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 見送って、戸山は肩をすくめた。

「七瀬がいなくなったら、この組は誰が跡を継ぐんだろうな」

「そりゃ、七瀬の叔父の千里さんだろうけど……。
 ん? 仁、お前今、七瀬って言ったか?」

「あ?
 ……あぁ、そうそう、大倉、な。間違えた」

 それはおそらく、意識せずに口をついた言葉だったのだろう。
 だが、普段から戸山が七瀬や貴文を苗字で呼ぶことに疑問を感じていた貴文にとっては、聞き流せる言葉ではなかった。

「間違えた、じゃねぇよ。何お前、七瀬のこと名前で呼んでたんじゃねぇか。何で苗字に拘るんだよ。みんな七瀬って呼んでんだぞ。かえって不自然だろう」

 自分が名前を呼んでもらえないことももちろん気に入らないが、それ以上に七瀬を苗字で呼ぶことに妙に拘るこの相棒に、不信感すら抱かずにはいられなかった。
 戸山は、ただ誤魔化すつもりのようだが、今日という今日こそ、貴文は誤魔化されるつもりは無い。

「もう誤魔化しは利かないぞ。別に、七瀬に対して今更他人行儀もないだろう? 七瀬を苗字で呼ぶ奴なんか、お前くらいだ」

「あぁ、知ってるけどな。別に良いじゃねぇか。大倉だって気にしちゃいねぇだろ」

「そりゃ、あいつは相手の意思最優先だから。でも、お前な。チンピラ連中に反感買ってんだぞ。新顔のくせにいきなり俺の片腕で、しかも特別扱いだ。庇う俺の身にもなりやがれ」

「庇う必要なんざねぇ。放っとけよ」

 それは、いくらなんでも突き放しすぎだった。
 さすがにムカついた態度の貴文に、言ったその場で反省した戸山は、即、謝罪の言葉を続けた。ごめん、と。

「……お前、それ、本音?」

「悪い、口が滑った。思ってもねぇよ。近江にはいつも感謝してる」

「じゃあ、口が滑ったついでに吐け。何で苗字に拘るんだ。七瀬も俺も」

 七瀬たちを追いやったものの、さすがにまだ客の来ない受付は妙に静かで、戸山が困って舌を打つ音もしっかり聞こえた。

 この友人を失うわけにはいかない戸山としては、ここで誤魔化しきることはできず、気まずそうにそっぽを向く。

「惚れてんだよ」

「……誰に?」

「七瀬。一目惚れだった」

 それはさすがに衝撃の告白で、貴文は戸山の明後日の方を向く横顔をまじまじと見つめてしまった。

 一目惚れ、ということは、あの中学生の時か?

「俺なぁ。最初から知ってたんだ。この家がこの辺のヤクザを締める一家の本家だってことくらい。
 周りのガキ共は気付いちゃいなかったが、うちは親父が飲食店やっててショバ代も納めてたしな。その家のガキが、ただの中坊にいい様に言われてんのが不思議だった」

「それで、呼び出せ?」

「そう。家の権力振りかざして俺らを脅して見せてくれりゃ、こっちも簡単に引き下がれる。
 無知なガキの暴走で取り返しのつかないことになる前に手を引かせて、俺の面子も潰れることはねぇし、丁度良いと思ったんだ」

 ところが。七瀬は抵抗しなかった。家のことなど一度も言い訳にすら出さなかった。
 正体を知っていたのなら、戸山の内心はビクビクものだっただろう。いつバレてシメられるかわからない。コンクリート漬けがありうる仕打ちなのだ。

「まずあの女みたいな顔立ちにふらっときて、抵抗しないで受けて立った度胸と男気に惚れこんだ。
 最初はたしかに輪姦したけど、その後はずっと他の奴には手ぇ出させなかっただろ?」

「……まさか、俺らが卒業すると同時に七瀬の正体がバレたのは……」

「俺がバラしたのさ。正体知らずに小突き回してるアホ共に思い知らせてやりたくてね」

 七瀬にも、あの当時はキレまくっていて、と言わしめた戸山は、内心ではそんなことを考えていたらしい。
 少しどころが大いに意外で、貴文は親友を見つめてしまった。

「今も?」

「あぁ、今も。
 我ながら一途だぜ? 告白するつもりもねぇくせに、恋人いない歴更新中だ。
 それこそ、誰かのモンになってくれりゃ、諦めもつくってもんだ」

「告っちまえば良いじゃねぇか」

「振られるくらいなら憎まれていたいと十年前に思った時点で、俺にその選択肢はねぇな」

 それに、と続けて、戸山は久しぶりに貴文に困ったような苦笑を見せる。

「自分の罪深さを思い知った時に、俺はあいつが恋人を作るまで近くにいて守ると誓った。
 あいつを傷つける人間に、あいつを幸せにすることはできねぇよ。俺自身が許せねぇ」

