プロポーズ




 師匠も走る年の暮れ。

 切羽詰った仕事もなく、まだまだ戦力とするには程遠い今年の新人五人全員を教育がてらに使いながらの、余裕のあるプロジェクトのリーダーを務めている小谷は、いつものようにタバコ部屋にこもって、紫煙を燻らせていた。

 切羽詰っていないとはいえ、手のかかる新人を使いながらの気を遣う作業だ。休憩時間にぼんやりしてしまうのは仕方のないことだろう。

 そう、周囲の人々には見られている。したがって、しばらくタバコ休憩から戻らなくても、仲間たちは皆放っておいてくれる。

 だが、小谷の頭の中を占めているのは、プライベートな方の問題ごとだった。

 ヤニで黄色く変色した壁に寄りかかって、時折ため息をつく。

「いい加減壁から離れないと、シャツが汚れるぞ?」

 一人きりだったはずの室内から突然声が聞こえて、小谷は驚いて身体を起こした。
 弾みで、指に挟んでいたタバコが手を離れ、慌てて空中でキャッチする。

「ぅわっ! あちっ!!」

 当然、火がついたタバコは、無防備に触れるものではない。
 わたわたと大暴れしながらも灰皿に放り投げたのは、お見事、というべきだろう。

 それは、部内会議のため席をはずしていたはずの、恋人の声だった。

 昨夜から、なにやら考え事をしている小谷を、ただ静かに見守ってくれていた戸上は、ガラス張りの室内で物思いに耽っているのを見て、その思考を妨げないようにそっと入ってきていたらしい。

 自分の手が火傷していないのを確認して、安心したため息をひとつつき、改めて戸上を見やる。

「もう。いるならいるって言ってよ」

 よほど驚いたらしい。社内では敬語を崩さない小谷が、プライベート仕様の甘えたような口調で文句を言う。
 それに、戸上はくっくっと楽しそうに笑って返した。

「昨日からずっと悩んでるだろ。相談してくれない恋人を放っておいてやった心優しい俺様に感謝しなさい」

 言葉は実にふざけていて、本気なのか冗談なのかはっきりしない。
 が、優しく見つめてくれる目元が、心配している感情をはっきりと表していた。

 付き合いの長い小谷には、それを見誤ることなどできようはずもなく。
 深いため息と共に、肩を落とす。
 そうして、何を示したものか、力なく首を振った。

「そろそろ話してくれても良いんじゃないか?」

「……ここで?」

「今なら二人きりだ。ちなみに、システム部のみんなに心配されてたのも、もしかして、気づいてないだろ、お前」

「え? マジで?」

 本人としては、仕事中は普段と変わらない態度を取っているつもりだったからこそ、なおさら驚いた。
 客観的に見れば、いつもより喫煙室に出て行く回数が多く、一回の所要時間も長く、席にいてもため息ばかりついているのだから、普段と違っているのは一目瞭然だ。

 本気で驚いている小谷に、戸上は苦笑を返すしかなかった。

「仕事上の問題じゃないんだろ? それだったら、お前は真っ先に相談してくれるからな」

 それは、戸上の願望などではなく、事実だ。
 戸上が小谷に、新人教育の際に唯一言って聞かせたのが、仕事上の問題は一人で考え込まずに上司に相談すること、だった。
 誰かに相談すればすぐに解決するかもしれないことを、一人で抱え込んで時間を浪費するのは、無駄というものだ。
 それを、小谷もまた合理的な考え方の持ち主で、自身の主義として飲み込んでいた。

 心配そうに顔を覗き込まれて、小谷はとうとう観念する。

「昨日、実家から電話があってね」

 実家には、親しくなった先輩と家賃折半で同居することになった、と話してある小谷だ。
 その彼が、実家からの電話でここまで憂鬱になるというなら、その理由として、選択肢は多くない。

「……見合い、か?」

 当てられて、こくり、と小谷は頷いた。
 28歳の男性としては少し幼い仕草だが、背が低く童顔の彼がすると、意外としっくり似合っている。

 肯定の仕草に、戸上は困ったように頭を掻いた。

「親に、言ってなかったのか。同性愛者だって」

「何となく、言いそびれてて。同居してた頃はまだ、女の子とも付き合えると思ってたしさ」

「最近は? 盆にも帰ったろ?」

「日帰りで、法事にしか出てないのに、いつ話すのさ」

「……だな」

 同居を始めて四年間の間に、盆も正月も実家に帰っていくのを見送っている戸上だが、その日のうちに必ず帰ってきているのを出迎えてもいる。
 だからこそ、頷いた。
 確かに、用事だけを済ませて帰ってきてしまうこの恋人が、親とまともに話しているようには見えなかった。

 それにしても、そろそろそんな年頃なのか。
 そう、戸上は少し感慨深く思った。
 戸上自身は、両親に対して自分の性癖は話してあり、理解はされなくとも諦められているので、この手の厄介ごとは回避していたから、まったくそのあたりを気にしていなかったのだ。

