竹飾り
(2007年七夕限定SS)
ハンペータがこの世界にやってきて、一年が過ぎた初夏の長雨の頃。
空を見上げて天気を予測するという、ハーンでもしなかったことを始めたハンペータは、ちょっとした雨の中休みを見計らって、モーリーとドリスを引き連れて出かけていった。
留守番役のルフィルは、今日はドンファンと対決中だ。
仲の悪い二人だが、ハンペータが現れてからは、その諍いも軟化してきた。良い傾向だ。
帰ってきたモーリーは、太く立派な笹竹を一本担いでいた。
ピョンピョンと庭を飛んで横切り、ハンペータの背中に負ぶさって、その顔を覗き込む。
『どうしたの? これ』
「ん。もうすぐ七夕だからね。竹飾りでも飾ろうと思って」
『竹飾り?』
いつの間にか近くに来ていたシースーも、私を追い落とす勢いでハンペータの肩に絡みつき、私と反対側から彼の顔を覗き込む。
くすくすと笑ったハンペータは、モーリーにその竹を庭に立てるようお願いをして、いつものカウチに腰掛けた。
年越しのツリーと同じ要領で、取って来た竹を立て、モーリーがやってくるのを待つ間に、全員がハンペータの周りに集まる。
「僕がいた世界にはね、七月七日を七夕といって、御伽噺になぞらえてお祭りをするんだ」
『御伽噺?』
この世界で何十年も生きていると、こちらの世界に伝わる物語など飽きてしまうのだけれど、ハンペータはそんな私たちに、この世界にはないお話をいろいろと聞かせてくれる。
もっともっとたくさんあるお話のうちのいくつかしか知らない、というハンペータだけれど、彼から聞いたお話の数は、私たちが知っているこの世界の御伽噺の数に引けをとらない。
今までに聞いた中で一番好きだったのは笠地蔵だけれど。今日はまた、新しいお話を聞かせてくれるみたい。
本当に、彼の頭の中にはどれだけのレパートリーが詰まっているのか。
昔々、と良くある口上で始めた昔語りに、私たちはじっと耳を傾けた。
七夕祭りというのは、この世界の年越しのように、竹を飾りつけ、願い事を書いた短冊を掛ける行事だそうだ。
けれど、私たち混合種には文字という文化はない。
それは、単独種の獣でも同じで、私たちの中で文字が読み書きできるのはハンペータとディグダだけ。
なので、短冊に書く願い事は、二人に書いてもらうことになったんだ。
質が悪くペン先が引っかかる粗い表面のこの世界の紙に、二人ともさらさらと不都合なくペンを走らせる。
ある意味すごいと思う。
普段、何か大切なメモを取るときは、ハンペータは元いた世界から持ってきたきれいな白い紙の束に書き付ける。
けれど、この短冊はこちらの世界の粗い紙。使い捨てだから、ってことなんだと思う。
ハンペータかディグダに願い事を書いてもらった私たちは、竹の高いところにその短冊を括りつけた。星の世界の織姫と彦星に見えるように。
まぁ、雲に隠れて見えるわけも無いんだけど。
『でも、気の毒だよなぁ。一年に一度だろ? 好きな相手とは、一年中ずっとそばにいたいだろうに』
『そうやって、一年中くっついてたから、親に怒られたんじゃん』
『いつになったらお許しが出るんだろうな。永遠に離れ離れは可哀想』
分厚い雲に覆われて星の見えない空を見上げて、そんな風に感慨深く言い合ったのが、ドンファン、トーレン、ドリスの三人だったことに、私はびっくりした。
いつの間にそんなに感受性が高くなったんだろ、こいつら。
後からやってきたルフィルが、その会話を聞いていたらしく、くっくっと笑った。
口にはやっぱり願い事が書かれた短冊が咥えられていた。
『どこに掛けるの? ルフィル』
『あぁ。天辺だな。ハンペータが簡単には見れない場所に』
『え? ハンペータに書いてもらったんじゃないの?』
