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「で?」
船長室で待っていたらしいバリスに突然声をかけられて、階段側から船長室に戻ったゴルトは、びくっと肩を震わせた。
まるで部屋の主のようにソファに腰を下ろしてこちらを見やっているバリスに視線を向け、それが彼であることを確認して、ほっと胸をなでおろす。
「驚かすなよ、バリス」
「ふん。まぁ、大体のことは、報告に来たデンバーとトーナに聞いたけどな。お前は、どうするつもりなんだ?」
「セレのことか?」
聞き返し、偉そうに足を組んでいるバリスのその膝を邪魔だというように払い落とし、隣に腰を下ろす。
夕食を一緒に摂って、疲れ果てているセレを寝かしつけて、ようやく船長室に戻ってきたところだった。
食堂に行く途中で人には会ったが、誰にも気を払う余裕がなかった分、気を許せる相手の前でようやく落ち着いた感覚だ。
そうだ、とバリスが頷くのに、苦笑を返す。
「どこに配置するかねぇ」
「……残すのか?」
「本人の意思を尊重する。元々この船の方針だろ? 俺も、もう手放せねぇだろうしな」
華奢に見えてやはりしっかりした身体つきをしていたセレの肌の感触を確かめるように、自分の両手を見下ろす。
ゴルトの、今までバリスでさえ見たことのなかった優しい視線に、その思いの丈を感じ取った。
こうなっては、仕方がないのだろう。
「副船長だな。ちょうど空席だ」
「お前がならないのか?」
「冗談。甲板長を引き受けた時だって、お前に頼み込まれて仕方なく、だぞ。これ以上の肩書きは勘弁してくれ」
前の船長が生きていた頃は、ゴルトが甲板長をしていた。
その跡を継いでもらうのに、当時は孤立無援に近かったこともあって、気心の知れたバリスに頼み込んだ経緯があったのだ。
その時も、肩書きなんて重いものは担ぎたくない、と嫌がった。
まだ一年も経たない頃の話だ。忘れるには時間が足りない。
「良いじゃねぇか。あの子なら、うまくやるだろ。お前がサポートしてやれば良い。まぁ、必要なさそうだけどな」
「確かに。あれは生まれもってのカリスマってヤツがあるからな。よくあそこまで押し込めてきたと思うよ、俺も」
ゴルトが言うだけなら、惚れた欲目、と言われそうな評価だが、言い出したのは特に思い入れる必要のないバリスだ。気に入ってはいるのだろうが。
「じゃあ、副船長で良いんだな?」
「あぁ。セレには俺から言っておく」
頷いて、立ち上がる。扉のついた戸棚を開けて、酒の瓶とカップを二つ取り出した。
「飲むだろう?」
「あぁ、もらう。何だ、そんなところに隠してたのか」
「他の連中にはバラすなよ。結構高い酒なんだ」
カップを一つ持たせて、そこに酒をなみなみと注ぐ。高いと言う割りにケチらないあたり、拘っているわけではなさそうだ。
自分の分も用意して、コツンと二つのカップをぶつけた。
「あぁ、そうだ。報告があって来てたんだ」
「報告?」
「あぁ。モーサン。地下牢のお客人と一緒に放り込んでおいたぞ」
それは、セレに催淫剤を盛った男の名前だ。
その名前をどうやら耳に入れたくなかったらしく、ゴルトはむっと眉を寄せた。
「あの野郎。今度という今度は許せねぇぞ」
「催淫剤ってのは、初めてだな。だんだん酷くなってねぇか? 新入り虐め」
「あれは、虐めの域を超えてんだろ」
くっくっと笑うのは、結局バリスには他人事だからなのか、結局ゴルトとセレの仲を縮めるのに一役買ったせいなのか。
不機嫌なゴルトとは対照的な反応だ。
「あぁ、それと、デンバーはお仕置きしておいたからな」
「お仕置き?」
「一週間便所掃除」
「元々新入りの仕事だろ、それ」
ゴルトの突っ込みに、ははっと機嫌良く笑い、バリスは旨そうに酒を口に含む。
アルコールは強いが芳醇な香りが鼻に抜けた。確かに良い酒だ。
「たぶん、混乱してるんだろうな。安心しろよ、ゴルト。あれは、お前の恋敵にはならねぇ」
「……どういう意味だ?」
「男に惚れたのが初めてなんじゃねぇか?
セレは、あの体格であの実力だろう? 憧れてるのさ。勘違いしてるんだろうよ」
「ガキかよ」
「今まで躓いたことがなかったんだろうな。良い経験になっただろうよ、あいつにはな」
「こっちにはいい迷惑だ」
憮然とした表情を隠しもせず酒を呷る。
ゴルトが不機嫌なのが面白いようで、バリスは反対に機嫌よく笑いっぱなしだ。
「仕方ないさ。セレが美人だってのは、万人共通の認識だろうからな。これからも大変だぞ、お前」
「あいつは、俺のモンだ」
「そうだな。セレはお前くらいにしか扱えねぇよ」
「俺の手にも余ってるけどな」
「はは。言えてる」
「おい。ちょっとはフォローしろ」
調子よく掛け合いを繰り広げ、二人で顔を見合わせ、笑い合う。
それから、ようやく思い出したように、そうそう、とバリスがゴルトを真剣な表情で見やった。
「モーサンの処分はどうするんだ?」
「……救命胴衣着せて放り出すとか」
「まじめに答えろって。実害って言えばセレくらいだ。殺すわけにはいかねぇだろうよ」
すでに副船長に就任した後だったなら、処刑という処分も可能だっただろうが。
今のセレの立場は客人というしかない。
守護すべき対象であるから厳しい処分を下すこともできるが、ドルイド一派に対して行った処分以上のことはできないだろう。
だが、次の寄港地はアザーク王国だ。
こちらとしては放り出しても良いのだが、先方に迷惑だろう。
アザーク王国は孤島だ。国外追放するにも自分から出て行ってもらうにも、船を使うしかない。
頻繁に交易が行われているわけでもない彼の国は、罪人を降ろすには適していないのだ。
「とりあえず、牢に入れっぱなしだな。後で考えよう」
「アイサー、キャプテン」
酒のコップを掲げながらの返事に、ゴルトはそれがふざけてみせたものと判断して、くっと軽く笑った。
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