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戸山に素直に追い払われて、晃歳が七瀬を促したのは、屋敷の外だった。
数分歩けば繁華街に出る地理条件なので、何食わぬ顔で喫茶店で時間を潰すのも問題ない。
あと三十分もすれば告別式の始まる時間だが、今まで涙の一つも見せなかった七瀬が、泣きはらした顔で晃歳と一緒に身内の前に出るわけにはいかなかったのだ。
アルバイトらしい女の子にあたたかいお絞りを頼むと、七瀬の顔に泣き痕を見つけて合点がいったらしく、清潔なお絞りを持って来てくれた。
「落ち着いた?」
「うん。ありがとう、晃歳さん。優しいんだね」
「弱いところにつけこんでるのさ」
「ふふっ。正直」
それが冗談だとわかっているから、七瀬は楽しそうに笑った。すぐに表情が曇ってしまったが、今の状況では仕方が無い。
ともかくも、少しは笑わせてあげられてほっとした晃歳は、それからふいに真面目な顔に戻った。
真正面から、腫れぼったい目元にお絞りを当てて休んでいる七瀬を見据える。
「神龍会に話を付けてくれたと聞いた。感謝します」
急に硬い声色になった晃歳に、七瀬は驚いたらしく、お絞りをどけて晃歳を見返す。それから、弱弱しく首を振った。
「私が私の判断ミスで巻き込んでしまったことです。大事になる前に決着が付けられて、首の皮一枚で助かりました。それだけのこと」
「それだけというには犠牲が大きい。大聖寺さんの事については、あれは俺の役目だった。病院でのほほんと寝ていた自分が恥ずかしい」
本気でそう思っているらしく、申し訳なさそうに謝る晃歳に、七瀬は首を振るしか出来なかった。
そもそも、黄との対談こそ、七瀬の独断なのだ。
七瀬自身は一人で行くつもりだったし、大聖寺は無理やりついてきただけ。その上、襲撃されたことも、事故に近い。
晃歳が申し訳なく思う理由など、これっぽちもないのに。
「七瀬」
「はい?」
膝に拳をつき、身を乗り出すように呼びかけられて、七瀬もつられて姿勢が改まる。
「俺に、七瀬を守らせて欲しい」
「……え?」
これだけはっきりした口調で言われれば、聞こえなかったということはありえず、ただ、その言葉に混乱してしまって、七瀬はきょとんとした目を晃歳に向けて問い返す。
晃歳はしっかりと七瀬を見返していた。
「今の立場を捨ててくれとは言わない。いや、むしろそのままでいて欲しい。ただ、俺自身の我侭として、七瀬を守りたいだけだ。これ以上、七瀬が悲しむ姿を見たくない」
「……俺のために命をかける人に、俺を守らせるわけにはいかない、って前に言いましたよね?」
「七瀬。それは無理だ。
七瀬が望もうと望むまいと、命を張って守りたいと思わせる魅力が七瀬にはある。俺がしなければ、近江さんやこないだ一緒だった男前の彼が、その立場に取って代わるだけだろう。
それが嫌なら、七瀬自身が無茶をしないことだよ」
それは、言われるまでも無くその通りだ。
大聖寺が良い例だろう。七瀬が望まなくとも、彼らの方から命を投げ出して助けてくれる。それは、七瀬には止められない。
「俺なら大丈夫。俺を守る盾はいくらでもいるし」
「それは、辰巳組の兵隊さんでしょう?」
「良いのさ。あいつらは、俺を守るのが仕事。結果的に七瀬を守ることになったとしても、建前に間違いは無い」
「ヒドイ上司」
「守らせてくれないわ命は粗末にするわ、って上司よりはマシだろう?」
「……すみません」
結局負けてしまったのは、きっと今七瀬の弱点だったせいだろうけれど。
タイミング良く店員が持ってきたアイスコーヒーに口をつける。二人とも、表情はだいぶ固い。
「七瀬。俺は七瀬に惚れてる。惚れた相手を守りたいのは、自然だろう?」
「けど……」
「勝手に惚れて勝手に付きまとって勝手に守るんだ。七瀬はただ、放っておけば良いんだよ」
そんな風に、まるでからかうように言うけれど。それから、晃歳は自嘲するように笑った。
「もちろん、恋人としてもらえるのなら、その方が嬉しい。
でも、今は七瀬に色恋のことを考えていられる余裕は無いことも承知してるんだ。
だから、今はまだ、俺の片想いで良いのさ。落ち着いたら、その時は容赦なく迫ってやるから」
な、と確かめるように言う晃歳に、七瀬は驚いて見返していたが、それから、軽く頬を染めて俯いた。
「姫なんてしてた俺で良いの?」
「過去は過去だろう? それを七瀬が納得していたなら、俺に言えることなんて無いし、恋人がいながらその仕事は困るけれど、今の関係では俺は口出しが出来る立場じゃない」
もちろん、悔しいけどな、と語気も荒く憤慨してみせる晃歳に、鼻で笑われて、七瀬も素直に笑った。
その笑顔が晃歳の心臓を打ち抜いている自覚など、七瀬には無い。
くすくすと笑っていた七瀬は、それからふと真面目な表情になると、晃歳をじっと見つめた。
「惚れた弱みで、協力して欲しいことがあるんですが、引き受けていただけますか?」
「俺にできること?」
「えぇ。貴方にしかできないこと」
確かめられて頷いて。七瀬が晃歳に打ち明けた内容は、今はまだ貴文にも相談の出来ないトップシークレットだった。
「貴方の配下に、俺の居場所を提供してください。貴方の愛人の立場でも良い」
「……はぁ?」
それは、聞いた晃歳にとってはあまりに突拍子も無い申し出だった。
真剣な表情は冗談の入る隙は無く、七瀬の真意がまったく読めない。
その晃歳の反応に、七瀬は困ったように俯く。
「俺は、若頭の器じゃない。元々わかっていたことだけれど、今回の件ではっきりしました。
といっても、一度引き受けたこの立場を返上する理由が見当たらなくて。たぶん、組抜けするからには代償があるでしょうし、ヤクザ稼業が染み付いてるから今更カタギにもなれないしなりたくもない。
なら、貴方の側が一番居易い。卑怯でしょう? 俺。貴方に惚れた、っていう理由が、一番しっくりいくなぁ、って。すごく自己中」
自己中心的だとは、晃歳は思わなかった。
綺麗な身体に傷をつけたくなかったし、自分が守れるのなら、理由など何でも良い。
それに、その理由は確かに晃歳も使った。
晃歳の場合は七瀬を守るのに身体を張った理由をでっち上げ、七瀬は自らの立場を捨てる理由にしたいのだそうだ。
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