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マスターに確認するように言われて、豊はまだ自分の気持ちを決めかねているのか困った表情だ。
「拒否するほど嫌と思えないんですよ。正直なところ、困ってる感じです」
「じゃあ、お友達から初めてみるってどう?」
頭から拒否一辺倒でないならゆっくり知り合うのもアリだ。豊の反応に気を良くして、再び積極的に口説きはじめる。お友達からとは、どこの高校生だ、とでも突っ込まれそうな常套句だ。
「そうですねぇ。男同士って具体的にどんなもんなのかよくわかってない、っていうのが正直なところですけど。野本さんと個人的に親しくなるのはむしろ歓迎かなって思います」
「ちょっとナカちゃん。相手はヤクザだよ。泣く覚悟がないなら断らなきゃダメだって」
知らない振りをしながらやはりしっかり聞いていた小谷がすかさず咎めるようなことを言う。が、豊もさすがに野本の立場は把握できているし、その上でこの出会いを捨てるのはもったいないという打算もあるのだ。最終的に判断するのは自分の責任だという自覚もちゃんと持ち合わせている。
「野本さんとお付き合いしたら会社クビですか?」
「プライベートをとやかく言ったりはしないけどさ。ナカちゃん手放すのは惜しいと思ってるよ。でも、それとは別にしてナカちゃんが心配」
そもそも、仕事さえ真面目にやってくれればプライベートは勘案しないという会社の方針は同性愛者の受け入れを容認した時点から変わらないもので、それは同性愛という問題に留めるものではない。会社の不利益にさえならなければ何事でも個人の自由は尊重するのがこの会社の基本思想だ。
だから、小谷がせっせと反対しているのも個人的に気に入っている後輩の将来を心配しているという点に留まっている。
そんな先輩の思いは確かに嬉しいものなので、素直に礼を述べる豊だ。
「ご心配ありがとございます。でも、俺は結局、野本さんを信用してみたいって思います」
「んー。ナカちゃんがそれを選ぶなら俺には反対する権利もないしなぁ。でも、やっぱり心配だからさ、ひとつ約束して? 野本さんとの付き合いで困ったことになったらまず俺に相談すること」
そこまで警戒することはないだろう、と野本は思うのだが、自分の立場を客観的に見れば致し方ない自覚もあるだけに複雑だ。
一方の豊は嬉しそうに笑って、はい、と素直な了解の返事を返した。
「何? ってことは、ナカちゃん、野本さんの恋人になるの?」
ようやく洗い物を終えたマスターが会話に戻ってくる。その疑問に豊はとりあえず首を振った。
「まだ、お友達段階ですよ。恋人候補です。そこまではまだ自分の気持ちに整理ついてません」
「だよな。彼女に振られて自棄酒しに来たんだしな」
「うー。野本さん、酷いです。せっかく忘れてたのに思い出させないでください」
「あはは。野本さん減点1」
「あぁ、済まん。まぁ、見る目のない彼女なんか忘れちまえ。失恋の特効薬は古来から新しい恋って決まってるからな」
「それで立候補か。チャンスは逃さないあたり、ちゃっかりしてるよな」
どこから話が始まって野本が豊を口説いていたのか、途中から参加していてそのきっかけがわからなかった戸上が今更のようやく納得して頷く。弱みにつけこんでいると見ることも可能だが、そこまで穿った解釈は不要だろう。
「新しい恋の相手が野本さんじゃ前途多難も良いところだな」
「だから、恋人は大事にするタイプだっての」
この件に関してはまったくの四面楚歌状態である野本は、やれやれと深いため息をつき。その野本に口説き落とされかけている豊はただ楽しそうに笑っていた。
「で、ナカちゃん。またグラス空いてるけど、どうする?」
「野本さん。次、どうしましょう?」
もうすでに自分で考えることを放棄している豊に判断を委ねられて、野本は思わず笑ってしまい。
「カクテルらしいカクテルで。マンハッタン。と、俺はドライマティーニ」
了解と頷いて、マスターが道具を用意しはじめる。
どちらもステアグラスを使って作るカクテルだ。氷で充分に冷やしたステアグラスに酒を入れてバースプーンでよく混ぜてからカクテルグラスに注ぐ。ピンにさしたチェリーやオリーブを沈めて、見た目はこれぞカクテルとも言うべき美しさだ。こうして小さな口休めを入れるカクテルはそう多くないが、カクテルのイメージを思い浮かべる時は大体このイメージだろう。
「お待たせいたしました。マンハッタンです」
まず差し出されたのは豊の前で、赤いチェリーが沈められた飴色の飲み物である。続いて、野本の前にはオリーブを沈めた透明なカクテルが差し出される。
「マティーニです」
