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 目的地まであと一日に迫ったその日。
 セレは船長室の屋根の上にのぼり、空を見上げていた。

 嵐を見送った後はずっと晴天が続き、帆はしっかり風をはらんで大きく膨らみ、順調な航海が続いている。

 しかし、セレの表情は冴えないものだった。
 空を見回し、うーん、と悩ましげに唸る。

「知らせるべき、だろうなぁ」

 誰も聞く者のない呟きを風に流し、しかし、その動きは緩慢だ。

 目的地へと船を優しく押し流す風を受け、セレの長い髪が揺れる。
 潮風をはらんで少し重くなったはずだが、それでも一本一本が軽やかに舞い、その姿はとても海上にいるようには見えない。

 大きくため息をつき、手を前に突く。
 必要もなさそうなのに、よいしょ、と声をかけて立ち上がり、梯子口に歩み寄る。
 梯子を降りるより飛び降りた方が楽なのだろう。
 身軽に階下におりて、すぐそばの入り口に近づいた。

 そこで、セレは立ち止まってしまった。
 室内から聞こえた声に、ノックの手を止められたのだ。

『やっぱりな。あの子、美人だからなぁ。そのうちその気になるだろうとは思ってたぜ』

『別に、美人だからってわけじゃねぇよ。あのさっぱりした性格、良いよなぁ、と思ってよ』

『何をぬかすかと思えば。今まで散々、面倒な女に引っかかって苦労したくせに。
 性格を言えば、好みのタイプと真逆だろ。顔立ちはど真ん中だな。特に、強気そうな目元なんか、お前が好きそうだ』

『まったく、他人のことは良く見てるな、バリス。女にも興味あったのか』

『うるせぇ。俺は基本的に女好きなんだ。男はトーナ以外興味ねぇ』

 トーナとのことはまったく自然に受け流し、バリスの声はゴルトをからかってさらに続く。

 つまり、この船内で、バリスとトーナの仲は公認なのだろう。
 トーナがあっさり彼氏の名を明かしたのも、そもそも隠す必要がなかったわけだ。

 何か大事な話のついでなのか、恋愛相談がメインだったのか。
 室内の会話はまだ続く。

『それで? セレには告白したのか?』

『いや。どうしようか、考え中だ。
 慰留はするつもりだけどな。俺の気持ち云々はどうでも、あいつの武力も特殊能力も、うちには喉から手が出るほど欲しい』

『確かになぁ。アザーク程度の小国には宝の持ち腐れだろ、どう考えても。で?』

『とりあえず、今度の件に片がつくまでは保留だ』

『逃がすなよ』

『もちろんだ。最速のマリートは、一度目をつけた獲物は逃がさねぇよ』

 ふふん、と勝気な態度で鼻で笑い、しかしすぐに、カタン、と弱々しい音が続く。
 呆れたセレが戸をノックしかけて、また手を止めた。

『と言ってもなぁ。はっきり、自信ねぇよ、俺は』

『おや、珍しく弱気だな』

『だってよ。どう考えてもあいつの方が強いだろ。組み合えれば負けねぇだろうが、その前に転ばされる自信があるぞ』

『バーカ。口説くのに何で武力がいるんだよ』

 くっくっと楽しそうに笑ってからかうバリスの声は、恋人を苦労の末手に入れた男の余裕が感じられて、頼もしい限りだ。
 しばらくゴルトから反論もなく、次に声を発したのもやはりバリスだった。

『口説くのも良いが、間違えるなよ。あの子、見かけ以上にヤバイ弱点を抱えていそうだ』

『……出生の話以外でか?』

『その出生の話がどんなもんか知らねぇけどな。お前に話せる程度のネタじゃねぇ。どうも、トーナと同じ匂いがする。
 トーナと話してるところを見るまでは、俺も気付かなかったがな。年上の男を必要以上に警戒してる。ありゃ、男に性的虐待を受けてる可能性が高いぞ』

