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チュンチュンと、大倉家の庭を我が物顔で飛び回り囀るスズメの声に、七瀬は目を覚ました。
眠りについたとき、側には大聖寺が控えていて、そのぬくもりに安心したものだが、今は一人で自室の布団に包まっている。
ちょうど梅の花が満開のこの時期。朝夕は冷え込んで寒いのだ。
ただでさえ朝に弱い七瀬は、目が覚めても布団の中でまどろんでいた。
うとうとと舟を漕ぎつつ、布団の中で転がり回っていた七瀬に、襖の向こうから声がかかる。
「失礼いたしやす、若。お目覚めでいらっしゃいますか?」
それは、昨夜眠りにつくまで側にいた男の声だった。
何しろ幼い頃から一番近くにいた男だ。家族よりも気安い相手だったりする。七瀬も無意識に甘えていた。
「ん〜」
寝ぼけた声を返す。
と、それを起きている証拠と取ったのか、ガラッと勢いよく襖が開いた。
七瀬の許しも無く襖を開けるなど、大聖寺なら七瀬が中学に上がった頃から今まで、したことがない。
が、声がしたのは間違いなく大聖寺の声だった。
さすがに驚いて、七瀬は布団を跳ね除ける。
「わぁお。魅力的なお姿」
「……なんだ、貴文か」
大聖寺の隣に立つ、七瀬と大して歳も変わらない年代の男に、七瀬はがっくりと肩を落とした。
この男なら、勝手に七瀬の自室の戸を開けることもありうる。
七瀬は眠るときは下着を付けない癖がついている。
それは、普段から多種多様な男を抱き枕にしているせいだった。
寝巻きを身に付けられる保証が無いから、寝巻きは着ない習慣を身に付けたわけだ。
その習慣を知っているはずの貴文は、くっくっと楽しそうに笑っていた。
「貴文、お前なぁ。親しき仲にも礼儀あり、って言うだろ?」
「と思うなら、さっさと服着ろよ。忘れてるだろ。今日は朝から会議」
「……だった」
指摘されて、今度こそ大慌てで身支度を始めた。
七瀬に親しげに名前で呼ばれているこの男。
名を近江貴文という。
組の若衆を束ねて実績を上げ、その統率力を買われてこの若さで本家に上がれるまで伸し上がってきた。
まだ二十代も半ば頃で、年寄り衆から見ればそこらのチンピラと変わらない若造だ。
七瀬にとっては親友とも呼べる間柄の貴文だが、その付き合いはごく短い。
貴文は専門学校を、七瀬は高校をそれぞれ卒業した直後に出会っていた。
初顔合わせの場所は本家から最も近い駅前テナントビルに入った事務所内だ。
一見何の接点も無いように見える二人だが、出会って名乗りあってみれば、出身中学高校ともに同じで、映画や音楽などの趣味も合う。
武闘派と言うよりはインテリ系の二人は、ヤクザ稼業でも阿吽の呼吸で、若頭である七瀬にとっては最も使いやすい部下なのだ。
生まれた立場から友人と呼べる相手などほとんどいなかった七瀬にとって、初めて出来た気の置けない相棒だった。
ほとんど運命とも呼べる出会いからすでに五年。
七瀬の口添えが無くとも、七瀬の親友である立場を巧みに利用しつつ世渡り上手な性格と人員配置人心掌握術のその実力で伸し上がってきた貴文は、すでに二年ほど前からこの本家に直接出入りし、七瀬の部屋にも自由に来られる立場を確立していた。
今や大倉組の将来になくてはならない人物の一人だ。
その貴文と大聖寺に手伝われて、大急ぎで身支度を整えた七瀬は、二人に半ば引きずられるように、玄関をはさんで向こう側に位置する大広間へと急いだ。
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