里帰り 1




 生まれ育った世界を離れて二年の歳月が過ぎた、夏のある日のこと。

 森の家の軒下に置かれたカウチに寝転がって、ハンペータはぼんやりと空を眺めていた。年に二、三度ある女性特有の憂鬱な日に当たっているとはいえ、普段活発に動き回るハンペータには珍しい姿だ。

 去年まではいたカウチの足もとに寝転がる大虎の姿がなくなっている。年を越す前に、寿命を全うして先にあの世へ旅立っていった。それを思い出して時々寂しそうにするハンペータを気遣って、ハンペータの様子に気づいたディグダがそばに近づいていく。

『また、レイリーのことを考えていたのか?』

「……ん? あ、ディグダ。何?」

 本当にぼんやりしていたらしく、きょとんとした表情をディグダに向けて、首を傾げる。その姿は、彼氏であるルフィルがヤキモキするのもわかるような、可愛らしさだ。半分女性なせいなのか、ハーンに似て整った顔立ちが余計美人に感じられる。

 同じ言葉をディグダが繰り返すと、ハンペータはいつもレイリーがいた場所を見下ろして、それから首を振った。

「いつまでも引きずってたら、レイリーが安心して成仏できないでしょ? もう大丈夫。ちょっと甘えてたところがあったからね、寂しかっただけ」

『そうだな。懐いていたからな、ハンペータは』

「本当のおじいちゃんみたいだったから。でも、今考えてたのは、別のこと」

 ディグダを安心させるようにか、ハンペータはにこりと笑って見せて、また空に目を向ける。ディグダもまた、ハンペータの視線を追って空を見上げた。

 深いため息を聞きつけて、ディグダがまたハンペータを見下ろす。

『ハンペータ?』

「……ディグダは、元々いた世界が気になったりしない?」

『……気になるのか』

 なるほどな、とようやく納得して、ディグダはふっと微笑む。そして、首を振った。

『帰れないと知ってから、ずいぶん長い間をこの世界で生きてきた。今は愛しい人も近くにいるし、戻れたところできっともう俺が知るドラスゴニアではないだろう。諦めたよ』

 何しろ、ハーンがこの世界にいたころから、ディグダはこの世界にいた。別の世界に繋ぐ扉を開けることができるのは、ハンペータがこの世界に招待された経緯からも明らかだが、ディグダにはそれを使って帰ることができなかった何らかの理由があったのだろう。となれば、もうすでに諦めていてもおかしな話ではない。

 そっか、と相槌を打って、ハンペータはまた空を見上げた。

 その姿に、ディグダはまるで弟を慈しむような優しい視線を向ける。

『扉を開いて、戻ってみればどうだ? 今のハンペータなら、自由自在だろう?』

「うん。可能不可能でいえば、可能だけれど。……怖いんだ」

『怖い?』

「怖いよ、自分が。もう戻ってこられないんじゃないか、とか、向こうで誰も僕を知らなかったりして、とか。考えちゃうと際限無い」

『案ずるより産むが易し、だろう?』

「うん、そうなんだけど……」

 答えながら、またぼんやりと思考の世界に戻って行ってしまうハンペータを見守って、ディグダはそれ以上の会話をしようとはせず、ただハンペータの頭をくしゃくしゃと撫でた。

『まぁ、若いうちは大いに悩むと良い』

 実際、生きている時間が二百年は軽く違うディグダは、偉そうにそう言って、庭で鍛錬に余念のない仲間たちの方へ歩いて行ってしまった。

 ひとり残されたハンペータは、またも深いため息をついた。




 その夜。

 ルフィルを抱き枕にして眠りにつく直前の語らいの時間。ルフィルは普段なら性行為の時にしか使わない触手をしゅるしゅると出して、ハンペータの頭を撫でた。

『月のモノが来ると、途端に不安定になるのだな、ハンペータは』

「……え? そう?」

 忘れた頃にやってくる生理現象に、憂鬱になる自分は自覚があったが。恋人に指摘されるほどだとは思わず、ハンペータは首を傾げる。その彼に、ルフィルは優しい視線を向けた。

『今は何を考えても否定的にしか見えていないだろう? 月のモノが過ぎるまでは、何も考えずにぼんやりしておけ』

「でもねぇ……」

『すぐに結論を出すべきことなら、皆に相談してみると良い。そうでないなら、あと数日待って、それから改めて考えたら良い』

 二年前にこの世界に来てから、今回で七回目の生理だ。そのたびに憂鬱そうな表情を見せるハンペータに、さすがに慣れたのだろう。尻尾と触手でぎゅっとハンペータを抱きしめて、その頬をペロリと舐める。

『ほら。寝てしまえ』

 横に並んで寝れば、ハンペータと同じくらいの大きさのルフィルに、ハンペータも甘えてしがみつき、目を閉じる。

 来たばかりの頃に比べると、随分と背が伸び、体重も増えた。二年程度ではまったく外見の変わらないルフィルと比べれば、その成長ぶりがわかるほど。

 けれど、ルフィルのハンペータに対する態度は、反比例するように甘ったるくなっていく。恋人相手というより、子供相手とも言えるほどだ。

 それが嬉しいと思うのは、恋人だという大前提と、子供の頃に周りの大人に可愛がられた経験が無い反動なのかもしれない。

 いつの間にか寝息を立て始めたハンペータを見下ろし、ルフィルは小さなため息をついた。

『元の世界、か。やはり、生まれ育った地は気になるものなのだろうな』

 夕方、狩りから戻った時にディグダに聞かされた話を思い出していた。空を眺めてぼんやりしてた、と。

 自分が生まれ育ったのは、神々の実験施設だから、何の懐かしさもなく、ただただ腹立たしい思い出しかないが。これだけ素直な少年に育ったのだから、ハンペータには幼い頃の良い思い出もあったのだろう。簡単には帰れない場所だからこそ、恋しく思うのも仕方の無い話だ。

 元彼であるハーンですら、街を嫌って森に住んだくせに、時々街を懐かしんでいたくらいだ。まだ十六才のハンペータが、ホームシックにかからないわけがなかった。

『怖いのは、俺の方だぞ?ハンペータ。俺にはお前を迎えに行く術はないのだから』

 最初、ハンペータを迎えに行ったときは、国家事業としてシィンがお膳立てをしてくれた。だが、ハンペータがもし今後元の世界に戻ってしまうことがあったら、同じ方法は使えないだろう。シィンのことだから、協力してくれるとは思うが、あの方法はだいぶ大掛かりではあるのだ。

 ハンペータがそうしたいというのなら、なんでも思うとおりにさせてやりたいルフィルだが、こればっかりは無条件で頷けない。こちらに迎えに行く方法を置いて行ってくれるか、自分も一緒に連れて行ってくれるか。そうでないと、残される方が不安で仕方が無いのだ。

『もう、俺を置いて何処かへ行ってしまわないでくれよ。ハンペータ』

 目の前で恋人を失った記憶は、まだ完全に癒えた傷ではないから。今こうして彼を抱きしめていられる幸せを、失いたくない。

 触手はしまっても、尻尾はハンペータに巻きつけたまま、ルフィルは自分に抱きつくハンペータに自分からも擦り寄って、目を閉じた。





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