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昨夜の食事中、僕が箸を器用に使っていることにルフィルは驚いていて、ルフィルのいた世界には箸が無いらしいと知った。つまり、ヴァンフェスは日本とは違う文化を持った世界なのだ。いや、世界と言うからには、他の国ではアジアっぽい文化を持っている地域もあるのかもしれない。ただ、ルフィルの周りとは違うのだろう。
そして、今日もまた、新しい発見をする。箸をつけたハンバーグが、とっくに冷めて冷たくなっていたから、電子レンジに入れて温めることにしたんだけれど。
『ん? 何だ? その箱は』
「レンジ」
『何をする道具なのだ?』
「温めるんだよ。こうやって食べ物を入れて、扉を閉めて、ボタンを押す。と、適温にしてくれる」
スタートボタンを押すと、ブーンと音を立てて、中が光る。普段繰り返しているいつもの行為。
けれど、その途端、ルフィルは耳を閉じてさらに前足で押さえてうずくまった。
『何だ、その高い音は。酷い音だ。やめてくれ』
「音?」
別に、レンジが稼動する低い音しかしないけれど。とにかく、今動かしたのはこれだから、取り消しボタンを押す。まだ全然温まっていないんだけど、仕方が無い。
レンジを止めると、ルフィルは強張らせていた身体を脱力させ、前足を耳から離した。
『何という酷い音を発生させる装置だ。そんな音が、食べ物を温かくさせるのか?』
「低い音ならするけど、別にそんなに言うほど不快な音は聞こえないよ?」
『当然だ。人間の感知できる音域を超えている。犬でも微妙な線だろう。……いや、そうか、聞こえないのだから、不具合は無いのか。困るのは俺だけということだな』
まったく迷惑な、とぶつくさ言って、ルフィルはすっと立ち上がり、廊下の近くまで退散して行った。
『その装置を使うなら、事前に言ってくれ。耳を塞がねばならん』
つまりそれは、温めの続きをしても良いということだろうか。
『それをするのなら、さっさとやって早く終わらせてくれ』
そういうことらしい。
そう。ヴァンフェスには、電気の概念がないらしい、ということは、昨夜のうちにわかっていたんだ。蛍光灯から洗濯機、冷蔵庫、掃除機、電話、時計、オーディオ機器。僕たちの身の周りにはたくさんの電化製品があって、生活を豊かにしてくれている。それらすべてが、ルフィルにとっては初体験。新しいものを見つけるたびに、あれはなんだこれはなんだと質問攻めにされる。
それに、紙の発達も遅れていて、ノートを見て『白い紙ははじめて見た』と感動し、写真を見てその鮮やかな色合いに驚いていた。
反対に、時間の概念や暦など、昔から生活に密着していた事柄は、それぞれに呼び名や週割りこそ違うものの、どこがどう違うのかわかる程度に話が通じる。洋服やカーテン、ベッド、テーブルも、驚くものではないようだ。
とにかく、聞く話を分析すると、中世ヨーロッパ?という結論に辿り着く。ただし、貴族文化など存在していない細々とした田舎暮らしのようだが。
そんな生活の面でも、僕が行ったらきっと生きていけないと判断するに至る。やっぱり、明後日はルフィル一人で帰ってもらうべきだ。
『それで? あんなものでどういう原理で温まるのかわからんが、その料理は美味いのか? 良い匂いがする』
「やだよ。大山さんのハンバーグ、おいしいんだから。あげないよ」
『一口くらい良いではないか。それ、このサラダを分けてやるぞ?』
「いらない。……あぁ、もう。わかったよ、一口だけね。はい、あーん」
ぱかっと素直に開いた口に、一口大に箸で切り分けたハンバーグを放ってやる。二回ほど租借して飲み込んだルフィルは、満足そうなため息をついてみせた。
『うむ、美味い』
「そりゃ良かったね。もうおしまい」
『む。仕方が無い。よく食ってよく成長してもらわねば』
少し痩せすぎだろう、とまるで小言のように続く言葉に、僕はただ苦笑を返すしかなかった。そういう体質なんだから、仕方が無いんだってば。
その夜、十時ごろ。
自然と共に寝起きをする生活のルフィルは、僕のベッドの下に作ったクッションのベッドにまるまって、早々に寝てしまったので、宿題も無いことだし、興味があって買い溜めた資料を思う存分眺める。
昔から科学に興味があって、将来は学者になりたいと思っているくらいだったから、科学の本はたくさんあるんだ。小学生向けの入門書から、僕にはまだ難しい数学理論に百科事典、読本の類。
ルフィルが帰る時には、この中から絵だけ見ても原理がわかりそうな簡単な資料を選んで持たせてやろうと思って。きっと、文明レベルの低いその世界には、役に立つはずだから。
なんとなく、僕も一緒に行くことになるんじゃないかって、嫌な予感に苛まれながら。その夜も普通に過ぎていった。
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