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 鎧をガチャガチャと賑やかに鳴らして、一人の兵士が神殿奥の居住区を駆け抜ける。

 鉄の色に鈍く輝く鎧は胸当てと手甲、脛当てのみだが、その他の部分を覆う衣服も頑丈なもので、白地のマントを肩から垂らし、左の腰には細い長剣が刺さっている。

 その姿は、神殿付きと呼ばれる親衛隊第二師団の制服である。胸の徽章は、第一部隊を示していた。

 目指す先は、神殿居住区の中でももっとも奥まった部屋である。
 天然の要害と誉れ高い断崖を眼下に見下ろすその部屋は、神殿でももっとも神聖な存在である、姫神子、マレ・アザークの居室だ。

 風を通すために開きっぱなしの入り口に姿を見せたその兵士は、室内にいる二人に対して、跪いた。

「申し上げます。隊長! セレを攫っていった海賊船が、再び港に!」

 思うように情報の集まらない事態に悩んでいたその二人、マレとイェンにとって、それは慌てて振り返るのに十分な知らせであった。

 物語に登場する海賊船は、一様に、帆の一面に髑髏を象った紋章を掲げているが、現実の海賊船は一般の商船と変わりのない外見だ。
 違法集団であるだけに、所属港を示す旗を掲げていないことで海賊船である見分けはつくが、それがどの集団であるかなどは見た目ではわからない。

 したがって、知らせにやってきた兵士に、上官であるイェンは落ち着いて問いただした。

「その根拠は」

「第二層に穴の開いた二重帆の帆船など、そう多くありません。おそらく、間違いないかと」

 それは、特徴的な珍しい形の船であったからこその根拠で、イェンはそれに異を唱える必要性を感じない。
 自分より頭一つ低い身長であるマレを見下ろし、イェンは甲冑で覆った胸の前に手を当てて一礼する。

「確認してまいります。姫はこちらでお待ちを」

「いいえ。私も参ります。セレが、呼んでいるわ」

 何か空中の目に見えないモノの声に耳を傾けているような恍惚とした表情のまま、マレは自分の護衛に対して同行を主張する。
 それが、弟を心配しての行動であるのなら押し留めるところだったが、神子である彼女がその能力を使って聞いたものであるらしいその呼び声を訴えるなら、制止することもできない。

「では、私のそばをお離れにならぬよう」

「えぇ。参りましょう」

 頷いて、長い黒髪をさらりと揺らし、マレが歩き出す。
 今にも駆け出しそうな彼女を追って、イェンも部屋を出る。報告に来た部下の肩をすれ違いざまに叩いて、ついてくるように指示をした。

 足元まで隠れる白くストンとしたワンピースに薄いピンク色のボレロカーディガンを羽織ったその姫神子の姿は、神殿では見慣れたもので、急ぎ足で立ち去る彼女を誰も咎めようとはしない。
 一般参拝客は、普段はこんなに近くで見ることのできない彼女の姿に、手を合わせて拝む者もあった。

 神殿は高台に建てられており、前庭に出れば港町が一望に見渡せる。
 一歩神殿の外へ出て、マレはそこで立ち止まった。

「あれが、その海賊船なのね」

 大海を渡るのに十分な大きさの帆船は、この小さな港町では比較的目立つのだ。
 アザーク王国の貿易港はここではなく島の反対側で、二本の帆を持つ帆船が港に接岸するのは、三、四日に一度という低頻度。
 ちょうど今も、問題の海賊船以外に、その大きさ以上の船は港に停泊していない。

 派手な装飾もなく木造を打ちっ放しにも見える船体は、まるで貨物船のようにも見える。
 所属する港を示す旗が掲げられていないことで、辛うじて海賊船だとわかるのだが、遠目では判別がつかない。

「姫。馬車を仕立てております。今しばらくお待ちを」

「えぇ……」

「……姫?」

 低頻度とはいえ、珍しいわけでもない普通の帆船だ。
 ゆっくりと港に接岸しようとしているその船を見つめて呆然としてしまったマレに、常に付き従っているイェンは首を傾げて呼びかけた。

 マレは、船を見つめて放心した状態のまま、イェンにだけ聞こえるような声で呟いた。

「あの子。力が上がっているわ。こんなにセレの声がはっきり聞こえるのは、初めてよ」

「力? それは、神子の力ですか?」

「そう。私の名を繰り返し呼んでいるわ」

「助けて欲しい、と?」

「いいえ。ただ、呼んでいるだけ。何故かしら、セレの心が落ち着いているように感じるのよ。一体、どういうことなの……?」

 海賊に攫われて囚われの身であるはずだ。
 そして、この港に戻ってきたということは、何らかの方法でその身柄は危険にさらされるのは、簡単に予想ができる。
 それなのに、セレから伝わってくるその声は、実に落ち着いていた。
 助けて欲しい、でも、逃げて欲しい、でもないのだ。
 ただ、姉であるマレを呼ぶ声だけを繰り返している。

 ただし、こちらから答えても会話は成立しなかった。
 ただ、向こうからの声を、マレが偶然拾っているような状況だった。
 これでは、まったく落ち着かない。

 多少イライラしてきた頃、港の方から一騎の騎馬兵が大急ぎで馬を駆って戻ってくる姿が見えた。
 そこにいるのがマレと第二師団の長であることに驚いたものの、目の前で馬を下り、二人の前に跪く。

「申し上げます。海賊船マリート号より要求がありました。
 セレ・アザークの身柄を返して欲しくば、島の神子マレ・アザーク本人が引き取りに来い、護衛を一人付けても構わない。
 以上です」

「護衛を一人?
 ……一体奴等は何を考えているの。しかも、引き換えじゃなくて引き取りになんて、要求としておかしいわ」

「まったくですな。もちろん、護衛には私が」

「えぇ。頼りにしているわ。イェン・ルー」

 ちょうど馬車の用意ができ、マレはイェンとともにそれに乗り込む。
 座ると同時に走り出す馬車は、一路港に向かって坂を下っていった。





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