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「野本祐也、37歳。川崎大倉組若頭補佐をしている。恋人いない歴4年でバツなしだ」

「中西豊です。……?」

 脊椎反射的に名乗り返して、相手が並べ立てた言葉を反芻したらしい。豊がのんびりと首を傾げた。
 それから、伺うようにマスターに視線を向ける。むしろ、救いを求めての行動に近い。

「組?」

「だから、こう見えて危険な男だって言っただろう?」

「そういう意味で理解して良いの? ヤクザさん?」

 あまりにイメージと違う結論に困惑して、はっきりとその言葉を口に出して聞き返してしまう。これに、本人もマスターも揃って頷いた。

「戸上の奥さんも俺の職業は把握してる。おかげでしっかり牽制されたくらいだ」

「冗談とかじゃなくて?」

「まぁ、そうは見えない自覚はあるけどな。うちの幹部メンバーは全員そうは見えないタイプだから、言われて見ればそう見えないこともない、って部類に分類されてる」

 それでも、見た目はともかく肩書きに嘘はないらしい。唖然としてしまった豊に野本はただ苦笑するしかない。

「さっきも言ったけど、恋人は大事にする主義だ。苦労はさせない。付き合ってみないか?」

 どうやら本気で言っているらしい。豊としてはきょとんとするしかないのだが。

「まぁ、急いで結論を出す必要はないさ。返事は気長に待つよ」

「ヤクザさんってもっと強引なんだと思ってました。じゃあ、お断りしても良いんですか?」

「断られても諦めないけどな。無理矢理拐って犯したりはしないさ。怖がられるのは本意じゃない。恋人に望んでるんだから怖がられるより好かれたいってもんだ」

「本当に本気だったのか」

「なんだよ、マスター。疑ってたのかよ」

 疑っていたというよりむしろ冗談だと思っていたマスターに驚かれて、それはしかし無理もないことだと自覚があるようで野本は苦笑とともに軽い抗議の声をあげた。
 それと同時に、すっかり空になっている豊のグラスを指差す。

