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 しかし、どうしたものか。

 いつものように五時に帰っていった大山さんを見送って、今日は塾の予定だけれど行く気になれず、ソファの下にうずくまっているルフィルに寄りかかって、適当に選んだテレビ番組を眺めていた。

 テレビの中では人々が笑っていたけれど、僕には笑う気力も無かった。

 わかっていたことだ。クラスの中に僕の居場所など無いことは。

 けれど、こうして突きつけられると、やっぱり動揺してしまう。一週間の自宅療養が明けて、学校から戻って来て良いと報告があっても、僕はこのまま引きこもりになってしまうかもしれない。それは、もう、確信めいた想像だ。

 ルフィルは、テレビなんてもちろん無い世界から来ているから、熱心に画面を見つめている。人やものが大きくなったり小さくなったり、画面上に文字が出たり。そんな一つ一つの動きに感心しきり。僕は生まれた時から知っている機械だから不思議に思うことも無いけれど、ルフィルには不思議なのだろう。

 僕が落ち込んでいることはわかっているようで、でも、昨日のようにからかうことも無く、ただそこにいてくれた。黒くて意外と柔らかい毛並みに身体を預けても、それを黙って支えていてくれる。

 それから、ふと呟くように言った。

『結局この家に閉じこもるのならば、俺と一緒にヴァンフェスに来たら良い。新しい環境に身を置けば気分も変わる』

 そうだよね。そう、素直に思った。どうせ引きこもってしまうのならば、この世に僕という存在はいなくなるのも同じこと。

 そして、昨日の事故があってその上今日友達のイジメに合ったと報告を受けても、迎えに来るどころか早めに帰って来ることもしないうちの家族が、心配してくれるようにも思えなかった。

 つまり、僕が突然明日いなくなっても、何も問題は無いんだ。僕だって、この世の中はとても生きていき難い。

 違う世界に行けば、向こうでの苦労はもちろんあるのだろう。ルフィルがこの世界に僕を引き戻しに来た事情を考えれば、人々から離れて生きていくことは不可能だろうから、言葉も文化も勉強しなくてはいけないし、文明水準が低いから僕が今まで生きてきたような楽な生活も望めない。

 それでも、少なくともルフィルはそばにいるだろうし、向こうは僕を待ち望んでいるのだから、こうして人に否定されて生きる必要もないんだ。

 それだけでも、なんだか楽なことに思える。

『すぐに答えを出すことは無い。俺が向こうに戻るのは、明日正午。それまでに、結論が出てくれたら良いのだから。ゆっくり考えろ』

 昨日までは返事を急かしていたくせに、今夜は無性に優しい。本気で落ち込んでいる相手には、気を使ってくれるのだろう。それが、嬉しかった。

「ルフィルって、良い奴」

『なんだ、今頃気付いたか』

「自分で言わなきゃ、良い奴、で終わってたのに」

 そんな簡単なやり取りですら、わかっていたかのようにフッと余裕げに笑う。

 僕の前世を主人と慕っていたのだから、彼はきっと随分年上なのだろう。それなのに、まるで少し上の兄を相手にするような気楽さがあって、この関係が心地良かった。

「ねぇ、ルフィル」

『うむ?』

「向こうに行っても、ルフィルは僕の側にいてくれるの?」

『当たり前だ。生まれ変わった別の人間であるとはいえ、俺が主と認める相手は、ハーンであり、ハーンの魂を受け継ぐお前だけなのだから』

 その感覚が良くわからないんだけどね。別の人間だと認めているくせに、僕と前世をごっちゃにしてない?

『ハーンに仕えた十二の獣たちが、全員でハーンの帰りを待っている。俺だけではない、皆、お前を心待ちにしているのだ』

「だから、僕は僕であって、ハーンさんじゃないって」

『そうだな。お前はハンペータだ。ハーンとは違う。が、俺たちが忠誠を誓ったのは、ハーンであり、ハーンの魂なのだから、生まれ変わったと言えど主人に変わりは無い』

 その辺が、よく理解できないんだよ。ヴァンフェスでは、生まれ変わり思想が強いということなのか、それを実感する事実があったりするものなのか。

 まぁ、チベット辺りでも、高僧の生まれ変わりを再び高僧として迎え入れる風習があったりするから、似たようなものなのかもしれないな。

『生きていれば辛いことや悲しいこと、苦しいことなども多々あるだろう。だが、ヴァンフェスでなら、俺がずっとそばについていられる。ここでは守ってやれないが、向こうでなら思う存分。最後の一人になったとしても、俺はハンペータの味方だ。心強いだろう?』

「どこまで本気かわからないけどね。今は、すごくありがたいよ」

『この身が滅びようとも、俺はハーンの、いや、ハンペータの盾となることを誓うよ』

 きっと昔はハーンに誓ったのだろう。自信たっぷりの宣言に、僕の心は勝手に安心してしまう。出会ってまだ二日しか経っていない相手にとって、僕はハンペータだと言いながら、ハーンを相手にしているつもりなのだろうけれど。

 他人だと思い知って幻滅されてしまう未来はわかっていて。それでも、今は、彼のその自信に縋っていたい。それだけ、心が不安に震えているから。

「僕を、連れて行って」

『良いのか?』

 喜び勇んで頷くかと思ったルフィルは、予想に反して心配そうに聞き返してきた。その心遣いが、嬉しかった。

「うん。良いよ。ヴァンフェスに、行く。僕を必要としてくれるなら」

『もちろんだ。良かった、決心してくれて』

 長くて薄い、猫特有のざらついた舌で、頬をペロリと舐められて、僕はくすぐったさに肩をすくめて笑う。こんなに身体が大きくても、やっぱり普通の猫と変わらないくらいに仕草が可愛くて。

『守るよ。俺の命を懸けても』

 そんな呟きは、僕に対する誓いに似た、自分に対する誓いだったのかもしれない。





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