馴れ初め




 それは、今から五年前の春のこと。

 四月一日から入社する、学校を卒業したばかりの初々しい新入社員の列の中に、彼はいた。

 彼が持つ存在感は、今では考えられないほどの、大衆に埋もれた地味な存在でしかなかった。
 現に、まだ係長になったばかりの戸上の目には、まったく留まらなかったのだ。

 彼の配属先は、採用直後にすでに決まっていた。
 なにしろ、この物流企業にあって、情報系学部からの専門職採用なのだ。
 他に配属のしようがない。

 そういったわけで、全員揃っての一週間の研修を終えた後、同期入社の友人たちとは別れ、一人本社ビルのこの階にやってきたのは、異例の早さだったわけだ。
 集団研修のしようがなかっただけらしいが。

 ちょうど、年度末の慌しさから開放され、仕事といえば過去の仕様書の整理や反省会などの雑務をこなしていたところで、係長である戸上の手もまったく空いた状態だったこともあり、彼の指導は戸上に全面的に委ねられた。

 このシステム部には、新卒採用は初めてのことでしかも唯一の新人で、彼の指導もマンツーマンにならざるを得なかったのだが。

 何にせよ仕事がない時期で、とりあえずは技術力を確認するために面接をした戸上は、その経験値に驚いた。

「中学の頃からベーシックは触っていたんですが、大学ではもっぱらCかjavaで。卒論はjavaアプレットによる動画像処理です。一年間、javaゲーム作って遊んでました」

 それこそ、情報系の大企業にでも楽々就職できそうな経歴で、大学も箱根駅伝に常連のマンモス校なのだから、こんな落ち目の業界にわざわざ飛び込んでくることもないのに。
 それが、戸上の感想だった。

 その新人の名は、小谷明義という。

 実際、その売り込みは伊達ではなかった。
 C言語でもjava言語でも簡単なシステムならばものの2、3時間で作ってしまう。
 今までほったらかしにされていた部内システムの構築を、新人教育の名目で作り上げてしまったのだ。

 とはいえ、まだ大学を出たばかりの新人である。
 プログラムソースは、作った人間にしかわからないような煩雑さだし、コメントでまとめて整理する書き方ではない。

 社会人プログラマの心得は、しっかり教え込む必要があるらしい、とわかったとき、戸上はほっとしたものだったが。

 プログラムはそれ自体が仕様書の役目を果たすよう、誰が見ても追いかけられる程度に文節でまとめてコメントをつける。
 モジュールは大まかすぎず細かすぎず、部品化できるサイズに切ること。

 これだけの注意で、ソースを書き直させたら、一発でキレイに仕上げて見せたのに、さらに驚愕させられたのは言うまでもない。




 配属になって一週間ほど経ったときのことだった。
 ようやく戸上にも慣れてきた小谷が、質問でもなく相談でもなく、戸上の席の横に立った。

「戸上さん、すみません。あの。ここって、全面禁煙ですか?」

「え? 小谷、タバコ吸うの?」

 それは、一週間後の質問にしては遅すぎる問いで、きょとん、と目を丸くしてしまった。
 そんな戸上の反応に、小谷は恥ずかしそうにうつむいた。

「いえ、あの。就職を機に禁煙しようと思ったんですけど……」

 吸いたくなってしまったらしい。
 まぁ、一日中画面を見ていれば、イライラもするよな、と戸上などは同じ喫煙者として納得したものだ。

「俺もちょうど休憩しようと思ってたんだ。喫煙室はこの階の端っこにあるよ。一緒に行こうか」

 別グループで外部から受注したシステムの開発に遅れが発生し、戸上はその時、小谷の指導をしながらそちらを手伝っていた。
 おかげで、少し余裕がなくなっていて、喫煙の回数も増えていたのだ。
 タイミングが良かった。

