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だが、その目的そのものに、晃歳は待ったをかけた。
「どうして器じゃないって判断したの。七瀬は大倉の若頭として十分以上の役目を果たしてるじゃないか」
「そう……かな?」
「そうだよ。この辺のガキどもにオモチャばら撒かずに済んだのは七瀬の指示のおかげだし、神龍会と交渉したのも七瀬自身だ。俺にはきっとできなかったよ。
そもそも、俺は七瀬を俺の片腕に欲しいと思ったくらいなんだ。俺の人物評まで否定するつもりかい?」
ちなみに、同じ親組織に列する兄弟分ではあるが、今すぐ発火するような火種こそ無くとも、一応シマを接する敵対勢力同士だ。敵の若頭を組長自ら誉めるなど、前代未聞。
「そんなに誉めても何も返せませんよ?」
「見返りなんか期待して無いさ。事実を事実のまま言ってる。
情け無い話だけど、俺はうちの組に来てもらっても七瀬を守ってあげられない。
まだ自分の部下を扱いきれていないっていうのがうちの現状でね。でなきゃ、嘘でっちあげる必要は無いだろう? 組長に楯突く部下なんか、本来許されないぞ」
あぁ、そりゃあまぁ、と七瀬は曖昧に頷いた。その反応に、晃歳はさらに苦笑を返す。
「俺はね、七瀬。組長になった七瀬と兄弟杯を交わしたいって、真剣に思ってるんだ。
貴方が親分でいてくれるなら、個人的には子分になっても良いくらいだけれど、うちにも面子がある。それは、叶わない願いなの?」
それは誉めすぎだろう、というほどのベタ誉めで、七瀬は逆に眉を寄せたが。晃歳は本気で言っているらしく、実に真剣な表情だ。
「それ、買いかぶりすぎ」
「いやいや。正当に評価してるよ。だからさ、考え直さない? っていうか、是非考え直して」
ね。と念を押す姿はまるで懇願ですらあった。
それだけ誉めちぎる相手が自ら部下にして欲しいと望んでいるのだから、叶えてやった方が自分にとっての利益に繋がるはずだが、そこはまったく眼中に無いらしい。
「でも……」
「逃げるの?」
「……晃歳さん、意地が悪い」
ヤクザにとって、逃げる、とは、面子に関わるタブーの一つだ。それを言われると、さすがに七瀬も弱い。
わかっていて言っているのは、双方共に承知している。
だからこそ、七瀬は取り繕いもせず、軽く膨れて見せた。
「わかったよ。わかりました。
でも、俺に考え直しを要求するなら、晃歳さんも何か協力してくれなくちゃ」
「だから、言ってるだろ? 七瀬を守らせて欲しい、って。
できたら、恋人が良いなぁ」
ふざけて言うその台詞は、本気と冗談が五分五分なのだろう。本人が、くっくっと、まるで信じていないように笑うのだからどうかしている。
それに対して、七瀬は少しだけ微笑んだ。
「場合によっては、どちらかの組を潰すかもしれない」
「望むところさ。……うーん。事前に言ってくれたら、こっちを壊すけど?」
「組長としての自覚、ある?」
「あるさ。だからこそ、うちの組は必要ないと思うね。川崎には、双勇会系列は一つで十分だ」
それは、組長としては問題発言では無いだろうか。さすがに簡単に頷けず、七瀬は苦笑をするしかない。
ただ、七瀬がこれからしようとしていることを、全面的にバックアップしてくれるようで、少しほっとした。
「片付くまで、待ってくれる?」
「片付く、というのは? 組を一つ潰すまで、か?」
「うぅん。少なくとも地盤を固めるまで。姫の仕事も辞める算段をつけなくちゃ」
「あぁ、それはうれしい」
片想いの相手が身体を売る仕事をしているというのは、自分には拒否権が無いだけに、厄介だったりする。それを本人が辞めるというのだから、晃歳にとっては万々歳だ。
それより、今の話の流れに、晃歳は引っかかった。
「七瀬。……もしかして、恋人になってくれるのか?」
「……まだ、好きって訳ではないけど。それでも良ければ」
「十分だよっ」
ぱっと晃歳の表情が明るくなる。それこそ、年甲斐も無く、まるで思春期の青少年のように。その喜びように、七瀬は楽しそうに笑うのだ。
「俺は、晃歳さんを利用してるだけなのに」
「何をおっしゃいます。七瀬になら喜んで利用されるさ」
もちろん、好きだと言ってもらえるのならその方が何倍も良い。
けれど、そもそも片想いを覚悟していることなのだし、それが一歩でも先に進むのなら、嬉しいことに違いない。
「また後日、うちに来てもらっても良い?」
「恋人として?」
「うん。恋人として、挨拶に」
普通の恋人同士なら、付き合い始めて間もないうちに家族に挨拶に赴くことなど、あまりないだろう。
だが、二人の間柄は、隣り合ったシマを持つ暴力団幹部。しかも、組長と若頭。もはや、二人だけの問題ではない。
それは、二人とも百も承知していることだから、今更理由の確認などしなかった。
「退院してからで良いかな?」
「してないの?」
「今日は、外出許可を貰ってきただけさ。まだ、ここに糸が入ってる」
それならば痛むだろうに、ポンポンと軽く患部を叩いてみせる。
平気そうな顔をしているから、心配する必要は無いのだろう。
けれど、やはりその傷の原因を作ったのは七瀬なのだ。そう自覚があるから、少し痛い表情だった。
「……ごめん。無理させ……」
「七瀬」
またも申し訳なさそうな表情をする七瀬に、晃歳は強い口調で呼びかけた。びくっと七瀬が言葉を切る。
「これは、俺が判断して俺が決定したことだ。七瀬にはこれっぽちも責任は無い。実際、俺は俺の判断に満足してるんだ。七瀬に謝られたら、俺が困る」
ね、と念を押されて、七瀬にはそれを否定する材料も無い。なので、素直に頷いた。
頷く七瀬に満足そうに笑い、晃歳は伝票を持って立ち上がる。
「そろそろ戻ろう」
「はい。……あ、財布」
「いいよ、ここは俺が持つ。泣いてた人は遠慮しないの」
行こう、と伝票を持たない手を差し出すので、七瀬は一瞬躊躇して、その手を取った。ぎゅっと握られて安心する。
「ありがとう」
ようやく出たお礼の言葉に、晃歳はただ笑って返した。
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