貴文の恋人 1




 はじめてその男に会ったのは、なんとも恋愛には場違いな場所だった。

 普段、桜田門の本庁庁舎に勤務している吉井武人だが、その日はちょうど品川の所轄管内で発生したマル暴絡みの殺人事件の捜査に出張で、その署内を歩いていたのだ。

 ちょうど玄関先に集まっていた一団の中に、彼はいた。
 少し離れた場所で様子を見守る姿は、彼らの上役の立場らしい。他人顔ではなく、ただ、成り行きを見守っていた。

 見るからに、ヤクザな職業の人間だった。
 それは、彼が率いてきていたメンバーが、どいつもこいつも荒んだ雰囲気を身に纏っていたからだろう。
 一人で立っていればエリートサラリーマンにすら見える気品が、その立場を反対に物語ってしまっていた。

 近くにいた婦警に尋ねれば、どうやら、傷害で現行犯逮捕された仲間の保釈願いに来て、一悶着しているところらしい。
 警察としては、一般人なら厳重注意で開放する程度でもヤクザならば罪に問うことが当然で、保釈などとんでもない、というのが常識だったのだ。

 だが、どうも、聞くところによれば、喧嘩を吹っ掛けられたのはその逮捕されているヤクザ者の方で、喧嘩の相手で傷害の被害者とされている一般人は、とうに厳重注意を受けて解放されているらしい。

 そりゃ、彼らが納得いかないのも当然だ、と、武人は肩をすくめた。

 抗議は部下に任せて佇んでいるその男につつっと寄っていって、武人は軽く会釈をしてみせた。
 どうも顔に見覚えはないのだが、身に纏う雰囲気やらを鑑みるに、きっと相当の実力者だ。正体を探るには絶好の機会だった。

「どぉも。災難ですね」

 声をかけられて、無視もできなかったのか、ちらりと武人を見やったその男は、少し怪訝な表情を見せた。
 見るからに私服警官らしい武人に声をかけられて、興味を持ったらしい。
 あんたは?と視線で問われる。

「本庁で刑事やってます。どうも、管轄外なんで口利きできないんですけどね。あんたに興味を持ちまして」

 この件については役立たず、という情報を悪びれもせずに明かして、率直に答える武人に、彼は少し笑ったらしい。
 口元が緩んだ程度だが。

「管轄外はこっちも似たようなもんだ。うちで相手にしてるのは神奈川だからな」

 なるほど、それで見知った覚えがなかったのか、と納得した武人だ。

「差し支えなければ、どこの組のお方か教えてもらえませんかね?」

「……あんた、マル暴にしちゃ腹芸の似合わねぇヤツみたいだな。そんな素直でやっていけるのか?」

 呆れた顔でそう言われて、しかし、武人はその台詞に驚いた。武人の所属をあっさり当てられてしまったのだ。
 こちらが知らないだけに、驚きもする。

 その武人の驚いた表情で、しかし、そんな素直さに改めて彼は楽しそうに笑った。
 知らない人間が見れば、社会のはみ出し者だとは思いつかない、穏やかな笑い方だった。

「大倉で役職についている。神奈川県警に問い合わせればわかるだろうさ。面子があるんだろうけどな?」

「そうですねぇ。個人的興味で他県に問い合わせられるほど安い面子は持ってませんね。残念です」

 まるで茶化すような返答だが、それは武人の本心だ。
 まいったな、と実に素直に頭を掻いた。

 まるで取り繕わない武人に本気で好感を持ったのだろう。
 今度は彼の方から話しかけてくる。

「口利きできないのはわかったが、状況説明も口止めされているのか?」

「いいえ。ご説明くらいはできますよ。でも、窓口に聞いていらっしゃること以上は、俺にもわかってないと思いますけど?」

「ふん。会わせられない、釈放できない、説明なし、って状況よりはよっぽど聞けそうだろ。せめて、釈放できないなりの説明をして欲しいんだが」

「あぁ。そのくらいなら。っていうか、説明しないんですか、うちの連中。すみませんね、お時間とらせて」

 担当者に言わせれば、ヤクザに説明する義務はない、というのだろうが。
 そもそもこの紳士然とした男が現行犯逮捕を覆そうとしているとは思えない。
 手間取るくらいなら、正直に説明してお引取り願った方が良いというものだ。

 全治数日ほどの怪我とはいえ、一応は傷害で現行犯逮捕では、書類送検も略式起訴もせずに釈放できないのだ、という簡単な説明を彼自身にすれば、それで彼も納得したようで、窓口に群がっていた部下たちを一喝して引き上げさせ、自分も飄々と退出していった。

 去り際に礼だといって渡された彼の名刺には、大倉組の若頭であるという肩書きと共に、近江貴文という名前が書かれていた。





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