トーナと恋人




 甲板から下ること二層。
 マストを二本持つ大型帆船の腹部に、その空間は作られている。

 船の乗降用の踊り場。
 大して広くはないが、船の中央に穴が開いたように吹きっさらしの空間で、危険回避のために高い手すりがつけられている。

 海が荒れれば、波をもろに被る高さで、天気の悪い日には防水シートを張って壁代わりにするところだが、穏やかに晴れた日にはちょうど良い釣り場だったりもする。

 防水シートを丸めて作った簡単な腰掛に腰を下ろし、トーナは釣竿を片手に水面を見下ろしていた。
 傍らの水槽には大物が5、6匹泳いでいる。

 普段は、釣りも水夫の仕事だ。
 海上生活の長い彼らの、海からは降りられない余暇の貴重な趣味だ。
 大物を釣り上げて大はしゃぎする男たちの姿が、晴れるたびに目撃される。

 この日は、一人だった。
 船員たちは全員、次の作戦の準備で船内を縦横無尽に走り回っている。

 専属コックとして船に乗っているトーナは、数少ない非戦闘員の一人だった。
 元々内陸の農村部で生まれ育ったトーナにとって、海も戦闘も無縁なものだったし、この体格では扱える武器も限られる。

 それに、包丁以外の刃物は持つな、というのが、船長からの厳命だった。
 仕事に出かける前のスタミナ補給と、仕事を終えた後の空腹の解消が、トーナの仕事だ。
 コックが戦闘に出ていては、本来の仕事に差し支える。

 理由がはっきりしていたので、トーナはこの厳命に素直に従っている。
 おそらくは、トーナがこの船に乗ることになったきっかけに配慮してのことなのだろうけれど、そこまで勘繰る必要もない。

 初めてこの船に乗った時、トーナの立場は戦利品のうちの一つだった。
 海賊船であるこの船が、本来の仕事である略奪作戦の矛先に選んだ貨物船。そこに、積まれていた商品の一つが、トーナだ。奴隷商人の荷物だった。

 奴隷といっても、トーナと一緒に檻に入れられていたのは、みな一様に肌がキメ細かく目鼻立ちが整っていて、男も女も十代半ばの発育途上だったから、その目的が肉体労働でないことは簡単に察しがついた。

 中でもトーナは、すでに一度主人に飼われた経験のあるお古だった。
 主人が政治的失策で失脚していなければ、今頃なぶり殺しの目にあっていたのだろう。
 だからといって、二人目の主人に引き渡されればどうせ運命は同じだ。

 地方の片田舎で生まれ育ち、大国の政治中枢の一翼を一時は担っていた主人の下で暮らしたトーナにとって、船旅は初めての経験だった。

 したがって、この船の戦利品として檻ごと移動してきた時、トーナはその片隅にうずくまり、熱い息を細々と吐いている状態だった。
 他の奴隷たちと離れて船に残ったのは、病人は売れないという単純な事情によるものだった。
 おそらく、熱が引いたら売り払うつもりだったのだろう。

 けれど、そこに誤算があった。
 なかなか熱の下がらないトーナを乗せた船は、戦利品を売り払って二日目、新たな獲物の情報を得て、再び海上に出て行った。
 起き上がれないトーナを乗せたままだった。

 三日目、ようやく起き上がったトーナは、働かざるもの食うべからず、という論理の元、厨房で働き始めた。

 当時は選任コックなどおらず、水夫たちが交代で料理当番に当たっていた。
 釣った魚と港で積み込んだ野菜で、味付けもそこそこの男の料理が、普通だった。
 見ていられなかったのが、トーナだった。
 これでいて、前の主人が美食家だったこともあり、ちょくちょく厨房にお邪魔してはご主人様のご機嫌伺いのために料理を覚えていたトーナは、自由にできたものがそれだけだったこともあって、趣味といえるほどの腕前だったのだ。

 仕事を大成功で終えて港に戻った時には、トーナはこの船のコックとしてなくてはならない人材の地位を確立し、奴隷としての未来と決別した。
 そのかわり、海賊としての未来を手に入れることになったけれど。

 後悔はしていない。
 自分以外の誰をも信じられなかった過去に比べたら、天国と言えるほどの環境だ。
 これで後悔などといったら罰が当たる。

 それに、人間らしい感情もこの船の上で覚えた。
 怒り、悲しみ、喜び、そして、幸せ。

 どうしても失いたくないと思える人がそばにいて、心から祝福してくれる仲間がそばにいて。
 一生手に入らないと諦めていた、人並みの幸せの中に、今は暮らしている。




「トーナ?」

 背後から声を掛けられて、トーナは振り返った。
 そこにいたのは、仲間内でも人一倍立派な体格の男。
 筋肉質だが引き締まっていて、無駄な筋肉も贅肉もなく、洗いざらしのざっくりしたタンクトップを着て、着古したボロボロの皮のベストを羽織り、頭に赤いバンダナを巻いて、膝丈の裾がほつれたジーンズを履き、足元は足首に括りつけたサンダル履き。
 とても役職付とは思えない、ラフスタイルだ。

