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 大倉組舎弟頭大聖寺の突然の死は、内外に大きなショックを与えることになった。

 今、抗争の火種を持っていない大倉組としては、親しく付き合っている組のほとんどと友好な関係を維持しており、その功労者の一人として大聖寺の名が必ず挙げられるのだ。

 それに、大倉組の若頭、七瀬姫の教育係としても知られていて、当初は七瀬姫の仕事の窓口となっていたこともあり、その線でも有名人であった。

 その大聖寺が、七瀬を守って死んだという事実に、話を聞いた人の八割方は、きっと大聖寺に悔いは無いだろうと想像していた。
 まさに溺愛していたのは、有名な話なのだ。

 その反対に、七瀬も、親以上に懐いていた兄代わりとも言える相手の死をうまく受け入れられず、ただただ呆然としてしまっていた。

 東老人が手配してくれた車で自宅へ戻っても、感情がうまく戻らない。

 取り押さえられたその犯人は、神龍会の中でも、今回の取引現場で運悪く逃げ損ねた陳という名の幹部の直属の部下だった。

 七瀬が言った通り、神龍会所属の彼は、外交サイドを通じてその身柄はもうしばらくすれば釈放される段取りになっている。
 神龍会が七瀬を狙ったのは、今後の関係の布石も含めた今回の取引を邪魔されたという失態を取り戻すためであって、幹部が日本の警察に捕まったことへの逆恨みではない。
 それに、トップ会談で和解も出来た直後だった。それこそ、黄が七瀬をエスコートして店を出てきた時点で、七瀬の命を狙う理由は無くなったのだ。

 つまり、七瀬がそこで命を狙われたことは、それこそ新龍会の失態と言って良かった。
 取引の失敗などとは比較にならない。
 和解したその場で裏切られたのだから、まさに信用問題だ。神龍会幹部たちも内心恐々としているはずだ。

 この落とし前はこちらで、と申し出たのは、東老人と共に七瀬を送って来た黄だった。
 大倉組組長瀬尾としては、そもそも七瀬が大聖寺を供に横浜に出向いていたこと自体が初耳で、その申し出を断れるほどの判断材料を持ち合わせてはいなかった。
 瀬尾にとってはまさに、大聖寺の死は寝耳に水だった。

 その場で香典代として小切手を置いて、葬儀にまた挨拶に来ると言って、東老人と黄は早々に帰っていった。

 司法解剖されることも無く、丁寧に凶器を抜かれてすぐに遺体を返された大聖寺の、通夜はその日のうちに、葬式も翌日にはしめやかに営まれることになった。

 遠く大阪から駆けつけた、故人の愛人と認知された娘は、深い悲しみにくれながらも、七瀬に礼を言って頭を下げた。
 そんなにも故人を思いやってくれてありがとう、と。

「私、父には年に二、三回しか会わないんです。
 でも、父はいつも、私を溺愛してくれて、お前も若のように誇り高く賢く育ってくれ、って言うんですよ。
 お前も美人だから、きっと若のように誰からも好かれる素晴らしい人間になれるから、って。
 父にとって、若は本当に自慢だったんです。
 だから、その人が父を思って悲しんでくれるのが嬉しい。きっと父は、そんな若を身体を張って守れたこと、喜んでると思う」

 だから、と言って言葉を切って、彼女は少し苦笑を見せた。

「だから、あまり悲しまないで。
 父を思って悲しんでくれるのが嬉しいから、なんだか矛盾してるんだけど。
 父は、若の笑った顔が一番好きだったと思うから」

 葬儀の準備で周りが慌しく働いている中、棺に納められた大聖寺の枕元で悲しみにくれていた七瀬は、彼の血を引く少女にそう慰められていた。

 まだ女子高生な年齢の彼女は、高校の制服を着ていて、七瀬の正面に膝を突き、そっと頭を撫でてくれた。

「智香ちゃん……」

「ふふっ。若がそんなに悲しむから、私、なんか、涙が引っ込んじゃった」

 確かに大聖寺は独身だったが、娘とその母を大事に思っていたことは七瀬も知っている。
 大聖寺は神奈川から、彼女たちは大阪から、それぞれに離れられない事情があったから、結婚と言う形を取らなかっただけなのだ。
 それに、カタギの彼女たちを巻き込まないためでもあったのだろう。

 従って、大聖寺は大型連休を見計らっては大阪に足繁く通っていた。
 目に入れても痛くない愛娘と、生涯で唯一愛した女性に会うために。

「ごめんね。お父さんを、奪ってしまって」

「あらやだ。そこで私が、恨みます、なんて返事をしたら、父に怒られちゃうわ。
 父がこの結果に満足してるんですもの、私はそれを受け入れるだけ。それに、若のせいではないでしょう?」

「いや、俺のせいだよ。あの時、連れて行かなかったら……」

「連れて行かなかったら、後悔するのは父だわ。あの時無理にでも護衛に従っていれば、って。
 だから、父にはこれで良いんです。本人は何も後悔してないわ」

「……どうして?」

「だって、見て? この安らかな顔。
 苦しかっただろうに、ちょっと笑ってるの。
 こんな顔見たら、良かったね、お父さん、って言うしかないわ」

 ふふっと笑って、智香は棺の中の父を見下ろした。
 頬を一筋涙が伝う。ようやくこぼれた涙に、智香は慌てて傍らに置いた荷物を探り、ハンカチを取り出す。

「若。父から若に、遺言があるんです」

 ハンカチと一緒に荷物から取り出したのは、一通の手紙だった。

「自分がもし不慮の事故で死んだら開封しろって言われて渡されていた遺言。
 若にね、どうか幸せになってください、って書いてあるんです。
 私たちには、遺産の配分のことしか書いてないくせにね。
 それだけ心配してたんだなぁ、って思う。
 だから、若はどうか、幸せになって。父を忘れて欲しくは無いけれど、でも、引きずって欲しくも無いの。
 父が助けた命だから、大事にして欲しい。ね?」

 渡された遺言書は実に短いもので、遺産の配分の話と、七瀬を心配する言葉だけが綴られていた。
 弁護士の署名まで入った、法的に拘束力のある遺言書だった。

 大聖寺の意外にも達筆だったその筆書きの書をしばらく見つめ、七瀬はそれを丁寧に折りたたんで智香に返した。頷きとともに。

「ありがとう」

 七瀬の口から、謝罪ではなく礼の言葉が出てきて、智香はにこりと微笑んで返した。
さすがは大聖寺の愛娘。高校生とは思えない気丈さに、頭が下がった。





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