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「だったら、なおさら、帰らなきゃ良いのさ。俺の手を取れよ。連れ出してやる」
「姉を、あの男のそばに残して、逃げろって?」
「……本当に、姉貴第一だな」
「恩人だからな」
生まれてからこれまでの人生で、親しいと言える間柄になった数えられるくらいの人々の中でも、一番に心を開いた相手。
それが、セレにとっての姉だ。
何も知らない子供が親を無心に慕うように、セレが全幅の信頼を寄せる唯一の相手。
自分を置いてもまず姉を考えるのも、至極当然だ。
今までの会話からそれは理解できていたゴルトは、ただ呆れるしかなかった。
あからさまに呆れた様子のゴルトを見て、何が良かったのか、平静を取り戻したセレが、苦笑と共に肩をすくめて見せる。
「実は、今回も気が重いんだよ。黒幕が、十中八九あの人だ」
「……根拠は?」
「姉を誘拐するつもりだったんだろう?
俺はあの人の言いなりだからな。姉を表舞台から攫ってその身柄を盾にすれば、俺は従わざるを得ない。
あの島国で山と海を手中に収めれば、無敵ってことだよ」
「つまり、野心か。迷惑な野郎だ」
子供のセレに悪戯したという話だけでも印象が最悪だというのに。
しかし、セレを国にとどめている理由が、その傍迷惑な神殿長だというのなら、彼を船に残らせたいゴルトの行動は決まっていた。
「だったら、今回の件とその神殿長とやらを片付けたら、お前は自由の身だよな?」
「……何度も言っているだろう。姉を守りたいんだ」
「ふん。神殿の大事な姫神子さんに手ぇ出すヤツはそうそういないさ。見習いじゃない本物の騎士に守られてるんだろう?
いい加減、姉離れしろよ。お前は、あの国にいる限り、身分を明かすことも自由に生きる選択肢もない。
それが事実なら、国を捨てて自由を掴め。お前ほど能力のある奴があんなちっぽけな国に潰されたままでいるなんて、人類の損失だろ」
かたくなに拒み続けるセレをかき口説く。
彼が姉にこだわるのは、恩義のせいなのか、それとも自分を守る盾のつもりなのか。
熱心に口説くゴルトの台詞に、すっかり落ち着きを取り戻していたらしく、セレは肩をすくめた。
「それで、自由になった暁には、海賊の仲間になれって言うんだろ? それも、人類の損失だろ」
「何を言う。またとない活躍の舞台だろ。海賊といや、港町に生まれたガキ共の憧れの職業だ」
「職業かよ」
海賊には使い古された笑いネタだが、初めて聞く者には新鮮なのだろう。
ようやく楽しそうに笑ったセレを見て、ゴルトもまた嬉しくなった。
さて、セレを笑わせたところで、ひとまずこの話は終わりだ、というように、ゴルトはソファに座るセレの隣にどっかりと腰を下ろすと、偉そうに足を組んだ。
「で? 部屋の前に来てたのは、何の用事だったんだ?」
突然話が最初以前に戻されて、セレは一瞬きょとんとした表情になり、首を傾げた。
ゴルトが違うのか?と問うのに、呆然としたまま首を振る。
「何で、話があるってわかった?」
「何の用もなくこの部屋の前に来る奴じゃねぇだろ、お前は」
まったくそのとおりで、セレは言い返す言葉もなく、肩をすくめるしかなかった。
「上で日向ぼっこしてたら、変な船を見つけたから、知らせに来たんだよ」
「変な船?」
港町で二年間勤務していたわりに、海に関する事柄には実に疎いセレだ。
船を見て、変かどうかを判断する基準も彼にはない。
それは、短い付き合いの中で理解しているゴルトは、セレの言葉に首を傾げた。
自分が無知であることを認めているセレが変だと断言するのだから、それなりの根拠があるはずだ。
「どう変なんだ?」
「うん、動き方がね。行ったり来たり蛇行したりスピード上げたり止まったり。忙しない」
「……そりゃ、変だな」
一定のリズムで動きを繰り返すことは、漁船にしろ巡視船にしろあることだが、動き方に統一性がないのであれば、それは怪しんでしかるべきだ。
「まだその辺にいるか?」
「さぁ。どうだろう。あれから随分経つし」
見てみよう、と立ち上がるゴルトを見上げて、セレも一緒に立ち上がる。
四方に窓があるとはいえ、やはりセレの力は屋外の方が感度が良い。
正体がバレていないとはいえ、隠れているわけでもないから、ゴルトはセレの力を借りるために、迷わず外を選んだ。
外に通じる扉を開けるゴルトを追って、部屋の中央に打ち付けられた大テーブルを回り込み、ふと、もう一つ思い出したらしい。
突然立ち止まって、あっと声を上げる。
「もう一つ、知らせることがあった」
「ん?」
「スコールが降るぞ」
カチャ、と軽い音を立て、甲板へ出る扉が開かれるのとほぼ同時。
怪しい船情報より逼迫した知らせに、そっちを先に言え、と言いかけて立ち止まり。
ザン、という鼓膜に衝撃を与えるほどの音と共に、甲板が雨のカーテンに覆われた。
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