄は親友と呼んでも遜色ない。
中国人の青年は李周亀という名で、国際的に手広く活動範囲を広げている華僑マフィアの支配者一族に列する生まれだ。
身の危険を回避するために日本で育てられており、その間に雄太と友人関係を築いていた。
上海を本拠地とする神龍会のナンバー2に君臨しており、その首領は長く病床に臥せっているため実質的な支配者だ。
その彼が対外的にも伴侶と公言しているのが、隣にいる美人だった。
中居雪彦という名のその人はれっきとした男性であるが、公人としての周亀の隣に並び立つ時は性別を疑わせないほど完璧に女性を演じている。
生まれはこの大倉家下部組織であった中居組組長の次男坊である。
現在その組織は解散しており、長男以外は離散して行方が知れない状態だ。
紆余曲折あって今では神龍会を支える大黒柱の任を二人協力して務め上げているおしどり夫婦である二人だ。
そんな立場であるだけに自由に出歩けるわけもなく、万難繰り合わせて親友の有事に駆けつけるのに五日もかかってしまったというわけだ。
「大倉の家で何かあったら知らせるようにとは言ってあったんですが、日本支部からの連絡が上がってきたのが一昨日の夜だったんです。組織がデカイと動きも遅くて困りますよ」
半分愚痴のようにそう言った周亀に、七瀬も確かにねと苦笑を返す。
つまり、この二人にとっては連絡を受けてから本国を出るまで丸一日というわけだ。すっ飛んできた、という言葉に少しの偽りもなかったらしい。
まるで恋人同士のようなイチャイチャぶりの雄太と雪彦に、周亀も慣れたものでほとんど無視した状態で七瀬を話し相手に選んでいる。
この三人の立ち位置をそのまま体現しているようなものだ。
抱き合っているのは雄太と雪彦だが、雄太の手は相変わらず恋人である仁の手を握ったままだし、周亀も七瀬と話をしながら雄太の頭を撫でている。
「けれど、龍頭の実質的な代替わりから随分と情報の流れがスムーズになったって黄さんが言ってたよ。
シュウ君、頑張ってるんだなぁって、他人事ながら嬉しかった」
「今までがあまりに遅すぎたんですよ。先代が身体を壊してから本当に寝付くまでの間、上層部が足の引っ張り合い状態で。未だにそこかしこに名残があって足を引っ張られます」
「権力争いはどこも後片付けが大変だよね」
「まったくですよ。敵対勢力といわれる相手を追い落としたところで、連中の散らかしたものまで片付けないといけないですからね。手腕の見せ所だとかうちの側近連中は言うんですが、こんなもの、場当たり的に片付けていくしかない」
現在も病床にある龍頭が病に倒れた直後は、血で血を洗うというのも過言ではない有様だったらしい。
誰も彼もが野心剥き出しの醜い争闘劇に嫌気が差した、龍頭一族ではない幹部連中が、自分たちの意のままに操れるお飾りとして担ぎ出したのが周亀だった。
当時高校に入ったばかりだった現龍頭に最も近い血族である周亀は、頭脳はあれど血縁のない幹部たちには良いカモだったのだろう。
もっとも、黙って担がれている周亀ではないので、彼らの野心もまた水泡に帰したわけだが。
とにかく中国人は血族を大事にする。
神龍会は李家一族を軸とした組織だった。どんなに優秀でもどんなに組織に貢献していても、一族に含まれなければある程度の地位までしか昇れない。
そのため、野心を持つ者は李家の娘と結婚するのが常だった。妻を媒介として血族に仲間入りするというわけだ。
数年前がそんな状態であったため、主要な地位にあった幹部の大半は組織に仇なす者として粛清が行われ、静観していた者と乗り遅れていた者の他に幹部の地位にある李家一族の人間はいなくなってしまった。
組織が弱体化してもおかしくない状態なのだが、一瞬崩れた後はすぐに盛り返し、今では飛ぶ鳥落とす勢いを取り戻している。
周亀自身が本国を離れて道徳の土台を持ちながら資本主義国として十分成長してあった日本で成長したおかげだろう。
しっかりと親戚関係はフォローしながらも血族に過度の重要視はせず、能力があって周亀に反抗する意思のない人物は年齢やそれまでの実績には拘らずに将来性を見て重用するため、血族でないからと出世を諦めていた者たちが台頭してきたのだ。
日本支部長である黄もまた、この機を逃さず頭角を現し始めた一人だ。
地位は以前と変わらないが、日本支部に委任される仕事の幅と権限がどんどんと広がっている。
今まではいちいち本国へお伺いを立てて機を逃していた事も、黄の裁量に任されることで成功を収めているのだ。おかげで、黄自身のやる気も上がる一方である。
「場当たりで片付けられるのは、力がある証拠だよね」
「ユキがいてくれるおかげですよ。一歩引いて目を光らせていてくれるから、何かあっても早期に対応できる。
大倉には、将来有望株をいただいてしまったようですが」
「うちの子がそちらで役に立っているなら、それで良いよ。ユキ君も神龍会くらい巨大な組織で仕事できるなら満足でしょう?」
「巨大すぎて手に余ってますよ」
雄太にじゃれついていながらも七瀬と周亀の会話はしっかり聞いていたようで、雪彦がすかさずツッコミを入れる。
あはは、と七瀬も笑った。
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