『いや、ディグダだ。ハンペータに俺の願い事を知られるのは困る』
『ディグダになら困らないんだ?』
『口止めしておいた』
いったいどんなお願い事を書いてもらったのやら。
澄ました顔をしてはいるけれど、ハンペータに知られたくないということは、きっとエッチなお願い事なのね。
ディグダには言えるのだから、彼を裏切るような願い事ではあり得ない。
ふぅん、と返しながら、内心では後でディグダにこっそり聞いておこうと思った。
その必要は、あっという間になくなったけど。
「その願い事、叶えようか? ルフィル」
『うわっ! ハンペータっ!!』
いつのまに現れたんだろう。
私の耳とルフィルの鼻をもってしても、気がつかなかったなんて、びっくり。
くっくっと楽しそうに笑うハンペータが、いつもの調子でふわんとルフィルに抱きつくと、口に咥えられていた短冊をあっさり引き抜いてしまった。
それを読むまでもなく口元に運んで、ちゅっとキスをして見せるから、真っ黒な体毛のルフィルが恥ずかしそうにうつ伏せる。
『何て書いてあったの?』
「ん〜? ふふっ。ナ・イ・ショ」
普段エッチ系の話にまだまだ初々しい反応をするハンペータが、まるでいたずらっ子の表情で、それはそんな類の願い事じゃなかったらしいことはわかったけれど。
だったら、一体何なんだろう? 想像がつかなくて、興味をそそられる。
『焦らさないで教えてよ』
「ルフィルに聞いて。僕からは言えない」
まぁ、いずれわかることだけど。そんな風に誤魔化して、ハンペータは竹飾りの方へ歩いて行ってしまう。
見送って、ルフィルの足元から顔を覗き込めば、ちょっと拗ねたルフィルが、私をジロリと睨んだ。
っていうか、それは逆恨みというもので。
『ハンペータが怒るような願い事じゃなかったんだ?』
『……怒るというよりは、困るだろうと思ったんだ』
困る?
『どうして?』
私の問いに、むすっと黙り込んで。でも、ルフィルはようやく教えてくれる気になったらしい。
隠すべき相手に知られてしまったのだから、他に隠すこともないだろう、って。
『二人きりで、旅行にでかけられたら良いと思ったんだ。だが、ハンペータのことだ。他の連中に気を使うだろう?』
『……ふぅん。行ってくれば良いじゃない。いつもみんなと一緒だもの、たまには水入らずで出かけるのも良いと思うわよ?』
なんだ。そんな風に遠慮したんだ。ハンペータが遠慮するだろうと想像して、自分から自分の気持ちを控えるなんて。
ルフィルらしくないような、でも、彼らしいような。
『ハンペータが了承するとは思わなかった』
『それは、そうね。困った風でもなかったし、ちょっと意外かしら』
『信用してるんだろうな』
『あら。だったら嬉しいわね』
誰を、とか、何を、とか。
そんなのは聞かなくたってわかった。
私たちを、信用してくれてるから、ルフィルと二人で家を留守にしても大丈夫だと、思える。そういうこと。
ずっと遠慮がちだったハンペータの態度としては、とても嬉しい。
本気で信頼してくれた証だから。
『ゆっくりしていらっしゃいよ』
『まだいつとも決めていないぞ』
『あら、決めたら早いほうが良いわ。それに、七夕様も叶えてくださるわよ』
竹の根元に立って空を見上げたハンペータが、ふわりと浮き上がる。
あっという間に笹の一番天辺に手を伸ばして、二つの短冊を飾る彼を見守って、私は確信を持って頷いた。
あんなに目立つところに掛けた願い事だもの。
聞き入れてくださるわ。どんな神様でも。
そういえば、ルフィルの願い事のおかげで疑問に思う隙すらなかったけれど。
ハンペータの願い事って何だったんだろう。
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