 改めて、性別という壁を突きつけられた気分だった。

 だが、戸上に迷いはない。

「だったら、丁度良い機会だ。挨拶に行こうか」

「……挨拶?」

「そう。明義を嫁にくださいってな。異論はないだろ?」

 それは、もしかして、プロポーズというものなのだろうか。
 あまりに唐突な申し出に、小谷は唖然として恋人を見つめ返した。

 もちろん、付き合い始めて六年の歳月を振り返って、喧嘩もしたし別れ話も出かけたが、だからこその深い絆が二人を結んでいることを、実感している。
 拒否をしようとも思わない。

 けれど、そうはいっても、あまりに唐突だ。

 驚いている小谷に、戸上はその反応がわかっていたようにくっくっと笑った。

「断っておくが、俺は本気だからな。籍を入れよう。俺の息子になってくれ」

 同性間の婚姻は、日本では認められていない。
 事実婚として、周囲に証人を作り、同居して、配偶者に近い立場を得ることはできても、法的な拘束力がまったくないのだから、肝心な部分で問題が生じるのだ。
 たとえば、相手が重病を患ってもその病状を詳しく聞く権利を持てない、不慮の事故や病気などでどちらかが先立っても、残された人は配偶者として喪主になることも、ましてや相続の権利もない。
 日々を幸せに暮らすには問題なくとも、いざと言うときに、それ相応の法的に有効な立場が必要なのだ。

 だからこそ、同性愛者たちは、養子縁組という方法で、法的に認められる家族の形態を選ぶ。
 年嵩の者が年下の者を養子にもらうことで、法的には親子、事実上の夫婦、という土台を得るのだ。
 こうすることで、民法上の一世帯としての権利が発生する。

 ただし、家族になるということは、姓は一つになるのだから、会社に内緒にしておくことは不可能だ。
 同性愛を認めていない日本の社会では、自分の首を絞める行為に等しい。

「……会社は? 事実上認められてるといっても、そこまでしちゃったら免職にならない?」

「ならない方法を、考えてある。実現に向けて、着々と進行中。そろそろ明義にも話さなきゃな、と思ってたところだ」

「……簡単に説明できる方法?」

「あぁ、簡単さ。
 実は、システム部を完全子会社として独立させようっていう動きがあってな。社長から、その子会社の社長職に就いてほしいって打診があったのさ。一ヵ月くらい前のことだ。
 で、俺は、明義との結婚を条件に、引き受けた。つまり、明義が戸上姓になることを、事前に承諾させたわけさ。これで、いつでもプロポーズできるってわけ」

「すご。いつのまに……」

「だから、一ヶ月前。今日の打ち合わせもそれだよ。
 部長が今年で退職だろ? それで、俺にお鉢が回ってきたってわけ。まだ若いからって、一度は断ったんだけどな。若いからこそチャレンジしてみろって押し付けられた」

「で、条件つけたんだ」

 そういうこと、と頷く。
 あっさりしているわりに、事が大きい。
 小谷は、事実を確認するだけで手一杯だ。
 何しろまだ28歳の小谷には、会社経営がよくわからない。

 しかし、同性愛を認めるという、何とも常識はずれな条件を認めるとは、この会社のワンマン社長は器が大きいというか何というか。
 まったく、同性愛者には恵まれた環境だ。
 もちろん、二人の潜在能力を高く評価されているからこそ、仕事上何の支障もない性癖程度で優秀な人材を手放すのは惜しい、という判断なのだろうが。

「そういうことで。今度の土日のどっちかで、ご挨拶に行こう。ご両親の都合を聞いておいてくれよ」

「……俺の意思は?」

「断られると思ってないけど。嫌なのか?」

「……断らないけどさ。まだ、返事、してないよ」

 プロポーズは、された。
 事実婚ではなく、養子縁組として、籍を入れたいと、宣言された。
 ならば、プロポーズされた側として、それに見合う返事をしたい。
 それは、わがままではないはずだ。
 少々乙女チックかもしれないけれど。

「返事を、聞かせてくれるか?」

 その、小谷の気持ちに、気づいてくれたのだろう。
 戸上は改めて姿勢を正し、少し膨れた表情をする小谷の顔を覗き込んだ。

 改められて、今更ながらに少し恥ずかしくなる。
 ほんのり頬を赤らめて、それでも、はっきりと恋人を見返して。

「よろしくお願いします」

「こちらこそ」

 断られるとは思っていない、というのは、きっと本心だったのだろう。
 安心したというよりは、頑張った恋人を褒めるように、にっこりと笑って、その小さめの身体を抱き寄せた。

 途端に、小谷は大慌てでもがいて腕から逃げ出したけれど。

「ちょっとっ! ここ、会社!!」

 しかも、廊下に面した壁はガラス張り。

 真っ赤になって抗議する恋人に、誰に知られてもかまわないと腹を括っている戸上は、楽しそうに笑うだけだった。





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