 トーナと話しているところを見るまで、ということは、つまり、警戒していない相手に対する態度を見るまで、と解釈できる。
 この海賊船の乗組員は、トーナが最年少だ。
 そのトーナと同い年のセレから見れば、全員が年上の男。
 全員に対して警戒している場合、それが警戒であるとは傍目にわかりにくい。
 警戒を解いている時の様子と比較して、ようやくそれがそうであったとわかるわけだ。

『トーナも同意見だったぜ。十中八九間違いねぇだろ。その子を口説き落とすなら、生半可じゃ済まねぇぞ。一緒に地獄に落ちる覚悟を決めなきゃな』

『……トーナの時は俺も近くで見てたから良く知ってる。
 そうか……。
 まずは確かめねぇとな。自分では明かしちゃくれねぇだろうし、何か手を考えねぇと』

『トーナにそれとなく探りを入れさせようか?』

『あぁ……。
 いや、やめておこう。この船で唯一警戒していないのがトーナなら、逃げ道は確保してやるべきさ。俺から聞く。ただ、気にかけていてくれ』

『了解』

 そのくらいならお安い御用だ、ということなのだろう。簡単に請け負う返答が返る。

 と、甲板側の壁が、ギシリ、と音を立てた。
 だいぶ際どい話を無防備にしていた二人が、揃ってそちらに注視した。
 人の気配はないが、音は確かに聞こえた。
 風の強い日にも軋む音をたてる壁だが、それならば、音は一度でやむこともない。

 ゴルトとバリスは顔を見合わせると、足音を押し殺して甲板側の扉に近づいた。
 二人が互いに目で合図を送り、その取っ手を握ったバリスが勢い良く扉を引く。

 そこにいたのは、自分の身体を抱きしめて震えてしゃがみこんだセレだった。

 話を聞いていたのは一目瞭然だった。
 どこから聞いていたのかはわからないが、セレの過去の云々という話は、少なくとも聞いてしまったに違いない。
 セレのその姿からは疑いようもなかった。
 しかも、確かめるまでもなく、図星だったらしい。

 二人は、互いに責任を擦り付け合うように目で会話をし、揃って肩をすくめた。
 バリスが扉を大きく開いて出入りしやすくする。
 ゴルトは、うつむくセレの頭に手を置いて、その顔を覗き込んだ。

「こんな吹きっさらしにうずくまってると風邪ひくぞ。とりあえず、中に入れ」

 もっと優しい声をかけてやれよ、とばかりに厳しい視線を向けるバリスを無視して、セレの腕を掴み、引っ張りあげる。
 抵抗せずに立ち上がったセレは、しかし、イヤイヤをするように頭を振って、腕を振り払った。
 ふらりと歩き出した方向が、船長室を背にしていて、ゴルトは少し慌ててその身体ごと抱きとめた。

「その状態で動いたら危ねぇって。少しここで休んでいけよ。何か用事があったんだろ?」

 何の用も無ければ医務室か調理室にいるセレが、他の乗組員の目も気にして寄り付かなかったこの船長室の扉の前にいたのだ。
 何か大事な用事に違いない、と想像するのも実に簡単だ。

 な、と念を押されて、放心していても声は聞こえているらしく、今度は素直に頷いた。

 本人は優しくしているつもりなのだろうが、実に強引にセレを室内に引き入れるゴルトを見送って、その扉を押さえていたバリスが、ノブを片手に室内を覗き込む。

「そろそろ仕事に戻る。何か困ったら呼べよ」

「あぁ。よろしくな」

 ちらり、とバリスを見て、片手を挙げる。それだけの仕草で、肩を抱かれてすぐそばにいたセレが、怯えたように首を縮めた。
 その行動があからさまで、バリスは心配そうな表情のまま扉の向こうに退散し、ゴルトは挙げた手を怖がらせないようにゆっくり下ろした。





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