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 立ち寄ったスパスの町は、目的地に続く航路から少し逸れた場所に位置していた。
 その上、一応名の知れた海賊船のため、沿岸警備隊にでも見つかれば追い回されるのが必至の立場だ。
 したがって、一度大海上に離れて目的地を目指す必要があり、ほぼ丸一日のロスになった。

 目的地まで、何事もなければあと五日の予定だ。

 その五日間、セレはあらゆる仕事を手伝わされることになった。
 ただでさえ少なかった乗組員が、一気に七人も減って、危機的な人手不足なのだ。

 朝の甲板掃除に始まり、食料にする魚介類の確保、倉庫の片付け、傷みやすい船底の見回りと補強作業、医務室の手伝いに、トーナの野菜の皮むきの手伝い。
 やることはいくらでもある。
 唯一できないのは、船足の要である帆の調整だが、そもそもこれはベテランである数人が力自慢の下っ端に指示を出してすることで、武術の技量はあっても基本的な筋力量が少ないセレでは、役に立たないのだから仕方がない。

 一日の暮らしの中で、実は一番落ち着ける場所が、調理室だった。

 同じ歳で、セレと違った意味で辛い幼少時代を過ごしている分、しっかりしていて落ち着いた雰囲気を持つトーナの隣が、気持ちを落ち着けてくれるのだろう。

 危なっかしい手付きながら、船に乗って初めて包丁を握るわりには上達の早い包丁さばきで、トーナと一緒にジャガイモの皮を剥いていく。
 ビタミンも炭水化物も豊富に含まれているジャガイモは、船に積み込む野菜としては必須アイテムだ。

 手は包丁を巧みに操りながら、トーナはセレを相手におしゃべりに興じる。
 調理中以外はほとんど一人でいるというトーナには、貴重な会話相手だ。

「せやけど、ほんま楽しみやなぁ。セレやったら、女の格好しても似合うやろ」

 上層部のほんの一部の人間だけの秘密だったはずなのに、どうやって知ったのか、トーナはセレが先代の伝手などではなくアザーク王国で本来捕らえるはずだった神子の人違いという事実を知っていて、今向かっているアルタナの町で何をするのかも当然のように承知していた。
 情報通というにもさすがにその情報源が限定的だが、どうせいつかは知れることだ。
 セレは誤魔化す努力も放棄し、肩をすくめて返した。

「トーナも似合いそうだぞ」

「俺は意外と似合わへんやろ。顔の造作がえぇ、っちゅうたかて、所詮男顔やしなぁ」

 自分の容貌が人目を引くものである自覚は、どうやらあるらしい。
 実際事実なので、セレの反応は、そうかな?と首を傾げるくらいだ。

「着飾ってちょっと化粧でもすれば、高値がつきそうだけどな」

「着飾っても、奴隷に出す金額なんて高が知れてるわ。
 ……ってか、何や、知っとるんか。俺が奴隷やったこと。ゴルトにでも聞いた?」

「悪かった?」

「いや。セレが嫌やなかったら、別に」

 自分が奴隷、しかも性奴隷であった事実は、思い出したくもない苦い過去だろうということは、簡単に想像できる。
 だが、セレはあえてその話題を避けることなく、反論のネタにした。
 そうしてあっさりとからかいの材料にされたことで、トーナの方も特にこだわることなく、冷静に受け止め、切り返す。

 一般的に、奴隷という立場にある人間に、人格権はない。
 一般市民にとっては家畜と同様、使い勝手の良い道具の一つに過ぎない。
 そんな存在であるから、蔑みの対象になることも割りと頻繁で、奴隷であるというだけで汚物を見るようなあからさまな態度に出る人も少なくない。

 そのため、トーナは、セレが嫌でなかったら、という返答をしたのだ。
 奴隷であった自分が他人からどう見られるものなのか、おそらく経験上身に染みて知っているのだろう。

 言われた方のセレは、まず驚き、その後、不思議そうに顔を覗き込んだ。

「嫌がる理由がないだろ。トーナはトーナだ」

 そもそも、奴隷という存在を書物の上でしか知らないセレにとって、金銭で売買されるとはいえ人間であることに違いないのだから、それが嫌がる対象であるとは思えないのだ。
 一般人と感覚が違う自覚はあるが、考えを改めるつもりもない。