「何で小谷はこんな物流屋に就職したんだ?」

 特にタバコの銘柄に拘らない戸上は、喫煙室内に設置されたタバコの自販機から同じ銘柄のタバコを買う小谷の後姿に、少しだけその偶然に運命を感じつつ、常々不思議に思っていたことを尋ねた。
 尋ねられたほうは、こちらを振り返りながら首を傾げたが。
 
「いや、小谷の技術力なら、パソコンのパの字も興味ない社員が多いこんな業界より、情報系の企業に行ったほうが良かったんじゃないか?」

「え? あぁ、でも。元々、プログラムは趣味で終わらせる予定だったんですよ。ここも、どちらかというと倉庫番かドライバーかに入れたら、って思って応募したんです。で、面接のときに、システムに興味はないのか?って聞かれて。正直に答えたんですよ、趣味でしかないからって」

「あぁ、うちの上の方は、IT化の流行に乗るのに必死だからな。説得に屈したわけ?」

「まぁ、そうですね。社内開発が主だって聞いたから、だったら良いか、って」

 すいません、ライター貸してください。
 とその先が続いて、戸上は胸ポケットから、量販店で三本組み百円の安物ライターを渡した。

「じゃあ、うちは運が良かったな。有能な新人を棚ボタでゲットだ」

「あはは。有能かどうかはまだわかりませんよ」

「わかるさ。長年の独自ルールでついた変な癖は俺が直してやる。基礎は出来てるし、応用もすばやい。それに何より、素直なのが良いな。変に凝り固まった複雑思考は、事態を混乱させるだけだ。わけのわからないバグも、そんなもんだと思えば対処のしようがあるだろう?」

 固定概念で完全否定することほど怖いことはない、というのが戸上がこれまでの経験で培った経験則であるらしい。
 実際、自分でプログラムを組んでいた小谷にもその事例はわかりやすかったのか、妙に納得した様子で頷いていた。




 期待の新人は、配属三ヶ月で、期待以上の成長を見せていた。
 他社から引き抜かれてきた、もしくは中途採用でやってきたプログラマたちと肩を並べ、時には納得できない仕様に理路整然と納得できない理由を述べて再考を求め、もしくは代替案を提出するのだ。
 可愛くないことこの上ないが、反論できないだけに腹立たしさを内に秘めるしかない。

 そんな様子を、戸上だけは満足そうに眺めていた。
 今年初めの人事異動で係長に就任したばかりだった戸上が、一ヵ月ほどは付きっ切りで、それ以降も何かと可愛がって育ててきた新人が、すでに一人前として働いているのだ。
 本人の能力は当然あるだろうが、そこまで育てた戸上の功績も無視できない。

 そんな初夏のことだった。

 戸上は、ブツブツと文句を呟きながら、自分の机でマウスをカチカチと動かしてはクリックしていた。

 自分の受け持っている仕事は、簡単な仕事で納期にも余裕があり、しかも小谷と組んだことで想定以上に仕事が捗っていた。
 だからこそ、その白羽の矢が当たったわけだ。

 別のチームが起こした、初期仕様不備による仕様変更対応である。
 ちなみに、納品は明日十三時厳守だという。

 はっきり言って、戸上から見れば無茶の一言だ。
 だが、無茶でも苦茶でも、何とかして完璧に仕上げて納品しないと、会社の信用に関わる。
 これが自社開発であったならば応相談だっただろうが、物流業界では自社開発部署を持つこと自体がまだ先端に近く、取引先からシステムの発注が多くある、そのうちの一つだったのだ。

 戸上は、これから仕様を理解してシステムを組むという煩雑な役目よりも、仕様を理解していないからこそのテスターとして引きずり込まれていた。
 先に作ったテスト仕様書にしたがってテストを積み重ねていくのだが、これが、単体テストを含んでいるのだから恐ろしい。
 今から単体レベルで指摘されて直せるのか?という不安は、先ほどから的中しっぱなしである。

