15
「怪物だぁ?」
思い切り怪訝な声で問い返したのはゴルトだが、他人顔だったセレも、その言葉に驚いて顔を上げた。
百聞は一見にしかず、と言わんばかりに、甲板に出る扉を開け放たれる。
そうしてバリスが指差した先に、船上の人間たちに飛び道具で威嚇攻撃されながら、傷一つ負うことなくじわりじわりと船を追い詰める、大型爬虫類の姿があった。
両手足が横に出ていて、腹這いの状態で動く姿は、マストを二本立てる大きさのあるこの船の最後尾から見てこれだけはっきり見えるのだから、一人の大人の男よりも大きいくらいだろう。
そのトカゲのような生き物に攻撃を仕掛ける人間たちの方に、セレはムッと眉間に皺を寄せた。
無言で立ち上がり、ゴルトのすぐそばまで寄る。
「攻撃、やめさせろよ。俺が何とかする」
「……何とか?」
「あぁ。何とかする。だから、やめさせろ。無益な殺生をするなよ」
セレは簡単に言うが、バリスのような大男が怪物と表現するほどの、大きなトカゲが相手だ。
セレのその妙な自信の出処がわからず、ゴルトは確認するようにセレの目を見つめた。
ありえない言葉を発したわりに気負った様子もないセレは、はっきりとゴルトを見つめ返す。
先に降参したのはゴルトの方だった。両手を挙げ、先に出る道を譲る。
「お前の姿を晒すわけにはいかないんだがな、本当は」
「緊急事態だろ。そっちの都合はそっちで辻褄合わせろよ」
ゴルトの肩を叩いて、他人事のような台詞を吐き、セレは久しぶりに外の空気を吸った。
嵐が近いことが、すでに肌で感じられる。
ここでトカゲと縄張り争いなどしていると、せっかく嵐から逃げ込んだというのに、対策が済まないまま迎えることになってしまう。
一刻の猶予も無い。
すぐ後ろについてくるゴルトとバリスが、トカゲと対峙する乗組員たちを制して下がらせる。
セレの結い上げた髪の束から、幾筋かのほつれ髪が落ちていて、風に煽られた。
その姿は、むさ苦しい海賊船の乗組員には目の毒なほどに、色っぽい。
だが、そんな見た目と裏腹に、セレの行動は驚くべきものだった。
島の岩場に船を繋ぐために結びつけたロープを伝い、一人で洞窟奥の岸に降り立ち、先頭に立つ一際大きなトカゲと向き合った。
比較すれば、セレなど彼らの子供と同じくらいの小ささだ。
しかし、ひるんだ様子もなく、しっかりとその目を見つめ、話しかける。
「突然縄張りに侵入して悪かった。嵐が去るまでの間、この場所を借りることはできないか?」
何しろ相手はトカゲ。人間の言葉が通じるはずもない。
そこに居合わせた誰もが呆れかけた、その時だった。
トカゲの群れの先頭に立っていた、一際大きなトカゲが、踵を返した。
まるで、セレの言葉が通じたかのような行動で、皆ただ見守るしかない。
やがて、最後の一匹まで森の奥に消えて行ったのを見届けて、セレは深いため息と共に肩を落とした。 その仕草で、ギリギリに気を張っていたことがわかる。
つまり、セレはその気迫のみで、トカゲを追い返したのだ。一滴の血も流すことなく。
船の乗組員たちが微動だにせず呆然とする中、セレは降りたロープを伝って甲板に戻ってきた。
その姿がゴルトの目の前に進んできた時だ。
「……すげぇ」
呟いたのが誰だったのかはわからない。その呟きこそ、そこに居合わせた全員に共通する感想だった。
この際、セレが何者であるかなど、彼らには二の次だった。
誰だかわからないが、この痩せっぽちのチビッ子にしか見えない少年が、トカゲに勝ったのだ。
彼らに必要なのは、その事実だけだった。
ぼそりとした呟きを合図に、甲板上がざわめきに包まれた。
セレの功績に感銘を受けた数人が集まってきて、褒め称える。
さすがに荒くれ者である海の男たちは、皆一様に大柄で、まるで大人と子供の体格差に、セレはすぐにもみくちゃにされた。
「おら、おめぇら! 嵐が来る前に船繋げっ!!」
興奮冷めやらない仲間たちに、ゴルトが痺れを切らして一喝する。
それで全員慌てて動き出すのだから、ゴルトがこの船のボスだと認められている証拠だ。
助けてもらって人ごみから抜け出てきたセレが、とうとうぐちゃぐちゃになってしまった髪を結い直すため、結び紐を解く。
下に落ちた髪は、セレの尻を覆うほどの長さだった。
艶めく黒髪は、きちんと手入れされていた証拠でもあって、高貴な生まれ育ちが窺える。
その立場で、野生生物を気迫で追い返すなど、ゴルトの知る常識ではありえないものだった。
その前に見た演武にしても、あれだけ流れるような穏やかな武術は見たことが無い。
よほどの修行年月が必要なはずで、貴族様のお遊びでは到底到達できないレベルだろう。
まして、セレはどう多く見積もっても十代後半でしかないのだ。
まったく、得体の知れない人物だ。
「助かったぜ。ありがとうよ」
「力で押したら逆効果になることもある。覚えといて損は無いよ」
ゴルトの逞しい肩を軽く叩いて、そそくさと船長室に戻っていくセレを、ゴルトはそのまま見送ってしまった。
長い髪をそのまま首の後ろで結いまとめて、直前まで複雑に結い上げていた名残の結い癖が緩やかなカーブを描いている。
後姿だけを見れば、やはり女性のように見えるのだが。
部下にはっぱをかけるため近くを離れていたバリスが、ゴルトの隣に戻ってきて、その視線の先を追いかけた。
それから、ニヤリと笑う。
「惚れたか?」
「……おう」
「何だ、簡単に認めるなよ。からかい甲斐がねぇな」
「……あぁ」
これは、認めたというよりは、聞いていなかったと判断するべきか。
そんな風に考えて、珍しく放心状態からさっぱり戻ってこないゴルトに、バリスは肩をすくめるしかなかった。
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