12
翌日。
七瀬は横浜にいた。
みなとみらい地区に位置する、建物全体が帆を模ったそのホテルの、客室最上階スイートルーム。
七瀬にとっても、さすがにこの部屋は初めてだった。
そこまで奮発する魅力が自分にあるとは思っていないだけに、意外だ。
待ち人は、約束の時間から三十分遅れるらしい。ホテルのボーイに告げられて、ふぅん、と頷いた。
出がけに何か緊急事態でも発生したのか、それともわざと遅刻して七瀬の反応を見ようというのか。
ま、良いけどね、と七瀬は肩をすくめる。
それにしても、初顔合わせでホテルの客室とは、また、不思議な場所選択だ。
七瀬を抱く気で満々なのだろうか。普通、下心のある人ならば余計に、ホテル内のレストランかラウンジが一般的なのだが。
「まぁ、求められれば応えるのにも吝かじゃないけどさ」
ぽすっとソファに腰掛けて、持ってきた荷物から文庫本を取る。
そうして本を広げれば、その世界へどっぷり浸かった。
本を読んでいると、三十分などあっという間だ。
「何読んでるんだ?」
声をかけられて、びっくりした七瀬は、大慌てで顔を上げた。
そんなに熱中していたつもりは無いのだが、いつのまに部屋に入ってきたのか、目の前には楽しそうに笑う若い男の顔があった。
それは、写真では見たことのある男で、その人が待ち人であることは疑いない。のだが。
「写真写り、悪いんだな」
見せられた写真では、随分人相悪く写っていたのだが。
実際の姿は、普通にサラリーマンとしていそうな好青年だ。結構ハンサム。
ぼそりと呟いた七瀬に、彼はくっくっと楽しそうに笑った。
「お互い様でしょ。大倉さんは写真写りが良すぎ。随分色っぽく写ってたけど、普通じゃん?」
「まぁ、所詮男だし」
取り繕う暇がなかったんだ、と七瀬は内心で突っ込んだ。
意識せず、素の七瀬を見ることが出来た彼は、実にご満悦な様子だ。
それから、えへん、と咳払いをして、笑っていた彼は表情を改める。
「改めて、自己紹介しましょう。横内晃歳です」
受けて、七瀬は慌てて立ち上がった。文庫本にしおりを付けることを忘れ、そのままカバンに放り込む。
「大倉七瀬です。よろしく」
「よろしく、して良いのかな?」
「そりゃあ、よろしくしないことによるメリットがありませんからね」
「身体を犠牲にしても?」
「するんですか?」
「別に興味は無いけどね」
「それも微妙に傷つくなぁ」
くっくっと、今度は七瀬が笑う番だった。七瀬が機嫌良く笑っているから、晃歳もまた、にこりと微笑む。
それにしても、小気味良いほどテンポの良い会話だった。きっと、馬が合うのだろう。こんなことは貴文以来で、そのことも七瀬は嬉しかった。
どうせ離れられない、長い付き合いになる相手だ。いがみ合うよりは仲良くした方が良いに決まっているのだ。
お互いに席を勧めあいながら向かい合って座って、改めて顔を見合わせる。晃歳が、深く頭を下げた。
「すみませんでした。お待たせして」
「構いませんよ。何かご用事だったのでしょう?」
「えぇ、それがね。出がけに、うちの長老連中に引き止められまして。
待たせて焦らして怒らせろ、って言うんですよ。そんなに戦争したいんですかねぇ、うちの年寄りどもは。
振り切るのに手間取りました」
困ったもんだ、と肩をすくめる晃歳に、七瀬は首を傾げてみせるのだが。
「組長に、従わないんですか?」
「まぁ、まだこんな若造ですからね。いつまでも年寄りたちはヒヨッコ扱いです。
長子相続で組長の座に着いただけで、実力が認められての抜擢ではないですしねぇ」
「横内さんには、実力もあるでしょうに」
「ははっ。大倉さんの方が認めてくださってるかも知れないですね」
身内の恥を楽しそうに笑って話すのもどうかと思うのだが。晃歳は実に楽しそうだ。
「待ち合わせをこんな所にしてすみませんでした。ちょっと別件でごたごたしてましてね。
公衆の場所だと大倉さんにもとばっちりが行きそうなので。こちらの都合ですみません」
別件で、と言われて、七瀬の持つ情報網から得ている辰巳組が抱えているトラブルの元をさらう。
が、特に組長の命に危険が伴うようなトラブルには思い当たらず、七瀬はまたもや首を傾げた。
「隠れなければならないほどのモノなんですか?」
「まぁ、うちも一枚岩ではないということですよ。
なので、外部の火種の防火をしておこうと思いましてね。他意はないです」
「でしたら、組長に会うべきでしょ?」
「七瀬姫を、と言った方が、いろいろと勘繰ってくれるでしょう?
和平を望んでいることが伝われば十分なんです。ならば、個人的に知り合っておくべきは、歳の近い貴方の方だ。
でしょう?」
確かにいろいろ勘繰っていた組長をはじめとする幹部連中を思い出し、見事に相手の思惑に嵌っていることに七瀬は苦笑を隠せない。
晃歳の計略は大成功だ。
「気を悪くされました?」
「いえ。なるほどと感心してました」
「ありがとうございます」
感心したくらいで礼を言われるのもどうかと思うのだが。
礼を言われて、七瀬はやはり不思議そうな表情を見せた。
今回の顔合わせは、七瀬にとっては珍しいことなのだが、驚いて、または首を傾げてばかりだ。
それだけ、晃歳が意外性の塊だということなのだろう。
[ 12/69 ][*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]戻る