 これが、トーナの恋人。
 性奴隷たちを集めた檻の中でトーナに一目惚れして、熱を出しているのをこれ幸いと手元に置き、トーナが寝込んでいる間に船を港から剥がして、船に残るように陰で画策した人物だ。

 普段の争い事を避ける彼としては、裏で画策、などという行為は、後にも先にもこの時だけだったそうだから、それだけ本気で惚れ込んだのだろう。

 通称、バリス。
 バリスシュトライン・シェベルスガルト・ザインデハインリッヒ、というのが本名だが、この辺りでは聞き慣れない上に舌を噛みそうな名前で、略されて、バリスと呼ばれる。
 船の上では、甲板長の肩書きを持つ、ナンバースリーの位置にいる。

 求愛されて絆されて、深い仲になった関係だけれど。
 今のトーナには、彼なしの人生は考えられない。
 そのくらい、寄りかかってしまっている。

 今のところ、トーナが寄りかかっている事実に、バリスも喜んでいるようだが、この関係は一体いつまで続けられるのか。

「また、何か暗いことでも考えていたんだろう」

「……別に、そないなことないし。幹部会議終わったん?」

「お前を呼びに来た。今回は、作戦に参加してもらうことになったんだ」

「……俺が? 役に立つのんか?」

「身の危険は副長が守ってくれるさ。心配は要らない。
 この船の中じゃ、この作戦ができるのは、副長とお前だけだからな、仕方がない」

「えーと。それは、もしかして、色仕掛けなん?」

「あぁ。副長が姫で、お前が女官って設定なんだとよ」

 心底嫌そうに頷く恋人に、その反応こそが嬉しくて、トーナは笑った。
 こうして、ぶっきらぼうな言葉の端々に、彼の強い想いが見え隠れする。
 まだ愛されていると実感する。
 それが、嬉しくて仕方がない。

「副長の実力は、信頼してるよ、俺」

「……あの細っこい腕のどこにあんな力があるんだろうな。まったく、尊敬に値する」

 それに、と言葉を繋ぎ、バリスは足元の水槽に目をやった。

「お前も、腕っ節強くなったな。これだけデカイ魚釣り上げるには、だいぶ腕力が要るだろう?」

「必要最低限やて。一応男やし、こんくらい、な」

 男が男に、強くなったと評価されれば、それは誉められているのだと理解するのが普通だろう。
 けれど、バリスがトーナにそう言う場合、八割方は寂しさからくる言葉だ。
 自分の庇護が要らなくなるのか、という、保護者にも似た感情。

 実際、付き合い始めた当初は保護者の色合いが強かった関係だから、国によっては既に成人扱いされる年齢になっても、扱いは変わらない。
 それを、子ども扱いと思わず、嬉しそうにできるのは、愛されているが故だとわかっているからだろう。

「バリスが守ってくれるて信用してるさかい、気張れるんよ。せやから、手ぇ放さんといて」

「放せといわれても、もう無理さ。一生、俺の隣に縛り付けてやる」

「嬉しぃこと言うてくれるわ、もう。そないメロメロにしたいん?」

「当然だろ。逃がさねぇよ」

 実際放さないように背中から抱きしめて、頭一つ以上背の低いトーナの額にキスを落とす。
 それをトーナも嬉しそうに受け止めて、自分を抱きしめてくれる腕をぎゅっと抱きしめて笑った。

 そんな二人を、どうやら迎えに来たらしい。
 わざとらしく、コホンと空咳して見せて、甲板へ上る階段口に現れた美少年が声をかけた。

「はいはい。イチャイチャすんのは後にしてくれよ。こっちは待ってるんだぞ?」

「……うわっ! セ、セレ!? いつから見とった?」

「ついさっき。ほら、早く来いよ。ちゃんと打ち合わせしないと、俺と連携取れないだろ。お前を守るのは、俺なんだから」

「……トーナは俺が守るんだ」

「何不毛な嫉妬してんだよ、バリス。アンタを敵に回す気はさらっさらないから安心しろ」

 ほらほら早く、と急かして先に階段を上っていくセレの、どうやら恋人にやってもらったらしい複雑に編みこまれた髪型を見送って、バリスはようやくトーナを放し、肩をすくめた。
 
「確かに、不毛だ」

「ホンマや。セレと俺がどうにかなるなんて、万に一つもあらへんわ。あれは、親友やって」

「だな」

 他人行儀が抜けた途端に頼りがいの増した、まだまだ少年の域に入る副船長の言葉を反芻し、トーナとバリスは改めて顔を見合わせ、苦笑し合う。
 それから、トーナは釣り糸を巻き上げた釣竿、バリスは魚と水の入った桶をそれぞれ持ち上げて、セレの後を追いかけていった。

 秋の穏やかな風がそっと船を目的地に流している平和なある日の午後。
 ターゲットの船影が、海の彼方に見えてきていた。





[ 61/62 ]

[*prev] [next#]

[mokuji]

[しおりを挟む]


戻る



Copyright(C) 2004-2017 KYMDREAM All Rights Reserved
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -