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前方の嵐が嘘のような穏やかな航海の末、前方に見えてきたのは断崖に囲まれた島だった。
セレが海図上に指差したその場所で、もちろん海図には載っていない島だ。
島の周囲を巡ってみれば、北の壁にぽっかりと帆船を二隻は収容できる洞窟が口を開けていた。
おりしも波が高くなってきていて嵐を感じさせられるこの状況で、躊躇している余裕はなかった。
船を洞窟内に隠して、波に翻弄されないよう、錨と縄でしっかり固定する。
水夫たちが慌しく作業に奔走する中、他人にその姿を見られるわけにはいかないセレは、ゴルトもいなくなった船長室で、ソファに身を預け、ぼんやりと外を眺めていた。
洞窟内に頭から突っ込んだ船の最後尾にある船長室からは、時を追うごとに荒れていく空と海が見渡せる。
何かできることもなく、部屋に閉じ込められていると、嫌な気分になる。
監視付きとはいえ自由の身になってから、まだ二年しか経たないというのに、とセレは深いため息を吐いた。どうしても自由になれない運命なのか。
マイナス方向に考え出せばきりがない。
しっとりと濡れたような漆黒の髪を振り乱して首を振り、ボサボサになってしまったのを手櫛で整えて、セレは勢いつけて立ち上がると、大きなテーブルを回ってその向こう、多少広いところへ移動した。
やわらかく目を閉じて、呼吸を整える。
次に目を見開いたとき、まるで人が変わったような厳しい表情で、まっすぐ前方を見つめていた。
腰を落とし、重心を低く保つ。足は肩幅に開き、両腕は軽く曲げて前後に構える。
アザーク王国の国内で何百年という長い年月を受け継がれてきた徒手空拳の型だった。
幼い頃から鍛錬してきたそれは、師が認めるほどの腕前になっていて、この細身のどこにこれだけの力があるのか不思議になるほどの力強い動き、流れるようにやわらかい仕草、その隙の見えない呼吸、どれをとっても超一流といえるものだった。
今、セレが行っているのは、その力強い動きで観る者を魅了する、演武と呼ばれるものだが、セレの腕前は、もちろん実践でも証明されている。
騎士登用試験で各種の武器を持つ同年代の受験者を相手に素手で三十人抜きをしてみせたのは、国内の軍部関係者には有名な話だ。
その所要時間も、最短記録を更新していた。
その実績が、神殿付きと呼ばれる親衛隊第二師団の第一部隊に配属されるという栄誉として報われたわけだ。
国外に連れ去られた今の身の上で、肩書きなど大した意味はないのだが。
汗をまったく見せずに滑らかに動くセレの目の端に、音も立てずに甲板側の扉から入ってきたゴルトの姿が映る。
空を蹴ってふわりと着地したセレが、その姿勢のまま静止してゴルトを振り返る。
「いい。続けてくれ」
扉の前に立ち、腕を組んだゴルトが手を振ってそう言うので、セレはそのまま掌打の姿勢に移っていった。
それはまるで、妖精か天子のダンスを見ているようだった。
武術であるはずなのだが、ふわりふわりとまるで飛んでいるような身軽さで、手足が空を切る音ですら、優しく聞こえる。
やがて、回し蹴りに掌打を二発決めて、礼の姿勢を取ると、それで終わりと気づいたゴルトから拍手が送られた。
「演武といったか? 初めて見た。武術が美しいと思ったのは、生まれて初めてだ」
「……それはどうも」
他人に見せたのはこれが初めてだ。
本当に感動してくれたらしい率直な感想に、セレはぶっきらぼうな返答しか返せなかった。
少し頬が赤いのは、恥ずかしいのか照れているのか。
そこへ、甲板側の扉をゴンゴンと叩き、応答を待たずに扉を開ける人物が現れた。
内開きの扉の目の前にゴルトが立ち尽くしていたせいで、すぐにその背と後頭部に打ち付ける。
どうやら相手は力任せに扉を押したようで、ゴルトは声を出すこともできずに蹲った。
ゴン、というすごい音を聞いて、向こうでも状況は理解できたのだろう。
そっと中を覗き込んだ大男が、申し訳なさそうな表情で蹲るゴルトを見下ろした。
「船長、悪い。大丈夫か?」
「〜〜っ!! 大丈夫なわけねぇだろ、このボケっ! ノックしたら返事を待てって何度言えば覚えるんだ、バリスっ!!」
「……それだけ大声で喚けりゃ、大丈夫だな」
あっさりと切って捨てる遠慮の無さが、かえってその仲の良さを証明していた。
その関係が良好であることは、バリスと呼ばれたその男のゴルトを見る表情を見れば良くわかる。
敵対関係にあるのなら、心配したりからかったり、これだけコロコロと表情を変えたりはしないだろう。
とにかく、ゴルトがその場を移動したことで開けた扉をくぐって、バリスはそのまま部屋に入ってきた。
そして、突然の来訪者に身を隠す暇もなく立ち尽くすセレに視線をやり、不思議そうにゴルトにその先を戻す。
「あれ、戦利品の神子さんじゃねぇの?」
「あぁ、そのはずだったんだがな」
会う人一人ひとりに説明するのも面倒な話だが、そもそもこの場所にいること自体知られてはマズイのだから、乗組員全員に紹介するわけにもいかない。
この厄介な事態を早く打開する必要があるのに、今更ながら痛感する。
「……男、だな」
「そう、男だよ。人違いだ。本来の目的の、弟だそうだ」
「似顔絵にそっくりだ」
「双子だからな」
その種を明かしたのは、セレ本人だった。
ゴルトにもまだその事実を話していなかった。
姉である、という事実だけで事が足りたせいだ。
なので、へぇ、と反応したのはゴルトとバリスの二人だった。
「いや、でも、男と女を見間違えるか?」
「これだけ美人なら、ぱっと見わからねぇよ。同じ顔が二人いるとは思ってなかった」
その上、この格好だ。
アザーク王国では、男も女も髪を長く伸ばす風習があるため、なおのこと一瞬の判断が難しい。
同じアザーク王国に住む国民でも、服装で性別を見分ける癖がついているほど、男も女も中性的だった。
確かに美人と評判の姉と瓜二つの自覚はあるセレは、美人と評されても諦めて肩を落とすくらいで、否定も謙遜もしなかった。
その代わり、二人から視線をはずして、部屋の中央に置かれた机の周りを回って向こうに行き、ソファに腰を下ろす。
セレが動くのを見送って、やっと本来の目的に気づいたゴルトとバリスが、揃って顔を見合わせた。
「それで、何の用だ?」
「そうそう。船長に報告だ。この島、怪物が住んでるぞ」
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