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第二師団第一部隊といえば、神殿ではもっとも名実ともに優れた騎士が集められた精鋭部隊だ。
その部隊に所属する三十名の隊員が、一つの号令によって一度に行動することは、部隊が創設されてから今までで一度としてなかった。
今回が、初めてだ。
作戦の内容は、三十名の全員に配られた対象者リストに該当する人物の拘束。
対象者は、神官、軍幹部、国家官僚などに及び、総勢五十四名であった。
このうち、神殿において身柄を拘束できる者のみが実際のターゲットだが、それでも四十人は下らない。
警察機構としての意味合いがあるこの部隊が行動するには、その根拠が必要になるのだが、それもまた明白であった。
つまり、海の神子への不敬罪だ。
隊長、イェン・ルーの号令に従って、大捕り物が始まる。
それはまるで、クーデターのようにも見えた。
その騒ぎに乗じて、セレはゴルトとともに、神殿の奥へ入り込んだ。
突然の騒動に驚いて部屋の外へ飛び出した神官長と、その部屋の前で鉢合わせる。
その瞬間の神官長の驚きようは、ただごとではなかった。
担いだ布袋からは、宝飾品やら金品やらが覗き見えていて、驚いて数歩下がったおかげで袋ごと壁に激突する。
「マ、マレ様っ!?」
「……なわきゃねぇだろーが。ボケてんのか、ジジイ」
すかさず、まるで合いの手でも入れるように突っ込んだのは、ゴルトだ。
それから、ん?と不思議そうに首を傾げ、隣に立つセレを見下ろす。
「まさか、これが神官長か?」
「ん。そう」
肯定の返事は、実にあっさりしたものだった。
返事をされた方は、改めて唖然とした表情だったが。
それは、初見で判断して六十代前半ほどの、総髪が白髪で神官独特のすっきりした黒服に、旅に出るつもりらしく灰色のフード付きマントを羽織り、旅に出るには不釣合いな布袋を一つ肩に担いだ男だった。
さすがに見た目は静謐な印象を受けるものの、野心家らしい鋭い視線を隠すには足りず、見た目がいかにも穏和そうな雰囲気である分、その目だけがやけにギラギラして見える。
自然に二人同時に神官長に詰め寄れば、廊下にすでに逃げ道はなく、彼に与えられていた比較的広い室内に逆戻りする。
扉を閉めてゴルトがその前に立ちふさがれば、退路はなくなった。
マレの居室と並ぶこの部屋の唯一の窓は、断崖絶壁に面しており、窓から逃げることなど自殺行為だ。
逃げられないと知って抵抗する気も失ったのか、ふらりとよろけるようにソファに座り込む神官長を、セレは彼から三歩ほど離れた場所に立って見下ろした。
「私がこの場にいる理由は、おわかりですね、神官長様?」
「……海賊に攫われたはずだ」
「えぇ。姉上に間違われて、彼らによって囚われの身となりました。貴方の差し金です」
「そんな大それた事をして、私に何の利益がある」
「多大な利益があるじゃないですか。
今現在、この島には二人の神子がいる。わが国にとって、神々に愛された神子の存在は何よりかけがえのない宝。その二人を手中に収めれば、この国を乗っ取ったも同然。
違いましたか?」
まるで立て板に水。
神官長自身が企んだ計画が、すらすらとセレの口を飛び出してくる。
つまり、マレ・アザークの誘拐を神官長が計画した、という、共犯者がいるからこそいつバレてもおかしくない、誤魔化しようのない事実から、セレがその目的を言い当てたということだ。
十五歳まで箱庭に閉じ込められて、書物以外の経験を一切できなかったはずの彼が、そこまでの洞察力を持ち合わせていたことに、気付かなかった。
それは、神官長の不覚だ。
「私のことはかまいません。私だけが耐えれば済む。
けれど、姉上に危害を加えようとしたことは、捨て置くわけにいきません。
貴方はね、神官長様。欲をかき過ぎたんですよ。私だけで満足して置けばよかったのに」
セレが自分の身の安全を省みないことはよく理解しているゴルトだが、それでも、実に不機嫌な表情を隠しもせず、胸の前で腕を組み、扉に背を預けてセレを見守っている。
セレに口を出すなと厳命されていたからこそ大人しく黙っているが、愛した人だからこそ、その人が自分の身体を投げ出すことを平気で口にするのは、我慢できないのだ。
今すぐにでもこの目の前の男を八つ裂きにしてやりたい。
この腕に愛しい人を抱きしめて、傷ついた心を覆い隠してやりたい。
それが、ゴルトの本心だ。
セレ自身はくすくすと気持ちよく笑っているのだが。
「殺してなんて差し上げませんよ。
いっそ殺してくれと泣き叫ぶ貴方の姿を、じっくりと眺めさせていただきます。
ふふ、楽しみですね。どうして差し上げましょうか。
幾人もの屈強な男たちにその身体を陵辱してもらうのも良いですし。
そう、もうその御歳では、必要ないでしょう?それ。
切り落として自分に犯してもらうって、いかがです?
