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 家の中にいたのは、母、叔父、叔母、義巳の四人だった。

 聞くところによれば、去年の冬に突然倒れた祖父は、そのままこの世を去り、跡を継いだ父は今、海外支社の巡回で長期出張中なのだそうだ。その結果、この広い家に母一人が残されることになり、セキュリティはしっかりしているとはいえ、さすがに物騒だということで、叔父夫婦が移り住んできたわけである。何しろ、一人息子と当主が相次いでこの家を去り、部屋は有り余っていたのだから、何の問題も無い。

 今、ハンペータが使っていた部屋は、そのまま義巳の部屋になっていた。電気がついていたのは、そのためだ。住人がいるのだから、明かりも当然あるはずだ。

「でも、いつか半平太が戻ってくると思って、部屋に残されていたものは全部そのままにしてあるんだよ」

「処分してくれて良かったのに」

 一人だけ雰囲気の違う格好をしているハンペータに、誰もが違和感を感じているはずなのに、誰もそこに触れようとはしない。義巳がこちらの状況を話して聞かせるのに任せてしまっていた。たった二年では劇的な変化もなく、話はそこまでで終わってしまうのだが。

「じゃあ、せっかくだから、必要なものは持って帰ろうかな」

「帰る? どこへ帰るつもりなんだ? 帰ってきたんじゃないのか?」

 皆が避けていた話題を自分から振って、ハンペータがそう言うのに、真っ先に突っ込んだのはやはり義巳だった。ハンペータが、お兄ちゃん、と砕けていうだけのことはあり、この家の中では一番懐いた相手だ。もちろんその逆もしかりで、だからこそ、もっとも肉親らしい反応を示すのが、彼なのだ。

 義巳の畳み掛ける問いに、ハンペータは申し訳なさそうに首を振った。

「ちょっと様子が気になって見に来ただけなんだ。それに、置手紙一つで出て行っちゃったから、ずっと気になってたし。ちゃんと挨拶してくれば良かったなぁって」

 居間のソファに座って、足元に大人しくうずくまるルフィルの背を撫でながら、ハンペータはそんな風に今回の突然の訪問を説明した。目の前のコーヒーがゆっくりと冷めていくのにも、手が伸びない。元々コーヒーが苦手だったのもあるが、今の生活にコーヒーがないから、刺激が強いのだ。

「今はすごく幸せに暮らしてるから、心配しないで。皆に迷惑をかけたまま姿を消すことになったのは、申し訳ないと思ってる。あの時は仕方が無い事情があったから、他に方法もなかったんだけど、何も言わないで突然いなくなったから、きっとその後大変だったんでしょう? ごめんなさい」

 親不孝をして、とか、心配をかけて、とか、そういったところを謝らないのは、自分の親が自分を心配するわけがない、と信じきっているからだ。ハンペータはただ、事後処理のための迷惑は当然かけただろうという判断をしていた。だから、はっきりと謝った。迷惑をかけてすまなかった、という意味だ。

 そのハンペータの言葉に、初めて母は口を開いた。

「今幸せにしてるなら、私たちのことは良いのよ。でもね、一体どこにいて何をしているの? どうして今まで連絡してこなかったの。お父さんもお母さんも心配していたのよ?」

「心配? してた?」

「当たり前じゃないの。親ですもの。息子の心配をするのは当然よ」

 何故問い返すのかがわからない、というように胸を張る母に、ハンペータは首を傾げる。二年前までこの家で暮らして、両親に愛されていた記憶がまったくないのだ。突然帰ってきた息子にも、こんなに冷静でいられる彼女が、本当に心配していたのか。ハンペータには信じられない。

 信じられないから、ハンペータはそんな母の言葉を笑い飛ばした。

「心配してた、って言うだけなら、他人にでも言えるよ、お母さん」

「……他人、って……」

「僕には、僕を心配してくれる人なんていないんだよ。だから、僕はこの世界を捨てたんだ。突然いなくなったって誰も悲しまないって確信してたし。みんな、あっという間に忘れるから、僕のことなんか」

 他者から見た自分を過小評価するのは、この世界で育ってくる上で自分の精神を守るのに必要な、生きる術だった。家族に疎まれて、学校ではイジメを受けて、何をやってもダメダメで。そんな自分自身を、それでも自分だから仕方が無い、と受け入れるために必要だった考え方。割り切り方。

 ヴァンフェスという世界で、みんなから必要とされて守られて、みんなの期待にこたえるために頑張って、今では「僕のことなんか」などとは言わなくなったハンペータだが、こちらの世界に自分の居場所が無い事実は変わらず、自分に対する評価もけして変わることは無い。

 ルフィルだけが、自分を卑下するような発言をするハンペータに驚いて、少し身体を起こした。

『ハンペータ。そんなことは……』

「今はね、こことは違う世界で生きてるよ。文明レベルはだいぶ落ちるし、生活も不便だけれど、たくさんの仲間たちに囲まれて、幸せに暮らしてる。もう、こっちに戻ってくることはないと思う。だから、僕のことは忘れて欲しい」

 元々、話をすると決めたときに、違う世界にいることも、今の生活のことも、隠すつもりはなかった。だから、戸惑うことなく自然に言葉を紡ぐ。そこから何を聞き取るかは聞き手の判断だし、理解してもらうつもりもない。

 案の定、違う世界、という言葉に、全員が訝しげな表情を見せた。それもそのはず、この世界には異世界という概念が無い。

 その疑問はわかっていたから、問いただされる前に、ハンペータは右手を前に差し出した。パチン、と指を鳴らし、空中に炎を生み出す。

 その時点で、おお、と喚声が上がったのは、その程度の現象なら手品でもあるからだろう。

 けれど、その先は手品では不可能だ。

 もう一度、パチン、と指を鳴らせば、炎の周りを風の膜が覆い、球体状に形を変えた。透明な風の膜が目に見えないため、まるで炎が丸まったように見える。

 さらにもう一度指を鳴らし、風の膜を水の膜で覆う。

 この時点で、水は人の目にも捉えることが出来る物質で、全員の視線が釘付けになった。

 手品では、炎はライターなどを使えば簡単に生み出せるからあり得るが、風も水もスイッチ一つで作り出すのは不可能だ。

 もう一度指を鳴らして、水と炎の間に挟まった風の膜を消し去る。水は炎に触れ合うことで蒸発し、炎は水に触れることでその熱を奪われる。この現象が一瞬で起こった結果、その場所に、虹が発生した。

『ほう。キレイだな』

 ただ一人、平然と感想を述べたのは、ルフィルだった。ハンペータが魔法使いだという事実は、ルフィルしか知らないのだから当然だろう。

 他の面々は、ただ呆然と、虹が消えていくのを見守っていた。

「こんなことが普通に出来る世界だよ。こっちでは、ファンタジーという言葉で一括りにされるような、あり得ない世界。信じて欲しいとは言わないし、信じられるとも思わないけど、これが事実なんだ。僕は、魔法使いとして、向こうの世界で必要とされてる。こっちの世界に、僕は必要ないでしょう? だから、忘れて欲しい。それだけを、言いに来た」

 何も言わずに家を出たことを気にしていたのは、本当のことだ。いくら意地っ張りのハンペータでも、そのことだけは自ら認めていた。だからこそ、証拠を見せ、順路立てて状況を説明し、自分の意思を告げる。





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