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 豊の反応を観察する余裕もなく、向こうの客に呼ばれてマスターが行ってしまい、戸上夫婦はよほど腹が減っていたのか食事に夢中になっているので、自然と豊の話し相手は野本になる。ウイスキーをゆっくり味わっている野本に、豊は改めて問いかけた。

「野本さんって、モテますよね?」

 あまりに脈絡のない話で、野本は驚いた顔を豊に向けた。

「いきなり、何?」

「んー。何で俺なのかなと思って」

 そもそも、男はもちろん女にもモテたことのない豊だ。良い人なんだけど、がフラれる時の常套句である。容姿も十人並みで、間違っても女性的とはほど遠い。確かに酔えば多少色気が出るかも知れないが、今隣に座っている上司には足元にも及ばない。

 自覚があるからこそ不思議なのだ。男に口説かれたのが初めてだというところもあるが。

「そうだなぁ。確かに何でかな。身の回りに触発されたんだろうけどな。人の影響だけだったら君でなくても良いし、何かに惹かれたんだとは思うけど」

「自覚なしですか」

「一番は見てて気持ち良いくらいの飲みっプリだろうねぇ。自分が大して強くない分、目についたってところ。むしろ自分の甲斐性で飲ませて酔わせてみたい、って思ったところから始まったかもな」

「酔わせてどうするんですか」

「男が惚れた相手酔わせてすることなんか、1つだろ」

 クックッと笑いながら暴露している時点で本気ではないのだろう。はぁ、そうですか、と答える返事に危機感がない。

 それにしても。

「身の回りに触発されたってどういう意味ですか?」

「うちの幹部がな。組長と副長が男同士で夫婦だし、若頭はサツとラブラブだし、同僚は組長の養い子とデキてるし、って同性カップル多いんだ」

「サツって、警察官?」

「あぁ。組長公認だぜ。何でサツなんかやってんのか不思議なくらいイイ人だしなぁ」

「イイ人だから警察官なんだと思いますけど」

「サツなんかヤクザ以上にワルいヤツだらけだよ」

 一般的には警察官といえば正義感に溢れた善人がなる職業だと思われている。もちろん中にはそうでない人間もいるだろうが、ほんの一握りだろうに。

 ヤクザの立場で断定されてしまうほどなのだろうか、と豊は首を傾げる。

「警察官嫌いなんですか?」

「まぁ、ヤクザと相性最悪ってのもあるけどな。法権力に煮え湯呑まされて堕ちてきてるから、むしろこっちから避けて通る。そもそも、警察なんて権力のあるヤツと自己防衛できるヤツしか守らないぞ。具体的かつ信憑性のある証拠持参で被害届け出ないと動かないからな。冤罪だって、自分の無実の証拠がなきゃ容疑が晴らせないんだ。正直、裁判所だけありゃ十分なんじゃねぇのかと思うよ」

「なんか、それだけ聞くと警察って必要あるのかなって疑問になっちゃいますね」

「被害者が死ぬ場合には必要だろうけどな」

「確かに、死んだら自分で訴えるのは無理ですね」

「それでも犯罪抑止力にはなるよ」

 ヤクザの理論に丸めこまれかけている部下を一般市民感覚に引き戻すためか、食事に専念していたように見えて聞いていたらしい小谷が横から口を挟む。とはいえ、小谷の言い方もまた、野本の意見を否定してはいないのだが。

「犯罪者の感覚なんて、自分が良ければ他人の迷惑なんて考慮の範疇外なんでしょう? だったら、逮捕されて罰を受けるくらいならそもそもやらない、っていう犯罪者本人の不利益回避の観点から犯罪防止策を講じる必要があって、そのためには警察機関の存在は不可欠だし、犯罪者にナメられてちゃ意味がないんだよ」

「警察が出来た頃の時代なら確かにその通りだが、今のサツにそれは当てはまらないさ。戦後から今までで、軽犯罪重犯罪ともに発生数は増加の一途だ。犯罪を犯しやすい奴らを従えてるから実感があることだが、結局犯罪が抑制されるかどうかはそいつが育ってきた中でどれだけ道徳心が育まれたかで決まってくる。最近の若い奴らは自分の行動に対する禁忌観がそもそもなかったりするんだ。俺がまともに育ってきたおかげの感想かも知れんが、正直俺でも怖ぇぞ」

「ヤクザに道徳説かれるって何か不思議な感覚……」

「まぁ、俺は異色だからなぁ」

 何しろ20代の年代で不正の罪を被らされるくらいには有能なエリートサラリーマンだ。冤罪を押し付けられる直前までは平穏な人生をまっしぐらだった。だからこそ、現在置かれている環境を冷静に観察する能力を有しているともいえる。

「サツもなぁ。なんだかんだって取り締まり強化するより、本来の仕事をまずは完璧にこなせば良いんだよな」

「例えば?」

「40キロ道路の20キロオーバー程度で切符切ってる暇があるなら渋滞の原因になってる路駐をなんとかしろよ、とか」

「違反者のほとんどいない交差点で笛吹いてるなら小学生の通学路に立ってた方が有意義だろ、とか?」

「免許証の更新と住所氏名変更を同じ窓口でやるなよ、とか」

 同じように警察の仕事には物申したいことがあったらしく、小谷も真似をして事例を挙げる。その例示に野本は首を傾げた。

「なんかやけに具体的だな」

「名字変わって変更届けに行ったのが平日の午前中でさ。免許証の定期更新にぶつかっちゃったわけよ。待ち時間1時間半、手続き10分だよ。いくら温厚な俺でも抗議せずにはいられなかったね」

「そりゃ、災難だったなぁ」

 聞いている方にとっては完全な笑い話だ。クスクスと豊が楽しそうに笑っている。酔っているせいか、その笑いかたが多少色っぽいように見えるのは、野本の惚れた欲目なのか本人の資質なのか。

 それで、と話を戻したのは先ほどから聞き手一方の戸上だ。

「それでも警察官の中にもイイ人はいるもんだ、って話でしたか?」

「あぁ。結局人間は十人十色だよな。ヤクザを色眼鏡で見ないマル暴のデカなんか、あの人だけだろうけど」

「警察官の中でも明らかな敵なんじゃないですか。そんな人いるんですねぇ」

 確かにな、と苦笑を見せてさらに衝撃の事実を明かす。その存在の特異さもさることながら、組員に受け入れられている一番の要因はその行動にあるのだ。

「こっちの手が足りない時なんかは仕事手伝ったりもしてくれてるらしい。俺は担当分野が違うから直接は知らないが、事務処理能力は半端ないって噂だ」

「って、ヤクザさんの仕事を?」

「うちの仕事は至極真っ当だからな。サツ相手だろうと、隠す必要もねぇさ」

 そもそも、彼を口説き落とした若頭自ら率先して仕事の全てをオープンにしてしまっている。だからこそ恋人同士での連帯感に繋がっていて、それゆえに肩入れしてもらっている部分があることも確かだ。

「それでも、守秘義務ってのはあるでしょう?」

「あの人相手なら隠すリスクの方が高いさ。恋人関係にある事実はこっちの世界では有名だが、彼の職場にはそれこそ極秘だ。それだけに、彼が自ら知り得た情報を取捨選択する判断力に全面委任してる。ヤクザの恋人なんて立場は彼にとってはそれこそ百害あって一利なしだ。付き合い続けるにしても、別れるにしても、バレれば職を失うからな」

 なるほど確かに、な言い分に、聞き手3人は揃って感心の表情だ。

「で、身の回りがそんなんばっかだから、恋愛に対して禁忌感がなくなっちまっててな。昔は人並みに同性愛に嫌悪感とかあったんだけどよ。今じゃ何でもありだ」

「その何でもありの中にうちの可愛い部下を含めないでって言ってるのに」

「小谷もいい加減無駄な抵抗やめろって。大人同士なんだから、本人が納得すれば良い話だろ?」

 そりゃもちろんそうだけど、とまだ歯切れ悪くブツブツぼやく小谷に対して、口説き落とす自信があるのか野本は余裕げにニヤニヤ笑っている。

 口説かれている当の本人である豊としては、まだ受け入れるとも断るとも結論が出ておらず、困ったままだ。即拒否しないだけ、興味はあるのだ。ただ、今一つ決定打に欠けている。

 うーん、と悩んでいるうちに、グラスは最後の一口になっていた。クイッと飲み干してグラスを置き、空になったグラスのふちを撫でながら次に悩みはじめる。先ほどまで自分の身の振り方が悩みのネタだったのにずいぶんと即物的になったものだ。

 豊のグラスが空いたのに気付いて、野本が豊の顔を覗きこむ。

「次?」

「うーん。少し休憩するか、がっつりいくか、と思って」

「てか、本当に強いねぇ。それだけ飲んで顔色も思考力も変わってない」

「ずいぶん酔ってますよ。咄嗟に敬語が出ないもの」

「でも、今普通に敬語使ってるじゃない。むしろ俺はタメ口きいて欲しいけど?」

 隙あらば口説くのは忘れないらしい。一貫している分疑う必要がないのはそれなりにありがたい話ではあるようだが。

 とりあえず口説かれている部分については聞き流して、豊はカクテルの知識が豊富だと自己申告のある野本に判断を委ねてみることにした。

「何が良いと思います?」

「そうだなぁ。休憩なら、杏仁豆腐なんてどう?」

「お酒、ですか?」

「そう。そのものってわけじゃなくて、味が似てるってヤツさ。俺は試したことがないから、是非飲んで感想を聞かせて欲しい」

 理由を聞けば、純粋な野本の興味だとわかる。拒否する理由もなく、豊も納得さえすればあっさり頷いた。

 軽く手を挙げる野本に気付いて、別の客の話相手になっていたマスターが戻ってくる。

「あれ。ナカちゃん、もう終わってたんだ。ごめんね、気づかなかったよ。次?」

「あぁ。ボッチボールを」

「なんだ、また野本さんのオススメなのか。了解」

 豊の飲み物を野本が頼むことで、話の流れを推察することは可能らしい。





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