私が貴方から受けた仕打ちを、同じ年数同じ手順でお返ししてもいいですが、その御歳ではそんなに長く命がもたないでしょうしねぇ?」
セレの本来の柔和な性格からは想像できない残酷な事例の数々に、言われている方はそれが冗談とも思えず、どんどん追い詰められていく。
ずいっと一歩追い詰めるだけで、その小柄で華奢な身体にも関わらず、よほどの脅威を与えるらしい。
一気に十歳は老け込んだような老人の口から小さな悲鳴が上がる。
神官長の反応に、セレはますます気を良くしたのか、まるで子供のように声を上げて、あはは、と笑った。
「どうしたんですか?神官長様。そんな悲鳴を上げたりして、みっともないですよ。
男は恐怖に震えちゃいけないのでしょう?
何度もそのように言い聞かせられたような覚えがありますけど、違いましたっけ?」
今までのセレの台詞の数々は、セレ自身が今までに目の前の老人から言われた台詞だった。
どれもこれも、セレに深く埋め込まれた恐怖心を煽る言葉。
そうやって脅して、身体に言い聞かせて、服従させたのだ。
だからこそ、ここぞとばかりにそのまま返してやる。
それがどんなに恐怖だったか、身をもって味わえばいいのだ。
「そうだ。
神官長様は精力逞しくていらっしゃるから、きっと若い神官とも対等に張り合えますよね。衆人環視の中で犯していただくのも良いかも。
いかがです?」
以前に言われた通りに酷い揶揄の言葉を口ずさみながら、もう一歩近づく。
目に見えてガタガタと震え始めた神官長目がけて、スラリと美しく伸びた足を叩き込んだ。
ダン、と重い音を立てて、神官長の頬を掠めてソファの背もたれに、その爪先がめり込んでいるのが確認できる。
今度こそ、はっきりと甲高い悲鳴を上げて、神官長はとうとう歳相応に弱った心臓に負担が来たらしい。
白目を剥いて気絶してしまった。
少々のアンモニア臭が漂ってくるのは、どうやら恐怖に耐え切れずに失禁してしまったものらしい。
自分を長年苦しめてきたもののあっけなさに、セレは呆れてモノを言う気力もなくし、深くため息をついた。
「殺さねぇのか?」
扉の前で見守っていたゴルトに問われて、セレは彼を振り返り、苦笑とともに肩をすくめる。
「これ以上は、姉上に任せるさ。怒ってたし、無罪放免にはならないだろ」
「せめて骨の一本も折ってやればいいじゃねぇか。気ぃ、済んでないんだろ?」
「ん?
……あぁ、いや。忘れてた。せめてこれだけは、って思ってたことはあったんだ」
ゴルトの目の前まで引き返してきていたセレが、再び神官長のもとへ戻っていく。
何をするのか予測できずに、腕を組んだままこちらを見守っているゴルトの視線を背中に感じながら、セレはつま先で神官長が羽織っているマントの端を拾い、神官長の腹部を覆うようにかけた。
小水で塗れた服が、ひとまず隠れる。
それは、もちろん、親切心でそうしたわけではないのだろう。
この程度では、せめてこれだけは、と発言する必要がない。
マントをかけた足を再び持ち上げ、その股間に乗せる。そのまま体重をかけても十分痛そうだが。
しばらく踏み踏みと何度も踏みつけて感触を確かめていたセレが、ふとその足を持ち上げ、勢いよく振り下ろす。
気絶していたはずの神官長が、目も口も大きく開き、まるで断末魔のごとき喚声を上げた。
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