「あぁ、ナカちゃんごめん。次どうする?」

「……本当に奢りですか?」

「好きなだけ飲みなよ。強いんだろう?」

 この場合、素直に奢られて良いものなのか。ん〜、と豊は考えてしまう。

「奢るって話と付き合ってって話は切り離して良いぞ。彼女にフラれて自棄酒だったんだろう? 好きなだけ憂さ晴らしすると良い。今日は閉店まで付き合えるしな」

「本当に良いんですか?」

「豊くん、飲みっプリ良いから見てて気持ちいいんだよ。観賞代だと思って遠慮しないで」

 それは納得して良いものなのかどうなのか。これ以上人の好意に遠慮するのも失礼なので、ありがとうと礼を言ってマスターを見上げた。

「ラスティネイル」

 どうやら休憩はおしまいらしい。了解を返しながら、マスターは楽しそうにクスクス笑っている。

 提供されたのはロックグラスに注がれた飴色の飲み物だ。スコッチウイスキーにドランブイを少々。もちろん、だいぶ強い酒だ。

「酔わないよなぁ、豊くんって。うちの幹部で一番強いのっていうと戸山か? でも、君には敵わなそうだ」

「強くはないですよ。控え目なだけです」

「今日は限界に挑戦?」

「そうですね。スポンサーもいるし」

「うん。任せて」

 ニコニコと愛想良く笑う姿はとてもそんな職業に見えない。自己申告通り惚れた相手を怖がらせないためなのだろうが。

「で、野本さんは次は?」

「ん〜。スコッチでオススメを」

「好みは?」

「むしろジャパニーズ」

「……なるほど。じゃあ、あれかな」

 ちょっと待ってて、と言ってマスターが裏の倉庫へ消えていく。何かオススメを思い付いたようだ。

 2人で残されて、改めて向き合う。ジンをロックで飲むような人ならこれは甘いかなぁ、と思いながらカラカラとグラスの氷を回す。

「そういえば、甘いのが好きなの? いつもカクテル飲むよね」

 いつもと言うほどには良く見られていたらしい。顔を知っている程度の認識だったのが申し訳ないような気になってしまう。

「お子さま舌なんですよ。甘いのしか飲めません」

「なるほど。じゃあ、これは無理か」

「ジン自体苦手ですけどね」

「確かに甘味とは対極か」

 どうやら納得できる理由だったようだ。何度も頷いて理解を示す。

 そのうちに、席を外していたマスターが戻ってきた。出して来たのは秘蔵もののようだが。

「お待たせしました」

「何出してくれるの?」

「山崎」

「スコッチじゃないじゃん」

「18年のシングルカスクだけど、いらない?」

「……いただきます」

 その希少価値に負けたようだ。野本のその反応が面白かったようで、豊がクスクスと楽しそうに笑っている。

「俺もそれ飲んでみたいかなぁ」

「ナカちゃんにはハイボールにした方が良いかもね。次はこれにする?」

「うん」

 まだグラスには半分ほど残っているが、すでに次の注文に話題が向かっている。さすがにまだ酔わないだろうとは全員の共通認識だ。

 野本のためのグラスが提供されるとほぼ同時に豊のグラスが空く。先ほどまでのペースと比較してもずいぶん早い。今までが抑えていたのと次の楽しみの相互作用だろう。
 注文はすでに決まっていたので確認もせずに次のグラスが提供される。マスターも自発的に同じものを自分用に用意した。貴重な酒を目の前で揃って飲まれたら、自腹を切ってでも自分も飲みたくなるのだろう。

 そのうちに、別の新規客が来てマスターはそちらの対応に行ってしまった。

 さらに立て続けで姿を見せたのは、豊の会社の上司だった。

「おや、平日に夫婦揃っては珍しい」

「野本さんじゃん。こんばんは。うちのナカちゃんにちょっかい出すなって言わなかったっけ?」

「彼女にフラれたっていうから自棄酒に付き合ってるだけだぞ。大人同士なんだから口説くくらい良いだろ」

「うちの可愛い部下を泣かさないでよ」

「泣かさねぇよ。信用ねぇなぁ」

「貴方に関しては、無条件の信用はできないよ」

「一般人の自衛としてはそれで正解なだけに反論できねぇのが辛いところだ」

 ヤクザという無法集団の一員である自覚はあるらしい。大事にする自信はあるのだが、とブツブツぼやいている。

 部下を守ろうというつもりか知り合いの隣との認識か、やってきた戸上姓の2人は豊の隣に席を選んだ。
 そうして、豊の向こうにいる野本と開発部長をしている戸上家の嫁が舌戦を繰り広げたわけだ。間に挟まれて豊は何故か楽しそうだが。

「今日はここに来て良かったかも。自棄酒するつもりだったのに、何か楽しい」

「そりゃ良かった。酒は楽しく飲むのが一番さ。強い体質ならなおさらな」

 酔っぱらいになるまで時間がかかってしまうなら酒も逃げ場所にならないだろうという意味のようだ。確かに、と自分が酒に強い自覚のある豊は苦笑を返すしかない。

 何しろ、普段よりピッチが早い分酒が回っている自覚症状はあるものの酩酊にはほど遠い感じなのだ。街でよく見かける酔っぱらいがむしろ羨ましいと思えるほど。金がもったいないと評価したマスターの判断で間違いないらしい。

 別の客の相手を終えて、ほぼ同時に入ってきた戸上夫婦の相手にやってきたマスターが2人に冷たいおしぼりをさしだす。

「いらっしゃい。何にする?」

「ジントニック2つ。あと、何か食わせて」

「つまみ系、肉系、パスタ、どれ?」

「肉かな。ウインナーとか」

「俺、サラダ食べたい」

「じゃあ、ウインナーの盛り合わせと温野菜サラダにでもしてあげよう。少し待ってて」

 会話しながらも手は注文の品を作っていて、それを2人の前に差し出してから調理場へ引っ込んで行く。ジンをトニックウォーターで割ってライムを添えるだけの簡単なカクテルだ。会話しながらで十分作業が出来たのだろう。





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