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気がついたら、視界に広がる風景が変わっていた。
それが、正直な感想だった。
平日正午の不忍池、しかも裏門側では、人通りもまばらで、丁度その瞬間、周囲に人の視線がまったく無かった。
そんな開放的な景色が、一瞬にして切り替わった。まるで熱中してみていたテレビドラマのCMに切り替わった瞬間のような、不思議な感覚だ。
そこは、古い石壁に囲まれた、太陽の光が差し込む明るい部屋だった。そして、何も無いただの部屋だった。
見えたのは、木造のドアと金髪美青年、それに、足元の魔方陣くらいのもの。側に寄り添っていたルフィルはそのまま側にいてくれて、片手に握った旅行カバンの取っ手も握り締めたままだ。
目の前の金髪美青年は、覚悟していたよりずっと立派で、しかも簡素な衣装を身に纏い、にこりと微笑んでいた。
けれど、口を開いて出てきた言葉は、僕が理解できる言葉ではなかった。
「*****、******?」
「ごめん。何言ってるのかわからない」
ルフィルの声なき声はちゃんと聞けるのに。人間の言葉になった声は理解が出来ないみたいだ。
僕が彼には理解の出来ない言葉で喋ったことで、言葉が通じないことを理解したらしく、彼は恭しく一礼すると、僕ではなくてルフィルに視線を向けた。
「******、******。******?」
この言葉を、僕は覚えなければならないんだ。出来る限り早くに。これは、大変だ。改めて、覚悟を決める必要を感じた。
通訳を任されたらしいルフィルは、彼が疑問系で言葉を切ると、僕を見上げた。
『歓迎する、と言っている。ここは、魔法使いが大きな術をかけるときに使う特別な部屋で、客人をもてなす場所じゃないから、移動するからついてきて欲しい、だと』
「わかった」
了解を示して頷けば、頷く事が同意とか承知とか肯定の意味になるのはこの世界でも同じようで、彼は先に立って歩き出した。
旅行カバンを引きずりながら、僕もルフィルの後に続いて部屋を出た。
それは、石造りのお城のようなイメージの建物だった。壁はクリーム色に塗られ、たくさんの部屋が並ぶ。ガラスじゃなくて、まるでプラスチックのような薄い膜が窓に張られていて、外を見ることが出来る。
ここは二階のようで、視線の先には向こう側の建物、そして、こちら側と向こう側の間には中庭、両サイドも渡り廊下と言うよりは通常の建物であるらしい。
やがて辿り着いた大きな扉を開くと、ホールのような場所に出た。人がたくさん行きかって、役所を思わせる。左右に階段がついていて、階段が降り切った先の壁の中央に大きな扉。扉の正面を振り返れば、一段高い場所に、玉座としか思えない重厚な椅子が設えられている。
やっぱり、ここはお城なのだ。そして、僕たちがさきほどいたのは、お城の奥に当たる、行政機関の一室、といったところなのだろう。
すごい場所に出ちゃったよ。
玉座には人の姿は無く、その近くで部下に指示を出している老齢の男性は、どうやら何かの大臣のようだ。
ロールプレイングゲームなんかでも、王様の玉座の傍らにいるのは大臣だからな。絵に描いたようだ。
その大臣は、ふとこちらに気付くと、姿勢を正し、胸に両手を当てて深々と頭を下げた。その仕草に気付いた周りの部下たちが、一斉に真似をする。
彼らの視線の先にいるのは、僕たちしかいなかった。
もしかして、僕の目の前にいる案内してくれるこの人は、彼らにあんなふうに礼をされる立場の人なのだろうか。つまり、この国の王?
「ねぇ、ルフィル。この人、王様?」
落ち着かなくて、小声で聞いてみる。と、前を見ていたルフィルはこちらに視線をくれて、目元を和らげた。ルフィルの表情がわかるようになったなんて、僕もそろそろ慣れてきたらしい。
『そうだ。これが、このバル王国の王、シィン・バルだ。ハーン亡き後、我らハーンの眷属は、全員バル王国の庇護下に置かれた。ハーンの生まれ変わりが誕生するまでのよりどころとして、それに、森の混合種に対する牽制の意味もあった。ハーンがいなくても、人間と混合種の共生関係は維持しなければならないからな』
ハーンの死後、五十年という年月が経過している。彼ら、ハーンの仲間たちがこの国で庇護されている事実が無ければ、あっという間に混合種の危険に晒されていただろう。
『この国はハーンの生まれた国であり、生きた国であり、生涯を終えた国でもある。ハーンはこの国を出たことが無い。世界中の人間と動物と混合種の共生の仕方を模索していたが、実際に実践に移すことができたのは、せいぜいが国一つだけだった。ずっと、そのことを悔やんでいたが、ハーンは一人しかいないのだから、どうしようもない』
だから、大賢者ハーンの名も、この国にだけ有名だ。外の世界に出れば、名前だけは知っているどこか遠くの人でしかない。そういうことだ。
説明されて、僕はふぅんと頷くしかなかった。そんな、世界を憂えていたような規模の大きな懐を持つ人の生まれ変わりが、まさか僕だなんて、ますます信じられない。
責任重大だ。
けれど、そうして僕が悩みこんでしまうのと同時に、ルフィルは笑ったんだ。
『ちなみに、彼らが礼をしている相手は、バル王ではなく、お前だぞ、ハンペータ』
「僕? 何で?」
『肖像画で残されているハーンの絵姿にそっくりだからな』
それを早く言え。
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[mokuji]
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