 人間性を認められることは、トーナにとっては何より嬉しいことなのだろう。
 手を止めてセレを見つめ、実に幸せそうに笑った。

「セレってイイトコの坊ちゃんやと思てたけど、ホンマ話のわかる奴やなぁ。心底気に入ったで。仲良くしよな」

「こちらこそ」

 荒くれ者の多い船内で数少ない、安らげる相手だ。
 気に入ってもらえるなら何より、と思う。
 セレの方こそ、短い間だが仲良くしてほしいと思った。

 それにしても、面と向かって仲良し宣言するのはなかなか気恥ずかしい。
 うれしはずかし状態で、自然と二人ともうつむき加減になり、ぎこちない空気が漂う。

 最後のジャガイモを山の上に載せて、慣れない作業で固まった体を伸ばす。
 そのセレを、すでに次の食材であるニンジンの皮むきを始めていたトーナが楽しそうに笑って見やった。

「次、玉ねぎ頼むわ」

「剥くだけで良いのか?」

「えぇよ。切るのんは後でまとめてやるし」

 はいよろしく、と籠ごと渡されたその数は十個。
 だいぶ大き目の玉が揃っていて、数はジャガイモの四分の一程度だが見た目半分ほどに見える。
 持ち慣れない包丁を置いて、その茶色の皮を素手でパリパリとめくり始めた。

 一つ目を半分ほど剥いたところで、沈黙に飽きたセレがトーナに話しかけた。
 友人といえる相手もいなかったセレにとって、自分から親しく話しかける、という経験も初体験だ。

「なぁ。一つ聞いても良いか?」

「ん〜? 何やねん、改まって。何でも聞き。懇切丁寧に教えちゃるわ」

「いや、そんなに丁寧に教えてもらうほどのことでもないけど」

 さらりと大げさな返事をするトーナに笑って返して、セレは玉ねぎを剥く手を止めた。

「トーナは、どうしてこの船に残ろうと決めたんだ?
 船に残らせてくれるくらいだ。交渉次第では一般市民に戻ることだってできただろうに」

 商品と人質の違いこそあれ、自らの意思でなく海賊船に乗せられた点では似た立場だ。
 いきなり核心に迫る問いで、トーナも同じく包丁を休め、セレを見つめ返した。
 真っ直ぐ射抜くような視線に、何か思いつめたものを感じたのだろう。
 楽しそうに微笑んでいた表情をわずかに引き締め、口を開く。

「一言で言えば、恋人に口説き落とされたんよ」

「……恋人? この船に?」

 ゴルトから少し聞いていた話から想像するに、トーナが船に残ることを決めた時、船を降りる時は奴隷商人に売られる時だ、と決まっていた立場だった。
 それ以前からの仲である事はまずありえない。
 つまり、その恋人に口説かれて船に残ることを決意するまでにトーナに与えられた時間は、熱を出して降り損ねてから、一仕事して港に戻るまでのわずかな期間しかない。
 日数にして、二十日もあれば多い方だろう。

 その短い間に、男しか乗っていないこの海賊船で、男が男に惚れ、口説き、そばに残ることを決意させるまでに落としたということだ。
 元々奴隷とはいえ、海賊になるということは、犯罪者として日陰の道を歩むということ。
 そう簡単に思い切れるものではない。

「せや。今は超ラブラブやし、残って良かったて心底思てるけど、当時はやっぱり悩んだわなぁ」

 今まで気付かなかったセレに問い返されて頷いて、もう当時を振り返ることも少ないのか、懐かしそうに目を細める。
 トーナのそんな穏やかな表情は、今の幸せな生活を物語るもので、尋ねたセレもほっとする。

 思い返して、思い出が甦ってきたのか、トーナは本格的に包丁を置くと、そっと目を閉じる。

「今から三年は前になるか。当時の俺は、精神的にだいぶヤバい状態で、檻の中におったんや」

 その当時の心の葛藤は、一言二言で言い表せる簡単なものではなくて、事の起こりから順番に、物語りをするように語りだす。
 そのトーナの昔話を、セレもまた、真剣な表情で聞き入った。





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