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この川崎沿岸部を本拠地とする暴力団、大倉組は、元々地元に根差した任侠組織だった。
今でもその傾向は残っているが、今代の組長がこの世界では非常に珍しい穏健派でしかも企業経営手腕に長けているおかげもあって、経済ヤクザの仲間入りをし始めたところだ。
それには、今年高校を卒業したばかりの青年の力も大きい。
まだ失敗も多いのだが、それ相応の天性の勘が働くのか、変な大当たりはないものの堅実に稼ぎを上げてきている。
大学一年生にして社会人一年生――といってもヤクザだが――にしては稼ぎが大きい。
つまり、株取引で稼いでいるわけだ。
そうして時代にあった力を身に付けてきた老舗ヤクザの若頭として、やっぱり下っぱは乱暴者だらけの構成員を率いているのが、うちの恋人。
腕っぷしが強いとかいうわけではないけれど、ここまで偉い肩書きがあるとそこはあまり問題ではないらしい。
そもそも組長からしてあの姿だ。
威圧感をもって下を押さえているのは、戸山さんだけではないかと思われる。
「そういえば戸山さんは?」
書類を若頭決済分、組長行き、会計記載分、差し戻しの4山に分けながら問いかけると、若頭決済分の山からチェックを始めた恋人はちらりと俺の顔を見やってため息をついた。
「浮気か?」
「雄太くんから恋人を奪う気は毛頭ないよ。珍しいじゃん、忙しそうなのに手伝ってないなんて」
「さっきまでいたんだがな。喧嘩だって呼ばれて行った」
「たかが喧嘩に戸山さんが出て行くか?」
「他の組構成員と乱闘だそうですよ」
大谷さんまで口を挟んでくるから、それなりの事態なのだと理解した。
さすがにヤクザの下っぱは血気盛んだ。やれやれ。
「飯、行けるの?」
「あぁ、問題ない。片付いたって連絡が来てる。そろそろ戻ってくるだろ」
「だったら良いんだけど。年末で警戒強化してるから気をつけてよね」
それを俺が言うかってヤツだ。
現在時刻は夜の7時。
夕飯にはちょうど良い時間だから、ここで足止めは実は予定のうちだ。
何しろ相手はヤクザの若頭。護衛もだいぶいるわけで、人混みでは悪目立ちする。
しばらく黙々と作業に没頭していて、ある書類に行き当たった。
それは俺がちょうど仕事で探していた情報が記述されている書類だった。
麻薬取引の情報とそれの前後関係。
大倉組はヤクもチャカも御法度が徹底されているから俺も安心していたけれど、他の組でそういう危ない橋を渡る時にまったく関係なくてもとばっちりを受けることがあるから警戒はしていて、そのための調査報告書だった。
「ヤなモン見たなぁ」
「ん? サツに見られて困るモンはないはずだが」
「そういう意味じゃないよ。犯罪捜査の専門家のはずの俺たちがヤクザより情報収集遅いんだなぁって思っただけだ」
しかも、ここで見た情報じゃあ仕事には生かせない。情報ソースが明かせないから。
「どれの話だ?」
「木場のヤク取引」
「……あぁ、それはそっちには情報流せねぇな。住吉の若にもらったコピーだ」
コピーというのは、この紙のことだろう。
やれやれ、それじゃどうしようもない。
又流しなどしたら恩を仇で返すようなものだ。
どうでもいい相手なら気にしないが、恋人の所属する組だからこの組にも肩入れしている自覚がある。
その相手に仇なす真似はしたくない。
そこには、取引の日時と場所、取引量、居合わせたメンバー、売り手買い手双方の組織情報が細かく記されていた。
警察が知りたい情報が網羅されている。だからこそガックリくるんだ。
あぁ、せっかくの情報なのにもったいない。
「で? これはどういう扱い?」
「副長行きだ。中国語に訳して華僑に流す予定」
「ふぅん。北京語で良ければ俺が訳そうか?」
「……は? タケ北京語出来んの?」
「東京で組織犯罪捜査するのに、英語と他に何か一つくらい出来ないとやっていけないんだよ」
何せ東京という街は犯罪組織も海外の大手が入り込んでいて、ヤクザより厄介な存在なんだ。
ヤクザの方が縦社会がしっかり定着している分、上だけチェックしておけば良いから楽だと言える。
ちなみに俺が出来るのは、英語と北京語は読み書き日常会話まで、日常会話のみなら韓国語とポルトガル語もそれなりに。
「さすが本庁勤め。賢いんだな」
「一応ね。学生の頃は外国語って超苦手だったけど、必要にかられれば出来るもんだ」
英語なんて一番苦手な教科だったくらいなんだけどな。
じゃあこれも、とさらに3枚渡されて、空いていたパソコンの前に陣取る俺だった。
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[mokuji]
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