「じゃあ、便所受け入れてたのは……」

「受け入れて、なんてぇと、俺が上位みたいじゃねぇか。あれは、俺に対する正当な罰さ。やったことに比べりゃ、生ぬるいくらいだろ」

 確かに、藤沢で再会した時、まったく動じない彼に戸惑ったものだが。
 七瀬に対して犯した罪を七瀬に命じられて償うのに、怒る必要性など微塵も感じなかった。そういうことだったわけだ。

 そういえば、償わせてもらえてラッキー、とまで言っていた覚えがある。

「名前で呼ばないのも、自分のケジメなのさ。
 別に近江にまでそうするこたぁねぇが、まぁ、誰も彼も苗字で呼んでりゃ、大倉を苗字で呼ぶのもそんなに違和感ねぇだろ?」

 七瀬を七瀬と呼ばないのには理由があり、貴文を貴文と呼ばないのはもののついで。
 説明されれば納得してしまって、納得した自分に貴文は頭を抱えた。納得してしまったら、受け入れるしかないではないか。

 貴文の片腕となってから、貴文以上にヤクザらしく、貴文以上に頼りになる男だったが、根底にそんな想いがあったとは、想像もしなかった。

「ツライ恋だな」

「自業自得ってもんさ。誰のせいでもない、自分が選んだ道だ。自分の業を考えりゃ、恵まれてるくらいだぜ。
 恩は返す主義なんだよ。まして、惚れた相手だ。命かけたって惜しかねぇや」

 始終笑ってはいるけれど。
 戸山を見つめて、貴文は痛そうな表情を隠せなかった。
 きっと、七瀬にはまったく伝わっていない。思ったより優秀な彼に喜んではいるのだろうが。

 戸山の覚悟を聞いてしまっては、キューピッドを務めることもできないけれど、何とか戸山にも幸せになって欲しいと思う。
 これだけ純愛を貫いているなんて、貴文は思わなかったのだ。

 貴文自身、七瀬のことは親友としてしか見られないが。
 こんなに思いつめるほど愛している人が側にいたことも、知らなかったが。
 二人とも、想い、想われる、それだけの価値がある人間であることは知っている。
 七瀬は戸山に惚れられるだけの男だし、戸山も七瀬に惚れるだけの人を見る目を持っているとわかる。

 できることなら、二人にとって一番良い形に納まって欲しい、と貴文は思うのだ。
 二人とも、貴文にとっては大事な友人なのだから。

「七瀬には、幸せになって欲しいと思うよ。俺が不幸にしちまったから、なおさらな」

「不幸か?」

「だろうよ。少なくとも、俺がいなきゃ、まともに女に恋ができていたはずだ」

 間違いなく、あの時戸山に強姦されるまでは、そんな趣味など無かったはずなのだから。
 まぁ、戸山も七瀬に出会わなければ恋することもなかったわけで、何とも難しい。

「七瀬を好きになったこと、後悔してるのか?」

「だったら、今頃隣に女はべらしてるさ。
 それはねぇよ。あいつに会わなきゃ、今の俺はいないんだぜ。後悔なんかするわきゃねぇ」

「じゃあ、七瀬もきっと、後悔してないよ。あいつ、本当に仁を気に入ってる」

「何? 慰めてくれてんの?」

「……まぁな」

 確かに、戸山に犯されなければ、普通に着実に、ヤクザの若としての道を歩いていただろう。
 しかしそれも、七瀬が望むのなら、だ。
 中学生当時、家を継ぎたくなくてもがいていた七瀬に、その行為が引導を渡したのなら、それもまた必要なことだったのだ。

 この世に無駄なことなどあり得ないと思う。
 良いことも悪いことも大きなことも小さなこともひっくるめて、今までの過去が現在を作っているのだ。
 殺人や誘拐などの凶悪犯罪を正当化したいわけではないが、貴文は今まで汚い世界も清い世界も見てきた経験上、そう思う。

 大体、あの事件がなかったら、自分は今頃普通にサラリーマンだ。
 社会に愚痴を零しながら、社会の歯車の一つを何の疑いも無くこなしていたことだろう。

「まぁ、でも。それももうしばらくで終わりかな」

 くすくす、と楽しそうに笑いながらの言葉に、貴文は戸山を見つめてしまったが。思い当たる人物に眉を寄せた。

「相手が問題だろ」

「仕方ねぇさ。案外七瀬の中ではすでに、整理がついてるのかもな」

 あの七瀬が素直に胸を借りたくらいだからな、とボヤくように言うから、貴文もまた、つい先ほどの光景を思い出し、ため息を漏らす。

 確かに、自分にすらなかなか懐かなかった七瀬が、人の胸を借りて泣くなんて、それだけでも大事件だ。

「まぁ、七瀬が幸せなら、他はどうでも良いんだよ」

「……そうかもな」

 できれば、泣き顔ではなく、笑顔で納得させて欲しかったが。

 まぁ、そのうち笑顔も見られるだろう。
 そう思うと、それだけで楽しみが出来たようなワクワク顔になる、現金な二人だった。
 なんだかんだ言っても、やはり親友同士、思うことは同じらしい。





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