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「一般市民に武器が渡ることが、ヤクザが介入するほどの問題かね。自らの身を守る手段を持つことくらい、自由だろう」
「日本とそれ以外の国々では、国民の認識が違います。
あなた方にとって銃は身を守る道具かもしれませんが、日本人にとってはオモチャです。平和ボケしていますから、簡単に人が死ぬことの認識が無い。命の重さを訴えながら、引き金一つで人の命が奪える手軽さに気付かない。
そんな人間に銃を持たせて、危ないのは彼らではなく、私たち日陰者です。それは、今回の件で良くご理解されたはず」
銃の危険性を知っているから、この場の人間であれば、石油コンビナート内で銃の乱射など絶対にしない。
だからこそ、神龍会はわざわざそんな危険な場所を選んだはずだ。
しかし、その常識を日本人一般市民に適用できないのは、今回の件で実証されたのだ。
もし流れ弾がタンクを破っていたら、七瀬はもちろんここにはいないし、神龍会もただでは済まないだろう。
「今回の件につきましては、我々も一人負傷者を出しております。これで痛み分けとしていただきたい。いかがでしょうか?」
「今度の一件は、我々が取引相手に一般市民を選んだ落ち度もある、一方的に責任を追及するのはフェアではない。そう言いたいのかな?」
「陳殿は、あと二、三日もすれば、外交サイドから手が回って釈放されるのでしょう? 我々の方が割を食ってますよ」
この上、命まで狙われるのは、あまりに不平等というものだ。直接的な表現こそしなかったものの、内心は簡単にわかる物言いで訴える。
それを、生意気と見るか面白いと見るかは、相手次第だ。
しばらくは、真意を探るように七瀬と見つめあった黄は、それから、ふっと笑った。
「良かろう。痛み分けとしようではないか」
「謝謝」
誰でも知っているようなちょっとした挨拶なら中国語で返して、七瀬は頭を下げた。黄は何故か機嫌良く笑って、それから七瀬の隣に目を向ける。
「東大老。****」
東老人に話しかけたのは呼びかけでわかったので、七瀬はそちらの会話を大人しく待った。突然東老人が笑い出したのにはぎょっとしたが。
「七瀬。黄もお前を認めたぞ。中国人だったらスカウトしたと」
「それは光栄です」
嬉しそうににっこり笑って、七瀬はまんざらでも無い様子で答えた。どうやら本当に気に入られたらしい。黄の表情も、初対面時に比べれば随分と穏やかだ。
東老人が自ら淹れてくれた烏龍茶を楽しみながら談笑できるまでに打ち解けて、約二時間の会談は和やかに終えた。
店を出る時には、東老人に案内を受け、黄にエスコートされるという贅沢ぶりで、七瀬は実に上機嫌だった。
機嫌が良く多少わがままな方が可愛がられるのも、七瀬ならではだろう。
別れ際には抱き合って別れを惜しみ、再見、と挨拶を交わして一歩離れた時だった。
「若っ!!」
突然叫んで七瀬の目の前に飛び出してきた大聖寺に、七瀬は驚き立ち止まった。
その耳に入ってきたのは、やはり現実感を伴わない鈍い音だった。ずぶり、という。
その場に膝を折り、倒れこんだ大聖寺を見下ろして、七瀬は目を見開いた。
胸に、ダガーナイフの柄が突き立っている。
スーツをぐっしょりと濡らすのは、大量の血液。そして、大聖寺の巨体が崩れ落ちた目の前には、黒スーツの中国人たちに取り押さえられた若い男がいた。
その両手は血で真っ赤に染められていた。
「大聖寺っ!?」
疑いようの無い状況だった。
つまり、その若い男が七瀬目掛けて突進し、それに気付いた大聖寺が、文字通り、身体を張って守ってくれた。
そういうことだ。
その場に膝を突いて抱き起こせば、大聖寺は細く目を開けた。
七瀬を見ているようで、しかし焦点が合っていない。
「……わ……か。ご……ぶじ……で……?」
「うん。大丈夫。俺は何とも無いよ」
「よかっ……」
「大聖寺!? ダメ、目を開けて! ねぇっ! 大聖寺っ!!」
少しだけ微笑んだ表情で、大聖寺はそっと目を閉じた。力など元々入っていないから、ぐったりしたまま。
人肌の温かさは、ゆっくりと、しかし確実に冷えていく。
七瀬の周りでは、東老人や新龍会配下の人々が慌しく動いていたが、七瀬はただ、大聖寺を抱きしめていることしかできなかった。
やがて、救急車が、そしてパトカーがやってきて、現場は殺人事件現場として処理されていく。
東老人に促されて大聖寺の亡骸を救急隊員に引き渡したものの、涙すら出てこない七瀬はまさに茫然自失状態で、その場から動くことが出来なかった。
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