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藤沢市の海岸というと江ノ島が有名だが、そこからずっと西へ行った茅ヶ崎市に程近いあたりに、鵠沼という地名の地区がある。
七瀬の目的地はそこだった。
看板には「オギノモータース」とある。普通のバイク販売店だ。
販売業は父が、修理は息子が担当する、家族経営の店だった。
その苗字に、貴文はふと気付いたらしい。
「姐さんの旧姓が、荻野だったよな?」
「うん。伯父さんの家だよ、ここ」
答えながら、修理工場隣の駐車場に車を入れる。
これが七瀬の車だと気付いたのだろう。若い男が迎えに出てきた。
「やぁ、七瀬。いらっしゃい。予定より早かったな」
「貴文に見せたくてね。久しぶり、渚沙」
「お前自身は見たくないのに?」
「百聞は一見にしかず」
「確かにな」
おいで、と声をかけて、彼は先に立って裏口を開けた。
七瀬に促されて、貴文も歩き出す。
「誰?」
「イトコ。渚沙だよ。元々、族の発起人」
あぁなるほど、と貴文は頷く。
七瀬自身は、バイクには大して興味も無く、車も走りよりは居住性重視のカスタマイズをしていることでもわかるように、走ることに重きを置いていないのだ。
これで、湘南地区というメッカで暴走族を立ち上げるという発想には無理がある。
勝手に納得する貴文に、七瀬は楽しそうに笑った。
渚沙が入っていった扉を開いて、貴文の耳に一番に入ったのは、荒い息遣いだった。
それが何を意味するのか、貴文にはすぐに想像がつく。
眉をひそめ、七瀬を振り返った。
「ちょっと七瀬。お前……」
「相手を見たら納得するよ」
自らが強姦などという辱めを受けた身だ。
その呻き声はけして気持ちのいい声ではないのだから、無理をされていることが明白で。
七瀬は他人の痛みを知っているから、本当に嫌がることならしないさせないはずなのだ。
貴文がいぶかしむのも道理である。七瀬らしくない。
すたすたと中へ入っていく七瀬を追って、目隠しになったロッカーの向こうを覗き込み、しばらくその光景を眺めた貴文は、そのまま表情を驚愕に変えた。
「……戸山」
それは、さきほど聞いた七瀬の昔話の登場人物、不良グループのリーダーの名だった。
彼は、三人の男に囲まれ、全裸で四つんばいという屈辱的な格好を強いられ、後腔を犯され呻き声を上げていた。
それは紛れも無く、七瀬が中一の頃、その男にさせられたことの再現だった。
自体のあらましと、七瀬が「納得する」と言った理由を悟り、貴文は七瀬を振り返る。
咎めようとして、こんなことをさせている割に七瀬の顔に表情は無く、貴文は言葉を飲み込んだ。
七瀬は、自ら望んだ楽しみであれば、どんな残酷なことだろうとニコニコと実に楽しそうな表情を見せる。相手が苦しもうと関係が無い。
その場合は大抵、それなりの理由が付随する。
だから、その無表情はかえって不自然だった。
「七瀬?」
「運が悪かったんだよ。
唯一俺が過去を話していた渚沙の率いる族の仲間に誘われて入ってきたんだ。
渚沙は滅茶苦茶怒ってたし、俺もこの立場だからね。制裁を与えないわけにはいかないだろう?」
それはそれこそ、ヤクザのケジメというもので。
反論も出来ず、貴文は押し黙ってしまった。ただ、痛ましい表情でその情景を見つめることしか出来ない。
「七瀬。だったらせめて、俺も罰してくれよ。同罪だろう?」
「ダメだよ。貴文、自分の立場も考えて。俺は貴文の存在を失いたくない」
力なく首を振り、七瀬はそれ以上言及せず、部屋を出て行く。
本人が、自分で動くのは苦手だと話したとおり、その輪の中に自分が入っていく気はないらしい。
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