 ずっと仕事に振り回されていて、時間を忘れていた戸上は、傍らから声を掛けられてようやく画面から目を離した。

 隣に立っていたのは、小谷だった。

「あの。俺にお手伝いできることはありませんか?」

「いや、いいよ。自分の仕事だけやって、終わったら帰っていいから」

「でも、ドキュメント整理くらいなら俺でも出来ます。皆さん大変そうだし、明日までなんでしょう? 猫の手にはなりませんか?」

 自分の仕事はどうやら終わっているらしい。
 机の周りはきれいに片付いていて、画面もデスクトップ状態になっている。
 壁に掛けられた時計を見上げれば、ちょうど定時を過ぎたあたりを指していた。

「小谷には直接関係ない仕事だし、定時で帰っていいぞ?」

「いえ。こう言っちゃ何ですけど、これも経験です」

「じゃ、頼むわ。ドキュメントチェックしてくれるか? テスト仕様書は、適当に日付がバラけるようにして、単体テストはプログラマの名前で、結合テストは俺の名前。ファイルはサーバの……」

 エクスプローラ画面を示して見せながら仕事の説明をする戸上に、小谷は簡単なメモを取りながら頷いて聞いて、自分の席に戻っていった。

 実際、小谷が手伝ってくれるようになってから、戸上の作業が半分に減った。
 ドキュメントに起こす、という単純かつ誰でも出来る上に面倒な作業を、かわりに引き受けてもらったのだから、感謝してもしきれないくらいだ。

 結果、徹夜を覚悟した作業は、十時には片付いていた。
 後は、つき返した単体レベルのバグを直す作業がプログラマにあり、それらは徹夜作業だろうが、助っ人としてはそこまで付き合う義務もない。

「明日の朝、早めに出勤しますから、テストできるレベルに終わらせて置いてください。お疲れ様でした」

 まったく呆れて物も言えない、というような口ぶりで、問題を起こした担当グループのリーダーに言い置いて、戸上は小谷を引き連れて会社を出た。

 外から本社ビルを見上げれば、システム部の一角だけに明かりを残し、あとは真っ暗に静まっていた。

 一緒に駅までの五分間の道のりを歩く小谷が、戸上に話しかける。
 優しいテナーの音域を持つその声が、戸上の疲れた心に心地よい癒しを与える。
 落ち着いた雰囲気は、とても新人とは思えず、そばにいるとほっとした。

「いつもこんな調子なんですか?」

「まぁ、たまにな。元々、パソコンが出来る、ってだけで集められたような部署から始まってるから、今肩書きを持ってる人間は、俺以外はみんなずぶの素人と言っていい。良くやってるほうだと思うよ、俺は」

「戸上さんは、専門的に学ばれてるんですか?」

「専門でもないがなぁ。俺も元々は大トラの運ちゃんだし。パソコン好きでさ、昔はベーシックのプログラム集とか買い込んでゲーム作りまくってたんだよ。だから、他の人よりは取っ付き良くて。これ始めてから、いろいろ講習とか受けに行ってさ。システム構築の概念とか、一般手法とか。今使ってる仕様書のテンプレートも、俺がはじめて見様見真似で作った奴をそのまま流用してるんだよ」

