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 綺麗にまっすぐ伸びている木の枝を調達して家に戻った僕を待っていたのは、仲間たちではなく、十数人の人間だった。

 彼らは、ハーンの家に押し寄せていて、玄関を懸命に叩いていた。

「ハーン様。大賢者様。いらっしゃるのでしょう?」

「おねがいします。出てきてください」

「わしらを助けてくだせぇ。大賢者様」

 彼らが口々に縋る名前は、五十年前に亡くなった人の名前だった。

 僕の斜め上で、ドリスが舌打ちする音が聞こえた。

『しょうがねぇ。秘密の通路を使おうぜ』

 こっちだ、と森の奥に促すドリスを追って、僕も踵を返す。

 と、背後で玄関の開いた音がした。振り返ってみれば、人々の頭の上から、背の高い人の頭と骨ばった翼が見えた。

「大賢者ハーン様は、五十年も前にお亡くなりになりました。お帰りください」

 ディグダの毅然とした態度が、すごく頼もしく思える瞬間だ。仲間内では唯一人間の言葉を使うことの出来る彼が、今までも人間相手の対応をしていたのだろう。

 けれど、人間たちはそれで引き下がる人たちじゃなかった。

「嘘言うんじゃねぇ」

「俺はこの目で見たぞ。王様が自ら恭しい姿勢をする相手なんか、大賢者様以外にいない」

「服屋の主人が、大賢者様だって言ってたんだ。戻ってらしたんだって」

「大賢者様を返せ。あのお方は人間だ。お前ら獣共に渡せるか」

 僕は、彼らの言葉を呆然と聞いているしかなかった。

 人間たちにとって、大賢者様は縋るべき相手であっても、その眷属たちは自分たちより目下の判断なんだ。きっと、自分たちと同じ人間に仕えていたのだから、自分たちよりも下だ、という判断。

 そんなわけ、ないのに。ハーンを慕う彼らの言葉は、友を大事に思う仲間の態度で、庇護者だなんて誰も見てなかったんだから。

 それに、この国の王様も、ハーンの眷属には一目置いて接していた。メリィアンやモーリーの扱いが、その気遣いを如実に表していた。

 それを、お前ら獣共、だなんて。酷い言い草。大賢者ハーンは、彼らの仲間であって、人間たちだけの救世主ではないのに。

『まったく、ディグダも無視すりゃ良いのによ』

「今までも、あったの?」

『ハーンが死んだ直後はな。死んだって情報だけじゃ、人間どもは信じなかったさ。国王から正式に発表があってもな』

 ほら、行くぞ、と促されて、僕はドリスに突かれるように森の奥に足を向ける。秘密の通路は、ハーンが人間たちに『大賢者様』と崇められるようになってから作ったものらしい。

 人間たちは、さっき見たように、こちらの都合はお構い無しに押しかけてくる。それを、心の優しいハーンはいちいち相手をしていたのだけれど、元々人間を信用していない仲間たちには不評で、人間に会わずに外に出られるようにと仲間たちで作った地下通路らしい。

 僕を先導して目の前を行ったり来たりしながら、ドリスは苦々しげな声で説明してくれた。

『ハーンが死んでから、この家は、国王から正式な庇護を受けていたんだ。寿命の短い単独種の馬のナタリーは、国王の厩舎に引き取られて大事に子孫を残されていたし、その子孫のナーダは一昨日ここに来たばかりだぜ。俺たちにも、生活に困らないだけの庇護を与えて、必要なものは無いかとたびたび聞いてくれるくらい気にかけてくれてた。それは、国王側の事情があったんだろうから、くれるものは貰っとくって態度で通したけど、国王の一族には感謝してる。けどな、街の人間は別だ。国王から庇護を受けていることは街の奴らにも筒抜けだからな、獣共に国の予算でそこまでするわけが無い、ハーンは生きているに違いない、って寸法さ。ハーンを亡くして、俺たちだって落ち込んでたし、ルフィルに至っちゃ、死んじまうんじゃないかってくらい、塞ぎこんでたんだぜ。それを、あいつらは外でわけのわかんないことを騒ぎ立てやがる。出て行って皆殺しにしてやろうかと何度思ったことか。十年もすりゃあ、さすがに騒ぎも収まったが、昨日ハーンに似たハンペータの姿を見て熱が再燃したんだろうさ』

 まるで他人事のように言われたけれど、ドリスが苛立っているのは手に取るようにわかった。

『街の連中にハンペータを紹介できる状況なら、シィンが正式に紹介するさ。それまで待ってやろうって気遣いはできねぇのかよ、人間ってのは。身勝手に過ぎるってもんだ』

 人間を一括りに非難するのには、自分も人間だからちょっと傷つく。でも、まったくその通りだ、とも思った。シィンは僕を誰にも紹介しなかったし、無理をする必要は無いと、言葉だけだったとしても言ってくれた。彼らは服屋に聞いたと言っていたけれど、昨日お世話になった服屋のご主人は、僕に気付いた様子はまったく見せなかった。

 つまり、子供の姿の僕に、彼らは気を使ってくれたんだと思う。僕が立ち去った後の服屋でどよめきが走ったのは、ご主人が気付いた僕の正体を話したからなんだろうから、僕がいたその時にすでに気付いていたことになるけれど、何も言われなかったし、普通の街の小僧相手と変わらない扱いをしてくれていたもの。

 その気遣いを、服屋から広まった話や、もしくはあの時王宮にいた人から出た話を聞いた人のうちの一部が、裏切ったということ。それが、さっき見た人間たちに繋がるんだと思う。

 人間を混合種の脅威から守ってくれる救世主の帰還に、浮き足立っているのはわかる。でも、その人物に縋りにわざわざ危険な森を抜けてくるくらいの行動力があるのなら、それをどうして自分の身を守るために使わないんだろう。

『レイリーは、人間は知恵の生物だ、って言うけどよ。知恵があるんなら、他力本願じゃなくてさ、もっと必要なところに使えよ、って思うね、俺は』

 そうまとめて、ドリスは一本の若い木の枝に降りた。

『着いたぜ、ここだ。足元の岩をどかしてくれ。見た目ほど重くないはずだぜ』

 見下ろせば、取っ手の付いた平べったい岩が一枚、不自然にそこにあった。少し大きめのマンホールサイズ。

 すぐ側に膝を突いて、取っ手に手をかける。

 と、僕が力を入れるより先に、岩が動いた。ランプの明かりを首に提げた、ルフィルがそこにいた。

『お帰り、ハンペータ。こっちに回ってくると思って、迎えに来たぞ』

『さっすがルフィル、ハンペータのこととなると鼻が利く』

『うるさい、ドリス。さっさと入れ』

 へいへ〜い、と軽い返事をして、僕の目の前をさっと横切り、暗い穴に入っていく。鳥目なんだから、この暗さじゃ見えないだろうに、翼の音も高らかに、先に行ってしまった。

 ルフィルに促されて中に入れば、僕が立つ分には十分に余裕のある広さの横穴で。

 ズルズル、ガタン、と音を響かせて、岩の扉が閉じられた。





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