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 何しろお通しが名物になるくらい料理の上手なマスターの店だ。ダイニングバーと銘打っているわけではないが、食べ物目当ての客もそこそこいる。

 ひとまず先の3人連れの客と戸上夫婦用にお通しを持って戻ってきたマスターは、来店順にそれを提供して、サラダを希望した小谷へさらにサラダが欲しいか確認するともう一度調理場へ戻っていった。野菜好きな小谷からは頷きの返答だった。

「へぇ。唐揚げってこういう使い方もあったんだ。今度やってみよ」

 レタスを中心にしたシーザーサラダに刻みベーコンではなく唐揚げをざっくり切ったものが乗ったもので、ドレッシングの付いた唐揚げを口に入れながら小谷が感心したような感想を述べる。

 普段は外食と仕出し弁当で生活している戸上家は早く帰宅した日や休日は小谷が料理をする事が多いのだ。中でもパスタ料理は旦那である戸上のお気に入りだった。

「で? ナカちゃんの今日の不調は結局失恋だったわけ?」

「私事でご迷惑おかけしました」

「いや、別にたまには良いけど。来週からまた頑張ってくれればさ」

 開発部長の返答には相応しくないはずだが、小谷の反応は全く気にした様子がない。1日元気がない程度では会社にとっては大した損失ではないせいだろう。仕事自体は必要作業分をこなしているのだから咎める理由にはならないのだ。

「しかし、中西を振るとはその彼女も見る目ねぇなぁ」

「だよねぇ。将来有望株なのに」

 苦笑混じりの戸上のセリフに小谷も同意を示す。本人は自画自賛するほど自分に自信もなく首を傾げているが。

 一方、現在片思いの相手に対する上司の評価は相手をよく理解するための貴重な情報で、野本が興味津々の表情を見せる。

「将来有望株なのか?」

「勘が良いから何でもそつなくこなしちゃうタイプだよ。……って、だからせっかくの芽を潰すようなことしないでよ、野本さん」

「だから、そんなに牽制する必要ねぇよ。惚れた相手傷付ける趣味はねぇ」

 本人に口説き始めたことを知ってあからさまに邪魔しようとしている小谷の反応に、野本はしかし自分の立場と可愛がっている部下を守ろうとする小谷の立場を分かっているだけに腹を立てることもできず、苦笑するしかない。

 ヤクザだと聞いてもあまり怖いと感じられない穏和な雰囲気の野本を、豊は隣から不思議そうに眺めていた。小谷の明らかに不躾な態度を気にした様子がないことがむしろ奇妙ですらある。

「野本さんって、職業間違えてるって言われません?」

 正直な感想だろうと思われるそんな豊の言葉に、野本より先に小谷が大笑いしている。野本もまた困ったように眉尻を下げた苦笑の表情だ。

「言われないわけないだろ。現に俺も同じこと言ったし」

「俺も言ったな。その時も明義は大爆笑だった」

「だって、俺が知る限り百発百中だもん」

「俺が知る限りでも百発百中だよ。悪かったな」

 もう笑われ慣れているのか、野本は怒りも否定もせずにただ憮然として、自分でそう答えた。出会う相手全員に言われていればいい加減諦めモードなのだろう。

「前科者でね。まともに就職も出来なくて困ってたところをうちの副長に拾われたんだ」

「前科、ですか?」

「そう。昔は普通にリーマンやってたんだけどな。会社ぐるみの不正が社内告発かなんかで明るみに出た時に人身御供にされた。
 無実を証明する証拠がなくてな。実際俺自身は全く関わってなかったんだけど、そのまま有罪確定。俺に罪を被せて会社はむしろ同情票獲得ってわけだ」

「それは、酷い話ですね」

 同情票といえば、現在野本自身も片思いの相手から同情票獲得しているようだが。確かに、とつい先程までからかっていたはずの小谷も同意して頷いていた。

「それでヤクザっていうのも極端な気がするけど」

「誘われた当時はもちろん悩んださ。決め手になったのは、うちの組長から復讐しないかって持ちかけられたところだった。同業で事業展開計画してて、経験者が欲しかったらしい。狙い打ちして潰しちまえって誘われて、魅力感じないわけがないんだ」

「……同業って?」

「飲食店コンサルタントってところだな。高級レストランから大衆居酒屋まで幅広くやってる」

 元々サラリーマンとして勤めていた会社も、居酒屋チェーンの経営本部だったのだ。メニュー作成は調理師や栄養士の仕事で、野本がしていたのはマーケティングや経営企画といった机上仕事である。

 料理の善し悪しが繁盛の基本なのは当然だが、それだけではチェーン展開するほどの儲けは出ない。ユーザーのニーズを上手く拾いあげることがリピーター獲得には不可欠であり、野本はサラリーマン時代から特に企画力に定評のあるやり手だったのだ。

 現在も、野本の仕事内容に変わりはない。ずいぶんと規模は大きく幅広くなったが、それだけだ。最近は別の業界にも進出し始めたものの、やはり大した違いのないことしかしていないと本人は思っている。

 肩書きが示すように、組の中で彼の仕事が重要視されていることに間違いはないのだが。

「飲食店なら金曜日の夜なんて大忙しなんじゃないんですか?」

「店は大忙しだけどな。元締めとしてはその大忙しに水をさすわけにもいかないからむしろ暇なんだ。一応お偉いさんだし、店の仕事を手伝えるわけじゃないからな」

 なるほど、と頷いたのは社長職に就いてから開発業務から遠ざかった戸上だ。部長就任してからはプログラムを弄ることがなくなった小谷も、そうかもしれない、となんとなく理解したようだ。上司2人が納得している様子に、実感のわかない豊はそういうものなのかと鵜呑みにするしかない。

