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 僕の名前は、木村半平太。私立中学に通う二年生。一応、男。

 住所は上野公園のすぐ側にある閑静な住宅街の一角。広い敷地の半分は森のような庭で、小学校を卒業するまでは木登りが日課だったという腕白ぶりを発揮していた少年時代をすごしている。

 中学は都内でも屈指の名門中学で、学内では中の中程度の成績を保っている。これでも、親戚には将来を悲観されている成績だ。

 そもそも、大企業の創業者を祖父に持ち、父は代表会社の社長としてテレビにも顔が売れている、筋金入りのお坊ちゃまである。好成績を要求されるのも致し方の無いことだろう。

 けれども、僕自身は、学業よりも剣道や弓道などの武道に強い関心を持ち、予習復習もそこそこに道場に入り浸る日々を送っていた。

 そうはいっても、元々筋肉のつきにくいこの身体では、護身術程度の力しか身につかないのだけれど。道場の無い日でも、日々の稽古は欠かしていない。




 西暦20XX年11月第三火曜日午後九時。

 僕は不忍池のほとりを歩いていた。

 うちは上野寛永寺に程近い住宅街の一角にある、大邸宅と呼べる大きな洋風の古い屋敷で、上野駅から上野公園を突っ切るのが近道だから、いつもの通り道だ。

 木枯し一号を昨日観測した晩秋の夜間ともなれば、さすがに肌寒く、僕は身をかがめて普段の道を急いでいた。

 学習塾の帰り道だった。この辺りは、駅前はビジネス街だし、少し歩けば観光地だし、もっと行くと高級住宅街で、どちらにせよ小さな子供が住んでいることはあまり無いため、学習塾は遠いんだ。

 さらにいえば、我が家は祖父も両親も働きに出ていて、夜遅くならないと帰ってこない上に、通いの家政婦さんは夕方の五時で仕事を終えてしまうため、家庭教師も雇えなかったりする。家庭教師を迎えるのが中学生の男子一人では物騒だ、ということだ。

 別に、観光地として整備されているからライトに不自由もしないし、繁華街の方も明るいし、危ないと思ったことは今まで一度も無い。

 まして、子供の頃から遊び場として通いなれた公園内では、遊歩道はもちろん、林の中でも木の生え方すら熟知しているのだから、それこそ、自宅の庭を歩くようなものだ。

 確かに、寒いし曇り空で月明かりも無いし、急ぎ足にはなっているけれどね。

 ともかく、そういうわけで、僕の中に警戒心はゼロだった。



 その瞬間までは。



 ぐるるるる。

 低く唸るような声に、僕ははっと背後を振り返った。

 そもそも、都会のど真ん中、東京都上野不忍池のほとり。時刻は現地時間で午後九時を回っている。宵闇が都会の光に照らされて、それでも足元はおぼつかない程度に暗い時刻だ。

 あり得ない物音だった。いや、猛獣の呻り声というべきか。

 後ろを振り返った僕は、闇夜に光る二つの黄色い瞳と目があった。その低い鳴き声、縦に長い瞳、遠い電灯に照らされてうっすらと見える身体の線。どう考えても、猫科の猛獣だった。

 目が合った途端。僕の足はピタリと止まった。足がすくんで動けない、とはまさにこのこと。

 すぐ側の上野動物園の檻から逃げ出したのだろうか。この都会では、野生や野良ならばとっくに捕獲されて生きてはいないはずだ。

 低く唸ったその猛獣は、ゆっくりと僕に近づいてくる。獲物として目を付けられたのだろう。本当ならば、走って逃げ出すべきなのだが、僕の焦る気持ちと裏腹に、まったく動けない。

 ゆっくり近づいてくる猛獣。金縛りにでもあったようにピクリとも動けない僕。

 猛獣はしかし、逃げようとしない獲物に襲い掛かってくることがなく、僕の足元まで近づくと、なんと身体を摺り寄せた。まるで、猫が飼い主に甘える態度で。

「……へ?」

 変声期を迎えたばかりの若い声で、間抜けな反応を返す僕に、猛獣は甘えるばかりだ。喉がごろごろと鳴っているのがわかる。

 光の加減で金色にも輝く瞳は優しく、黒い体毛の猫科の猛獣であることだけは理解できるその獣は、じっと僕を見つめた。

 頭に声が浮かぶ。どこから聞こえたわけでもなく。

『やっと見つけました。我が主』

 その瞬間、僕は思考を放棄した。





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