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日付変わって金曜日。
豊は川崎駅前に人待ち顔で佇んでいた。
手に持つのは通勤用のビジネスバック。プリントのついた長袖のTシャツに麻の半袖シャツを羽織り、下はジーンズにデッキシューズというラフスタイルの彼は、ますます社会人に見えない姿をしている。基本的に内勤作業者はカジュアル可の職場なので、出掛ける予定もないのにスーツで出勤するとむしろ周りから浮くのだ。
そんな格好だから、スーツ姿の人間が話しかけるとそれだけで目立ってしまうのだが。
「中西さん。お待たせしました」
それは、祐也の側近その2と紹介を受けていた島川だった。祐也と同じく元サラリーマンで、サラリーマン時代の祐也の後輩だった人物だ。祐也と道端で再会した時に勢いで押し掛け舎弟になった変わり種だが、普段はそんな武勇伝が冗談に感じられるほど落ち着いた人である。ヤクザらしくない雰囲気は祐也に劣らず、豊も肩に力を入れなくても付き合える相手だ。
「車を待たせています。少し歩きますよ」
はい、と豊が頷くのを待って島川が先導して歩きだす。島川の後ろに影のように従っていた大柄の男が豊の後ろについたので、護衛役なのだろうことは容易に想像がついた。豊のような一般人に護衛がつくというのも不思議な話だが、若頭補佐という立場上、恋人に護衛も付けずに夜の繁華街を歩かせるわけにはいかないのだ。
どうやら祐也の周りにいる側近で一般人に威圧感を与えない人間は島川だけのようで、祐也の迎えにやってくるのはだいたい島川と運転手の2人組だ。おかげで豊も顔見知りの関係に自ずとなっている。
そのため、豊は躊躇なく島川に話しかけた。
「どこまで行くんですか? 車ってことは、駅から遠いんでしょう?」
「うちで経営しているホテルのラウンジで、とのことです。お食事もご用意しています」
そのホテルとやらが少し距離のある場所にあるのだろう。ラウンジを置いているホテルならそれなりの大きさのはずで、こんな格好で良いのかな、と豊は自分の姿を見下ろした。
「うちで着替えてくれば良かったですね」
「ご自宅は長津田でしょう? 少し距離がありますし、そこまで気にされる必要はありませんよ」
気を遣う豊の言葉に、島川はクスリと笑った。格式の高いリゾートホテルやらハイクラスのシティホテルやらならいざ知らず、ビジネスホテルに毛が生えた程度の宿泊施設だ。旅行者に荷物を増やさせるだけなのは容易に想像がつくから、ドレスコードもない。
角を曲がったところに停まっていた黒光りするベンツから降りてきたのは祐也本人だった。
「迎えに来てくれたんだ?」
「あぁ。少し早く仕事が片付いてな。乗れ」
うん、と頷いて、祐也が開けてくれている後部座席のドアから奥に入る。祐也も同じドアから乗り込んだ。島川は助手席に座り、護衛のために後ろからついてきていた男は歩道に残って走りだす車を頭を下げて見送っていた。
「呼びつけて悪かったな」
「会社まで迎えに来られるよりよっぽど良いよ。祐也はともかく俺は一般人なんだしさ」
隣に座る恋人を見返して豊がフワリと笑う。多少童顔だが普通の男のはずの豊も、そうして笑うと少し色気が垣間見える。色気垂れ流しの小谷のそばにいるせいか、恋人を得て自分が抱かれるようになってから育ち始めた艶なのか。いずれにせよ祐也の目を惹き付けるのには違いない。
「でもさ、俺、こんな格好で大丈夫?」
「まぁ、気にする気持ちも分からなくはないが、あまり気にするな。どうせ組長も大して変わらない格好だ」
は?と問い返してしまうのも無理もない。組長というのだからヤクザの大親分のはずで、私服ですらこんなラフな格好はしなさそうなイメージなのだ。
「今日は出掛けてないはずだから、多分な。俺も今日はまだ会ってない」
つまり、そんな予測がつくほどに普段からラフな格好でいるということらしい。正直にいって、信じられないレベルの話だ。
そんな豊の反応に気を悪くした様子もなく祐也は苦笑するのだが。
やがて、車は大きなホテルの地下駐車場に入っていった。ずらりと並んだ黒服の集団に取り囲まれるように停車し、先頭に立っていたスマートだが隙のない視線の男が恭しい態度で後部座席のドアを開く。
「ずいぶん物々しい出迎えだな、杉本」
「組長より、丁重におもてなしするようにと言い付けられておりますので。上ですでにお待ちです」
「まだ充分余裕あるだろう? 早すぎだ」
「楽しみにしておられましたから。副長もご一緒です」
さぁどうぞ、と促されて、案内されるままにエレベーターに乗り込む。祐也に腰を抱かれて居心地悪そうな豊に、一緒に乗った島川が楽しそうに笑っていた。
「そんなに緊張なさらなくても、取って喰ったりしませんよ」
「組長は喰わねぇだろうが、お前らにはあっさり喰われそうだぞ」
「滅相もない。補佐の大事なお人に危害を加えるような真似はいたしません」
答えながら、島川は機嫌良く笑う。真面目くさった表情を崩すことなく、杉本と呼ばれた男は無表情のままだ。
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