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仕事の話をしていれば気が紛れたのだろう。結論が出てしまうと、それ以上話すこともなく、七瀬はまた寂しそうに俯いてしまった。
放っておけばどんどん泥沼に沈んでいくのが目に見える七瀬の様子に、両側から心配そうに見守る二人は、昔から息の合う親友のように、顔を見合わせ、互いに首を振った。
かける言葉が見つからなかった。
父のようにも兄のようにも慕っていた相手が、自分を守って目の前で死んでいったのだ。それも、親しくしていた相手が自分を守って銃弾に倒れた直後だ。
そのショックは、計り知れるものではない。
重苦しい沈黙が、その場に下りる。
本日最初の弔問客は、告別式の開始時間よりも三十分も早く到着した。
黒塗りの高級車だった。車両重量もずっしりとした、フルスモーク防弾ガラス張りで、その所有者もまた、それに見合った立場の人物。
まだ入院中のはずの、横内晃歳であった。腕は吊ってあるものの、それ以外は健康そうだ。
こんなに早く来客があるとは思っていなかったので、のんびりとくつろいでいた三人は、慌てて受付を整えた。
若頭といえば、組のスポークスマンとしての立場もある。この場合、賓客を出迎えるのは七瀬の仕事だった。
助手席から降りて後部座席のドアを開き腰を折ったのが、彼の組織内ではナンバー2と目される人物であることに驚きながら、恭しく晃歳を出迎えた七瀬は、下げた頭を撫でられて、さらに驚いた。
はっと顔を上げると、気遣うように見守ってくれる晃歳と目が合った。
「七瀬には、頑張ってる顔は似合わないよ。胸貸してあげるから、泣いてすっきりしたら?」
本来お悔やみを言う場面で、しかし、晃歳が選んだ言葉は、故人を悼むものではなく、故人に守られた人を慰めるものだった。
おいで、と両手を広げ、自分から七瀬を抱きしめる。
人の腕に抱かれると、その体温が身体全体を包み、温められる。その人肌の温度は涙を誘うのにうってつけだ。
泣くつもりなどなかったのに、涙は勝手に零れ落ちる。
「良く頑張ったね」
その一言が、堰を破った。
はらはらと流れ落ちる涙はとめどなく、晃歳の肩を濡らしていく。
縋りつくように腰に抱きつかれ、自らも七瀬の腰を引き寄せた。
晃歳が取った行動も驚いたが、それよりも七瀬が彼に縋って泣き出す様子により驚愕し、貴文と戸山は揃って目を見張った。
晃歳が伴ってきた辰巳組の若頭が、組の代表として記帳し、少なくない香典袋を差し出す。
大倉組の若頭を抱きしめるなどという非常識な行動を取る組長のことは、気にも留めていない。
香典返しの袋を受け取って振り返ったその若頭は、そこでようやく口を開いた。
「組長。ラブラブなのはわかりましたから、もう少し人目を気にしてください」
その言葉に、驚いたのは大倉組所属の面々だけだった。
貴文も戸山もぎょっと目を見開き、七瀬は慌てて離れようとして押さえ込まれる。
言われた晃歳は、実に気分を害した表情で若頭を睨みつけるだけだった。手は優しく七瀬の長めの髪を撫で付けている。
まったく、と呆れたように肩をすくめ、自分はボディガードの役目を放棄してその場を離れていく。
屋敷へ向かう彼を見送って、ようやく晃歳は七瀬を手放した。
「ごめんな、抱きしめたりして。泣けたなら良かったけれど」
今までの強引さが嘘のような腰の低さに、さらに貴文と戸山が驚いて顔を見合わせた。七瀬の表情も不思議そうだ。
「……らぶらぶ?」
まだ、付き合っていないどころか、付き合ってくれと申し込まれてもいない関係のはずだ。
しかし、今の若頭の態度は、とうに恋人同士であることが認識されている。
さすがに、まだ入院中と見える彼と、事件当日「友だちだったんだ」と改めて認識した程度の間柄だったはずの関係を、ラブラブの恋人同士に発展させる余裕は七瀬にはなかったはずだから、その認識は間違っているはずだと貴文は予測を立てる。
とすると、彼の誤認識の根源はどこかといえば、この晃歳自身に違いない。
「うん、まぁ、いろいろあってね。うちの組では、俺が七瀬に一目惚れして、猛アタックの末口説き落としたことになってる」
いろいろあっても、そのドリームな設定はいかがなものかと思われるが。
「あの時、俺が七瀬を庇ったところを見てた奴がいてさ。何で大倉の若頭を助けるんだ、盾にするならまだしも立場が逆だ、そもそもそんな危ない場所に組長自ら一人で突入するなんて危険すぎる、って非難の嵐だったわけ」
当たり前だ、と三人揃って突っ込むのに、晃歳はさすがに自覚があるのか肩をすくめて返すだけだ。
それで、と続けて言う。
「で、そのうるさいジジイどもを黙らせるにはどうするか、って考えたら、俺が七瀬に惚れこんで勝手にやったことだ、っていうのが一番辻褄が合うもんだから。
ほら、恋人同士にはまだなってないけど、まるっきり嘘でも無いだろう? 俺が七瀬に惚れたのは本当だし」
あの現場に行ったのも、惚れた七瀬を助けたいためだし。そう言って、晃歳は苦笑いを浮かべる。
今の状況でそんな告白を受けても、七瀬が応えられない事くらいは、重々承知しているのだろう。
「まぁ、その話はまた、落ち着いたらしよう。今は、故人を思い悼むことだけを考えなくちゃね」
あんなに積極的にぎゅうっと抱きしめていたのが嘘のように、晃歳は七瀬の頭をふわふわと撫でて手を離す。
あ、と呟いて離れていくその手を思わず追ったのは、撫でられたのが気持ち良かったせいだろうか。
もう一度頭に手を置くと、七瀬はただ俯いてしまったのだが。
身体が小さく震えているのに気がついて、晃歳は七瀬の頭をそっと引き寄せ、自分の肩に押し付けた。
「七瀬? 泣いてるの?」
首は横に振られたけれど。七瀬はどうやら離れるつもりは無いらしく、晃歳もまた手放すそぶりを見せなかった。
二人の様子に、貴文はなんとなくその関係を理解し、肩をすくめる。
晃歳の冗談は、案外冗談だけでもなく、七瀬もまんざらではないのだろう。
しかし、七瀬にとっては多分初恋だろうこの恋を、成就させるには障害も多い。
まったく、我が主は厄介な相手に惚れてしまったものだ。
今後発生し得る騒動事に思いを馳せ、頭を痛める貴文である。
そうは言っても、七瀬が望むのであれば、自分はこの恋を応援する側に回るのは間違いないのだが。
「泣いても甘えても良いけど、裏でやってきな。そろそろ客が来るぞ」
貴文の隣で同じようにその光景を見ていた戸山が、そんな風に言って二人を追い出す。
促されて、晃歳は七瀬を物陰の方へと誘導して行った。
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