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この港町にやってきたときに比べれば、随分すっきりした表情で、セレは荘厳な佇まいを見せるその建物を見上げた。
数世紀に渡って港町を見下ろしてきた、国を支える神々を奉った神殿は、ちょうど夕日に照らされてオレンジに光り輝いていた。
見送りにやってきた姉に両手を取られ、セレは彼女を慰めるようにそっと微笑む。
「近くに来たときには必ず会いに寄りますから」
「えぇ、えぇ。きっとよ。離れていても、貴方は私の双子の弟なのですもの。絶対に、会いに来てね」
離れがたい様子でセレを見つめるマレに頷いて見せて、セレは少しだけ自分より背が低く華奢な姉を両の腕で抱きしめた。
美人同士が抱き合う姿は、それが家族愛によるものであるからこそ、実に美しく、目の保養だ。
だからこそ、ゴルトは嫉妬することも忘れて、ただ黙って見守った。
それから、セレの頭をグリグリと撫でつけ、自分の方へ引き寄せる。
ゴルトに引き寄せられるまま姉を抱きしめた手を離して、セレはその逞しい腕に縋り付く。
セレらしくない甘えように、まだ演技の続きなのか、それとも本気で甘えているのか判断できず、ただ甘えられるままに抱き寄せる。
「そろそろ行くぞ」
促されて、まるで子供のようにこくりと頷く。
そんなセレの仕草を眺めて、マレは少し寂しそうに笑うと、隣に立つ大男を見上げた。
「海の神に愛された大切な神子です。海に生きる貴方なら、その意味がおわかりですね?」
「ふん。その大切な神子に酷い仕打ちをしていやがったこの国の人間に言われたかねぇな。
……だが、まぁ、セレが自分の命の危険をも顧みずに守ろうとしたアンタの言うことだ。せいぜい肝に銘じておくさ。こいつは俺に任せとけよ。悪いようにはしねぇ」
「たかだか海賊風情の言うこと、私が信じる道理などありません。
けれど、それでもセレが貴方を信じたと言うのなら、私はそれに従うだけ。この子を泣かせたら、容赦しませんよ」
「こいつが海の上で泣くようなことがあれば、アンタが手を下すまでもなく、海の神が制裁を下すだろうさ。言われるまでもねぇ。まぁ、ありえねぇがな」
言いたいことを言いたいだけ言い放って、ゴルトが踵を返す。
姉とゴルトの言い争いを少し驚いた表情で見ていたセレが、その後姿に気付いて慌てて追いかけた。
姉を振り返り、小さく会釈をする。
遠ざかっていく大小の影を見送って、マレは寂しそうに微笑んだ。
「彼の者たちに神々の祝福を与えたまえ」
「よろしいのですか? 行かせてしまって」
隣にやってきた護衛官が、マレを見下ろしもせずに問いかける。
その彼を見上げて、マレは軽く頷いた。
「良いのです。あの子にとって、この島は災いでしかない。血を分けた双子の弟の幸せを願えば、解き放ってあげることこそが最上の選択ですよ。
それに、あの男。おそらくは、風の神に愛された神子。悪いことはありません」
「なんと、あの粗野な男が神子!?」
「風ネズミの名は、伊達ではないということよ」
驚いて、その話題の男の小さくなった後姿を見つめるイェンを見上げ、マレはようやく晴れ晴れと笑った。
「さ。私たちはあの子に任された後片付けをしなくてはね。イェン・ルー。手伝って頂戴」
「御意」
マレの言葉に促されて、改めて姿勢を正し、命令を承って礼をする。
それから、歩き出したマレの背中を守るように、背後にしたがって、神殿へと戻っていった。
眼下に広がるどこまでも広い大海原が、夏の強い日差しを反射して、きらきらと輝いていた。
おしまい
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