「だから、野本さんは週末の人なんだね」

 戸上夫婦が希望した食べ物の皿を持って戻ってきたマスターが話に参加してくる。調理場にいても聞こえていたらしい。狭い店内なのであり得なくはないが、それにしても耳が良い。

「そう。平日は割りと忙しいからな。なかなか来られない」

「でも、その話ならうちは同業者でしょ?」

「シマが違うから関係ない。むしろ仕事忘れて飲めるから助かってる」

 だったら良かったけど、とマスターは嬉しそうだ。同業者に認められるのは嬉しいものなのだろう。

 戸上夫婦の目の前に差し出された皿にはハーブを練り込んだウインナーの盛り合わせとマスタードソースに温野菜サラダが盛り付けられていた。美味しそう、と小谷が嬉しそうに目を輝かせている。

 豊の上司に当たる2人に食事を提供してから、同じ場所からずいぶん早い時間にやって来ている豊の腹具合に今さらながらに気がついたマスターが心配そうに豊の顔を覗きこんだ。

「そういえば、ナカちゃんは夕飯食べて来たの?」

「あんまりお腹減ってなかったんで職場からそのまま来ましたよ」

「……今さらだけど、何か食べないと胃が焼けるよ。パスタでも作って来てあげようか?」

「あんまり固形物は食べたくない感じなんですけど」

「……じゃあ、スープなら入る?」

「食べなきゃダメですか? お通しもらったし、十分だと思うけど」

 どうにも食欲がないようなことを言う豊に周りの全員から心配の目が向けられてしまった。

「ナカちゃんって飲みながらだと食べない人だっけ?」

「いえ、普段は普通に食べますけど」

「どっか具合悪い?」

「お腹減ってないだけですよ」

「そんなわけないだろ。昼も食ってねぇじゃん」

 すかさずツッコミを入れるのはどうやら見ていたらしい戸上で。そうそう、と小谷も頷いている。

「やっぱり何か食べなきゃダメだよ。チーズ、ナッツ、スープ、その他。どれか選んで」

 まるで親兄弟のような世話の焼き方だが、独り暮らしの豊にはそもそも自分以外に世話を焼く人間がいないのだから、心配してくれる人の言うことは聞くべきだろう。
 
「じゃあ、ナッツで」

「オッケー。ちょっと待っててね」

 ちょっとずつつまむのに丁度良い選択肢を選んだ豊に、マスターはそそくさと調理場へ引っ込んで行く。あまり食べる気のない豊本人だけが乗り気でないという不思議な事態だ。

 マスターの後ろ姿を見送ってから自分のグラスが空になっているのに気付いた豊は、残った氷をカラリと回しながら考える仕草を見せた。それに気付いて、野本は感心した表情だったりするわけだが。

「やっぱり早いなぁ。今日はかなり飲んでると思うんだが、まだ酔わないか?」

「多少回ってますけど」

「普通、空きっ腹に酒入れたらすぐ回るだろ。それ、5杯目だったよな」

「うわ、ナカちゃんザル通り越してワクだよ、それ。お酒もったいない」

「部長、それ失礼です。酒は美味しく飲めれば良いんですよ」

 さすがに多少酔いが回っているのか、豊のセリフから上司に対する遠慮が抜けている。が、普段から上司扱いされることを嫌がる小谷は気にした様子もなく、自覚もあったのかただ笑うだけだ。

「で? 次はどうするの?」

「んー。ショートにしようかなと思うんですけど、オススメあります?」

 まだまだ若い豊はショットバーに通い始めてまだいくらも経っていないだけにレパートリーが少ないようだ。そのわりに見た目が印象的なカクテルばかりよく知っている感じではあるが。

「ルシアンとかどうだ?」

 提案したのは野本だった。ブラックルシアンは名前だけでも有名なところだが、色の名が付かないのは初めて耳にするようで戸上夫婦も顔を見合せている。

「ブラックとかホワイトとか付かないんですか?」

「そう。甘いやつが飲めるならオススメだ」

 なぁ、マスター、と戻って来たばかりのところに話しかけられて、マスターはまず不思議そうな顔を見せたものだが。

「ルシアンかぁ。しばらく作ってないなぁ。あまり知られていないんだよね。甘いカクテルにしては強すぎるもんだから、甘党の通好みっていう厄介なカクテルなんだ。確かにナカちゃんにはオススメかも」

 ミックスナッツをのせた皿を豊の目の前に置きながら答えたマスターは、背後の棚から数本の酒瓶を取ってテーブルに並べ、シェイカーの準備を始めた。7人も客がいて、本日初シェイカーだ。

 逆三角の典型的なカクテルグラスに注がれたそれは、飴色というよりやや茶色いものだった。

「ルシアンです」

「いただきます。……本当だ。甘いくせに強い」

 次いで、これ美味しい、と満面の笑みで感想が漏れ聞こえて、薦めた野本も満足そうだ。

「野本さんって、もしかしてお酒詳しいです?」

「職業柄ね、知識はそれなりだ。そんなに飲めないから、名前とレシピは知ってても飲んだことのないカクテルの方が多いよ」

「これも?」

「カカオリキュールの割合が多目でアルコール度数30度超えじゃ、俺には飲めないよ。飲んでみなくても甘そうだ」

 甘さの理由がカカオリキュールと分かって、豊はふぅんと何気ない相槌を打ちながら知識を脳にインプットする。

 何しろカクテルは種類が豊富だ。その中で自分好みのカクテルを探すのは大変なのだ。気に入ったカクテルがあればその名前とレシピは覚えておかなくてはならない。でないと、二度とお目にかかれないこともあり得るのだ。

 ルシアンに限っては名前が印象に残るので覚えていられるとは思うが。





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