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横内晃歳に退院の許可が下りたのは、入院してから丁度三週間目の水曜日のことだった。
晃歳の迎えには、組員ではなく、貴文がやってきていた。
病室の入り口ですれ違った、見慣れない男を見送っていると、晃歳の方から声がかかった。
「刑事だよ」
「今頃ですか?」
「取引阻止のお手柄に免じて銃刀法違反を見逃してやったんだから、しばらく大人しくしてろ、って嫌味を言いにな。
七瀬の代理だろ? お疲れさん」
すでに帰る準備は終わっていたらしい。ヤクザの組長としてはどうかと思うが、デパートのモノらしい紙袋を二つ提げ、晃歳はニヤリと笑って貴文に近寄っていく。
対して、貴文は深く頭を下げて出迎えた。
「外で若頭がお待ちしております」
お持ちしましょう、と声をかけ、二つの紙袋を受け取る。そして、貴文が先に立って歩き出した。
二人とも特に大柄な体格でもなく、どちらかといえば温厚な性格が現れた容姿のため、何も知らずにすれ違うと、どこかの会社社長と秘書のようにも見えた。
通りがかりのナースセンターで挨拶をし、正面から堂々と病院を出る。
さすが警察病院で、警備は手厚く、本物の警官が常時見張りに立っているらしい。お世話様、と晃歳が声をかけるたびに、敬礼が返ってきた。たぶん、辰巳組組長とはわかっていないのだろう。
正面玄関より少し離れた来客用駐車場に、シルバーメタリックの七瀬の愛車が停まっていた。運転席には七瀬の姿がある。
直接助手席のドアを開けて、貴文は晃歳を促した。晃歳が乗り込むのを待って扉を閉め、後部座席のドアを開けて晃歳の荷物を置くと、そのままの姿勢で七瀬に話しかける。
「七瀬。安全運転で」
「誰に言ってんの。
あ、総長が事務所で暇そうにしてたらで良いんだけど、計画は順調ですよって、言付けよろしく」
「りょ〜かい」
後部座席の扉を閉めて車を離れたのを見届け、七瀬はアクセルペダルに足を乗せる。走り去っていく車を、貴文は頭を下げて見送った。
車は飯田橋駅前を通り過ぎ、首都高速飯田橋入り口へ進んでいく。
都会の喧騒が、窓越しに通り過ぎていき、防音壁に視界を遮られた。その頃になって、ようやく七瀬が話しかける。
「やっぱり、早かったね。退院」
「傷が塞がれば良いんだから、遅いくらいさ。それにしても、まさか七瀬の愛車に乗せてもらえるとは思わなかった」
「ふふ。実はね、その助手席に座るの、貴方が二人目」
「一人目は、さっきの彼?」
「親友だからね。嫉妬する?」
「出会ってなかった頃まで遡って嫉妬するほど、ガキじゃないさ」
それは、そんな台詞が出てくること自体、実は嫉妬した証明なのだが、二人ともわかった上で、ふふっと笑いあった。
再び、会話が途切れる。それは、重苦しいものではけしてなく、なんとも穏やかな沈黙だった。
「さっき、総長に、って言ってたのは?」
「うん。それを、話さなくちゃね。貴方に協力してもらわなくちゃ進まない計画なんだ」
あのね、と子供っぽい接続詞を使い、説明を始めたそれは、そんな口調とは裏腹の腹黒い計画の一部始終。
七瀬が組長を継ぎ、辰巳組を吸収し、川向こうの大田区一帯や、横浜方面といった、関東双勇会とは違った組織に支配された縄張りに手を伸ばしていく、その足がかりを作る。
その計画を、七瀬は水面下で着々と進めてきた。
これまでは、夜間は姫の仕事で忙しく、何かを企むにも時間が自由にならずに諦めていたが、姫を一時休業した今、時間は有り余るほどにある。
実力者との顔合わせ、今まで培った人脈の確認、手下の再教育。どれもこれも、今後を見越した準備作業だ。
すべては、組長として肩書きを受け継いだ瞬間に発動できるようにという、下ごしらえだった。
晃歳は、辰巳組を吸収するという七瀬の言葉に、驚くことなく頷いた。
自分で、組を潰しても良い、と言い切った時点で、覚悟は出来ていたのだろう。あまりにもあっけなくて七瀬が拍子抜けしたくらいだ。
「異例だけど。副長の立場を作ろうと思ってる」
「俺?」
「そう。あくまで、辰巳組は潰すのではなくて吸収するんだから、組長に対してそれなりのポストを用意するのは必要なことだと思うんだけれど、若頭の人選は決まっちゃってるんだ」
「近江さんか」
「来週の会合、若手を集めるでしょう? あれに行ってもらう。
今日の用事は、そのための打ち合わせなんだ」
「みんな七瀬を期待してただろうに」
「大倉には、俺だけじゃないんだよ、若手は」
その期待は、わかっているのだろう。だが、あえて期待を裏切る。
今後の組織編制にとって、貴文の存在は不可欠だ。
処理能力は今までの若衆頭の実績で証明済みだし、何しろ七瀬の親友。それこそ阿吽の呼吸が出来る人間だ。
それに、助手がついたことで判断力にも威厳にも深みが増した。今なら、若すぎるなどという抗議も出ないだろう。
そのためには、貴文の存在を内外に知らしめる必要があったのだ。若手を集める今回の会合は、うってつけの舞台だった。
なにしろ、隣である辰巳組の組長ですら、名前だけは知っている程度なのだ。もちろん、必要があって隠してきたのだから当然だが。
「辰巳組さんは、誰が行くの? さすがに組長ではないでしょう?」
「新城だろうな。大舞台に出して見劣りしないのは、あれくらいだ。若手と言ってももう三十も後半だし、最年長だろうなぁ」
どうやら、若手の人材が足りていないらしい。辰巳組のシマは向こうに任せようと思ってたのだが、相談してみるべきかもしれない、と七瀬は計画を少し考え直す。
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