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 いくら七瀬姫の名が有名とはいえ、別に毎日そんな予定が入っているわけではない。

 いくら七瀬がヤクザの若頭であるとはいえ、別に毎日事務所に入り浸って仕事に追われているわけではない。

 むしろ、各々の件にそれぞれ担当者を決めて任せきり、自分は相談窓口に徹しているため、意外に暇だったりするのだ。

 そのため、その暇な時間を七瀬は主に貴文の事務所かイトコの仕事場であるオギノモータースで過ごしていた。

 もちろん、携帯電話は必須アイテムだ。

 立場上、移動にはフルスモーク防弾ガラスの高級車運転手付きが本来なのだが、七瀬はそのあたりすっかり無視して愛車を乗り回している。
 そのため、まったく利用されない、組が用意した車と運転手は、早々に別の幹部役付きに下げ与えられた。

 その日も、事務所で事務処理に追われていた貴文を強引に乗せて、車は藤沢へと向かった。
 貴文が初めてそこを訪れてから、丁度一週間が経っていた。

 七瀬がそこを訪ねる時は、別に事前に連絡などしない。
 先週は、貴文の顔見せという理由があったから、主なメンバーを集めてあっただけだ。
 メンバーはほとんどがカタギの社会人で、平日に人が集まることはあまり無い。
 サービス業が多いから、平日に休みを取れるようスケジュールすることも出来るが、普通はそれぞれに休みの日が違うのだ。

 戸山も、平日休みのサービス業従事者だった。毎週この日と次の日が休日に当たっている。

 その時、戸山は渚沙のそばで、客のバイクの修理をしているその作業を眺めていた。
 工具箱の側に座って、時々手伝っているらしい。

 裏口から入って声をかけた七瀬を振り返って、渚沙は嬉しそうに笑みを見せた。

「いらっしゃい。今日はどうした? 暇つぶしか?」

「まぁね〜」

 イトコの気安さで話しかけてくる渚沙に、七瀬は何故か嬉しそうに笑って返した。
 実際、いつも暇つぶしなのだが、それでも毎回確認してくれるのが嬉しいらしい。

 七瀬はすてすてと渚沙に近づいていき、当然のように戸山の隣に座り込んだ。

「渚沙、今日忙しい?」

「うーん。今日中にコイツを片付けなくちゃな」

 残念、と断られて、七瀬はチェッと舌を打った。
 かわりに、貴文が盛大に眉をひそめる。

「七瀬。お前、たまに休みの時くらい、身体休めろよ。昨日まで三日連続なんだろう?」

「うーん。発情期かねぇ?」

 心配そうな貴文と対照的に、七瀬は楽しげに笑ってそう答えた。

 まったく、と貴文は呆れたため息をつく。
 渚沙は二人の会話を自分の仕事をしながら笑って聞いていた。七瀬のそんな行動にはすでに慣れてしまっているらしい。

「仕方ないやつだなぁ。崎石でも呼ぶか? 最近七瀬としてないってボヤいてたぞ」

「崎石クン、今日は休み?」

「確か、そう。あと二時間もすれば来るだろ」

 ふぅん、と返事をするが、どうやらそれは乗り気で無いらしい。肩をすくめ、渚沙は取り出しかけた携帯電話をまた、作業服のポケットにしまった。

 一方、七瀬と渚沙が会話をする隙に、戸山はそこを離れ、一緒に来た貴文に近寄っていく。

「近江は?」

「七瀬が誘えばね。俺は、今日はあんまりその気になれねぇ」

「……なぁ。こないだの話、間違いないと思うか?」

 ちらり、と七瀬を見やったのは、こちらの話を聞いていないと確かめるためだろう。
 貴文もまた、同じように七瀬を見やり、肩をすくめて返す。

「さぁな。仁がどう考えるかだろ。他人に答えを教わるようなモンではない」

 突き放すようなその言い方は、本気で突き放しているわけではなく、戸山と七瀬の双方に良いようにしてやりたいからだ。
 七瀬の人を見る能力は凡人には理解できないレベルで、他人に教えられた答えかどうかなどすぐに見破ってしまう。
 一方、自分にもある罪を肩代わりしてくれている戸山を助けたいとも思っているのだ。
 だから、ヒントを教えて背中を押してやることが、貴文にできる精一杯だった。

 貴文の返事に、そっか、と短く反応して、戸山はそのまま黙り込んでしまった。
 七瀬を見やれば、向こうは実に暇そうにぼんやりと、イトコの仕事を眺めている。

 七瀬がこちらを気にしていないからこそ、決心がついたらしい。

「大倉」

 七瀬を苗字で呼ぶのは、今となっては戸山くらいのものだ。
 それは、呼んでいる方よりも呼ばれている方に自覚があるから、苗字呼びという他人行儀をまったく気にせずに、普通に返事をする。

「ん〜?」

 そのやる気の無い返事は、この場所では珍しくないので、誰も気に留めなかった。
 貴文だけが、その珍しい脱力した態度に驚いている。

「ちょっと良いか?」

「ここでは出来ない話?」

 外へ呼び出そうとするから、七瀬は周りを見回して答える。
 ここにいるのは、七瀬、戸山、貴文、渚沙の四人だけで、七瀬にとっては警戒する必要を見出せない身内なのだ。
 どうせ、呼び出されたところで後で報告するであろう相手でもある。

 促されて見回して、確かに納得できたらしい。自分から七瀬に近寄っていく。

「あのな。……あの。……俺では、ダメか?」

 ここにいる間は、いつ誰かがやってきて陵辱されるかわからない、まさしく公衆便所の立場の戸山だ。
 当然、この場所で再会してからは一度も七瀬と関係を持ったことは無い。
 ネコ同士ではセックスになるわけがないのだから。

 だからこその、言葉だった。

 戸山のそれに、七瀬はきょとんとして戸山を見つめてしまった。
 それから、貴文と渚沙にまで返事を待たれていることに気付く。

 軽く、肩をすくめた。それ以外に、行動のしようがなかった。

「俺も、甘いなぁ」

 くすり、と口元で小さく笑う。渚沙の方に向いていた身体を、戸山と貴文がいる方へ向けて。

「おまけして、及第点にしてあげよう。合格だよ」

「……マジで?」

「何だよ。イヤなの?」

「あ、いや、そんなことは……」

「抱かせてあげるよ。はい、起こして」

 はい、と言いながら、両手を差し出す七瀬に、まだ信じられない戸山はしばらく動けないでいたが、焦れて両手をパタパタと振られて、意を決する。

 七瀬の両手を首にかけさせて、抱き起こす。ぎゅっと抱きつかれたことで、本気で許されたことを知った。

「良いのか?」

「俺の身体をこんなにした責任は取ってよね」

「……はい」

 許されたとはいえ、無条件なわけはなく、念を押されて逆にほっとした。
 その安心した理由は、戸山自身にも理解は出来ていなかったが。

「貴文は?」

「今日はその気になれねぇんですけど?」

「ダメ。付き合いなさい」

「へいへい」

 七瀬に命令されれば、誰もそれを拒否することなどできないのだ。
 七瀬がヤクザの若頭だからという立場上の理由だけではなく、七瀬自身に他人を従わせるだけの、傅かせるだけの、女王様としての魅力があるのだから。
 人は、本能に打ち勝つのは容易ではない。

 三人連れ立って奥の部屋に消えるのを、渚沙は何故か上機嫌で見送ると、改めて自分の仕事に戻った。





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