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 本来の誘拐目的の人物ではないとはいえ、今のところ一応大事な人質の立場であるセレだ。
 このまま殴らせるわけにもいかず、ゴルトが慌ててその拳に手を伸ばす。
 しかし、もちろん間に合うはずも無かった。

 そこに居合わせた誰もが、セレが殴られて倒れる姿を想像した。
 当然だろう。二人の体格差では、他の結果はありえない。

 が、ありえないことを起こすのが、セレという少年だった。
 パシッと気持ち良い音を立て、ドルイドの放った拳はそこを狙ったかのように、セレの右手に受け止められていた。
 すかさず左手でその肘を叩いて曲げさせ、さらに足を引っ掛けて膝も折り、捕らえた右手を背中に回して押し付ける。
 しかも、セレ本人は座ったまま。

 あっという間にセレに押さえ込まれてしまったドルイドは、自分の身に起こった事態がすぐには理解できなかった。
 目を見張ったまま床を見つめる。

 しばらく、時が止まったように、場を静けさが支配した。

 まず最初に我に返ったのは、ゴルトだった。ひゅう、と軽い口笛を吹く。

「さすが騎士殿。おみごと」

「だから、見習いだと言ってるだろうが」

 ドルイドを押さえつけながら、あいかわらず見習いというところに拘るセレに、ゴルトは思わずというように噴出してしまった。
 思わぬツボに入ったらしく、大笑いしている。

 そもそも、歳を取ったとはいえ、ドルイドも海賊の副船長におさまるだけあって、立派な体格をしている。
 若くない分でっぷりとした身体は、見るからに重そうだ。
 その相手を、体重は半分程度しかなさそうな、女性と間違って連れ去られてきた小柄な少年が、大した労もなさそうに押さえつけている。
 しかも、ピクリとも動けないらしい。
 それは、やはり常識では考えられない事態で、ゴルト以外は未だ放心状態で見守ってしまっていた。

 やがて、ようやく笑いを収めたゴルトが、ドルイドの顔の前にしゃがみこんだ。

「関節技決められて動けない、といったところか」

「……てめぇっ! ハメやがったなっ!!」

「……って、どうやってだ? 俺は止めようとしたぞ。大事な人質に傷でもつけられたら困るしなぁ」

 なぁ、と同意を求めたのは、目の前の副船長ではなく、それを押さえつけている小柄な少年だった。
 立場としては、ドルイドを助けなければならないはずだが。

「こいつとグルなんだろうが」

「おや、心外だ。
 一時的に協力する約束は交わしたけどな。所詮こいつは大事な人質さ。
 それとも何か? この失敗を取り返す方策を取るなってか?」

「……取り返す、だぁ? どうやって」

「それは、これから話し合うのさ。嵐が過ぎるまで、時間はたっぷりあるからな」

 またもや、セレに同意を求める。
 関節技を決めて、ほとんど力を入れていないとはいえ、大の男に圧し掛かっているだけでも体力を使うので、セレはただ肩をすくめて、ため息を吐いた。

「仲良くくっちゃべってないで、この状況を何とかしようと思えよ。このまま腕を圧し折るぞ、あんまり待たせると」

 仲が良い、どころか、険悪なのだが、セレはそんな風に脅して、捕まえた腕をありえない方向に引いた。
 重い筋肉に包まれた腕の骨がミシミシと嫌な音を立て、ドルイドがたまらず悲鳴を上げる。

「ぐぁっ! くそっ! 離しやがれっ!!」

「……へぇ。この腕が惜しくないらしいな」

 ふっと鼻で笑ったその表情は、周りを取り囲む海賊たちの誰よりも、よほど悪党らしかった。
 王族に生まれ、武芸に秀で、王国を守る親衛隊の中でもエリート部隊に所属した、その経歴からは思いつかない凶悪な表情だった。

 まったく、この少年は一体何者なのか。
 見れば見るほど、肩書きとのギャップに驚かされる。

 まだ座ったままだったソファから腰を浮かせて、さらにドルイドを拘束する手に体重をかける。
 ドルイドの骨が軋む音が、全員の耳に入るまでに大きく聞こえた。
 それを手当てする立場のニナックは、さすがに眉を寄せる。

 自分の腕が立てた音に、ドルイドはとうとう顔面蒼白になって喚いた。

「うあ゛〜っ! やめろっ、頼む! ゆ、許してくれっ!!」

 海賊としてのプライドは人一倍持っているドルイドだ。他人に許しを懇願するなど、これ以上ない屈辱なのだ。
 それを、セレはわかっているのかどうなのか。
 ようやくその腕を引く力を弱め、ソファに座りなおした。

 それでもまだ手を離さないセレに、ゴルトは苦笑するしかなかった。

「いい加減離せよ。一応うちの副長だ。あんたみたいなチビっこいのに捻じ伏せられたなんて、外聞が悪い」

「それはそっちの都合だろ。俺が合わせる理由がどこにある」

「協力するって言っただろ? あんたも少しは折れてくれ」

「……良いだろう。あんたの顔に免じて、今回はこのくらいにしといてやるよ」

 話のわかる船長で良かったな。
 そう、とどめの一言をドルイドの耳元に囁いて、ようやくセレはその手を離した。
 やはり、こんな大男を押さえ込んでいたとは思えない、細い腕だ。

 解放されて、改めてセレの腕の細さに愕然としたドルイドだったが、長年培った海賊としての意地は忘れられないらしい。
 セレから十分離れて、船内向きのドアのノブに手をかけながら、お決まりの捨て台詞を吐く。

「あ、後で覚えてやがれっ!」

「逃げも隠れもしないよ」

 返事を待たずにドアの向こうに消えていくドルイドを見送って、セレは今までの態度が嘘のように穏やかに笑った。
 ひらひらと上機嫌に手まで振って。





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