名前だけでも有名なカクテルだ。野本の今までの選択からカクテルを注文するとは思わずに豊が首を傾げているが。
「野本さんにカクテルってイメージなかったです。カクテルも飲むんですね」
「まぁ、これは甘くないからな。氷で薄めない分ロックで飲むよりキツイよ」
「ドライジンで作ってるからナカちゃんは飲めないんじゃないかな?」
豊の感想にマスターも野本の言葉を肯定する。自分に向かないと人から止められるとむしろ試してみたいと思うあまのじゃくなところのある豊は、じっとそれを見つめてしまった。
「一口試してみる?」
「良いですか?」
先程小谷に一口譲っていたのを見ていたから、他人の口がついたグラスに神経質になる質でないことはわかっているので、野本から勧めてみた。一口欲しいと思いながら遠慮していたのが見るからに分かりやすかったからだ。案の定、豊は嬉しそうに頷いた。
少しだけ口を付けて、あからさまにキツそうに顔をしかめたが。
「だから言ったじゃない」
「でも、試してみなきゃわからないですよ」
当然のことのように答えるが、そんな些細な好奇心を普段から発揮する人が世の中にどれだけいるものか。
「豊くんって可愛いなぁ」
「どこら辺にそんなこと思ったんですか」
「だって、その年でまだ好奇心いっぱいってすごいことだよ。少年みたいに目をキラキラさせてて反応も可愛らしいし」
「それ、小谷部長の間違いじゃないですか?」
「小谷のはむしろ年甲斐がない」
「ちょっとそこ! でっかいお世話だよっ!」
言動は子供っぽくても精神は充分に成熟していると理解しているからこそ、野本は遠慮なくからかう。これに対して、やはり聞いていたらしい小谷がすかさず抗議するが、こちらも悪意がないことは承知しているからこそ少し砕けたセリフだった。つまりは、気心の知れた大人同士のじゃれあいでしかない。
しばらくして、終電を逃した組とこの辺りの地元民が店に現れはじめる。今度は常連客ばかりで、客同士で挨拶を交わし会話に盛り上がっていく。
豊の失恋ネタは格好の話題で、色々な客から励まされたり慰められたりからかわれたりと忙しく、酒を飲むスピードも格段にアップしたようだ。今までは自分のペースだったが、顔見知りの彼らは傷心の年下の友人にこぞって奢りたがったのだ。豊も酒に強いことが知られている分断り辛いようで、勧められるままに杯を重ねていた。
空気を読んでくれたマスターが気を遣ってくれて、比較的軽めのものを選ぶように誘導してくれたが、総量が多いので一晩に摂取するアルコール量としては多すぎであるのに変わりはない。
戸上夫婦は眠気に勝てずに夜の1時頃には帰宅してしまい、奢り合戦が大体終息した3時頃にはさすがの豊も酔っ払ってクテッとカウンターになついていた。
「マスター、チェックして。豊くん送って帰るよ」
「タクシー要りますか?」
「下のモン呼んであるから大丈夫。近くに着いたと連絡があった」
いつの間にか舎弟を帰宅の足に呼び出していたらしい。気付いていなかったマスターは驚きを隠せなかった。
差し出された請求金額に、野本が少し首を傾げる。
「こんなもんだった? もっと飲んでると思ったけど」
「他の皆さんからの奢り分が含まれてないですし、うちはカクテルにすると均一料金ですからね。銘柄酒をショットで飲むより安めなんですよ」
カクテルを選ぶことの多い女性客や豊のような甘党に親切な料金設定だが、カクテルで使用する酒の値段やジュースなどの配分が多いことが大半である点に加え、カクテルは種類が多すぎて細かい値段設定が難しいので、だったら均一料金でと割り切ったのだろう。
それは明朗会計という売りにも繋がるなかなか賢いやり方だ。ふぅん、と相槌を打ちながら考える様子なので、自分の仕事に活かす手を考えているのかも知れない。
それから、万札を2枚支払って釣り銭を断り、隣で今にも眠りそうなぼおっとした表情の豊を起こしにかかった。
「豊くん、起きて。帰るよ?」
「はぁい、お疲れ様でしたぁ」
「君も一緒に帰るの。ほら、立って」
酔っ払ってというよりは、深夜の時間帯で単純に眠いのだろう。顔色も大して悪くなさそうなので心配する必要もなく、野本は楽しそうに笑いながら豊の世話を焼いている。
立ち上がらされてようやく目を覚ました豊は、野本に会計の礼を改めて述べ、マスターには帰宅の挨拶をこれまた丁寧に述べた。
「ちゃんと自宅に帰るんだよ」
「はぁい」
やはり酔ってもいるようで、間延びした返事を返し、野本に促されてドアをくぐりながらマスターにヒラヒラと手を振った。
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