 そろそろバージョンアップしたいんだけどねぇ、などとぼやいて、戸上は軽く肩をすくめた。

 夜も更けた時刻だというのに、二人の周りには同じく駅へ向かうサラリーマンがちらほらと見受けられる。
 どこも忙しいのだろう。

 疲れていると口数が多くなるのか、まるで愚痴るように昔の話をする戸上を、小谷は興味深そうな表情で見つめていた。
 ついでに、目を輝かせている。

「俺、手伝います。バージョンアップとか。せっかく大学で高い授業料出して専門的に学んでるんだし、会社の役に立てたいですよ」

「あぁ。学術的なことは俺たちはまったくわからないからな。元が運送屋だから、勉強するにも限界があるし。助かるよ、正直」

 新人が生意気な、といわれる場面なのだろう、本来なら。
 だが、戸上はその言葉を素直に受け取って頷いた。

 実際、小谷には期待しているのだ。本当に。
 それは、今日片鱗を見せてくれた事務処理能力も、元々持っているプログラムの才能にも。

「小谷、良かったら、これからうちで飲まないか? 今日の頑張りを称えて、おごってやるよ」

「でも、明日も早いんでしょう?」

「平気平気。ついでだから泊まって行けよ。朝起こしてやるよ」

 それは、頷くべきか遠慮すべきなのか、小谷には判断できなかったらしい。
 そして、返事がないことを了解と取って、戸上は小谷を引き連れ、駅を通り過ぎた。

「戸上さん?」

「俺の家、駅の向こうなんだ。もうちょっとだから」

 人を誘うには、誘うだけの根拠があったらしい。
 電車に乗って見知らない駅で降ろされるなら断るところだが、戸上の家は、家に帰れない同僚や後輩を泊めるのにはうってつけの場所に立地しているのだ。
 飲み会などではたいてい最後はこの部屋に流れ込み、仕事で終電に間に合わなければ重宝される位置だったりする。




 戸上の家は、会社から駅へ歩くよりも駅から自宅のほうが近い。
 線路沿いに三分ほど歩けば、線路の音の騒音迷惑料を差し引いた分安い物件が、戸上の住まいだった。

 一階のコンビニで夕飯と酒類を買い込み、二人揃って部屋に入る。
 それは広めのワンルームだった。

「きれいな部屋ですね」

「仕事人間だと、部屋を散らかす暇もなくてね。その代わり、埃がたまってるから、ちょっと待ってて」

 台所はほとんど使っていないのかキレイなままで、流しにコップが一つ。
 台所の向こうにドアがついていて、脱衣所と洗濯機置き場、トイレ、風呂が一緒くたに詰め込まれている。
 部屋のほうに目を移せば、角部屋らしい出窓に食玩が所狭しと置かれていた。

「あ、昭和シリーズ」

「ん? あぁ、それ。残念なことに、掃除機が揃う前に終わっちゃってさぁ」

 気に入ってて集めたんだけどね、という戸上を振り返れば、スーツを脱いでシート着脱式のモップを片手に床掃除をしていた。
 すべてフローリングの部屋で、毛足の長いラグと折りたたみのちゃぶ台が片隅に仕舞いこまれている。
 ベッドは起きたままのぐしゃぐしゃ状態で、抱きマクラが一つ、転がっていた。
 小さなテレビにはテレビゲーム機が二台接続されている。

 見た目によらず、少年の心満載の人だったらしい。

 ゲーム機のそばに置かれたプラスチックの籠には、そのソフトが詰め込まれていた。
 そのタイトルが、けっこうな確率で、小谷のものと被っている。
 感性は近いものがあるらしい。

 買ってきたコンビニの袋をちゃぶ台に載せ、ガラスコップを二つ持ってくると、戸上はその触り心地の良いラグの上に直接座り、小谷に手招きをした。

「まぁ、一杯」

「ありがとうございます」

 テレビをつけて、深夜の報道番組を流しながら、二人きりで乾杯する。
 そういえば、二人が顔を合わせて飲む機会など、新人歓迎会以来だ。

 改めて向かい合ってみれば、まだまだ大学を出たばかりの初々しさを残していて、なんとも可愛かった。
 それは、男にしてはきれいな肌理の細かい肌だったり、長いまつ毛だったり、二重の瞼だったり、それなりに可愛い男の子の要素も持ち合わせていて。

 今までも何度も顔を合わせて、目を見て話をしていたというのに、自室に呼び寄せた気安さからか、今までと違った印象を受けた。

 美味そうにビールを飲む小谷の喉元を見ていて、戸上は思わず生唾を飲み込んだ。

 しまった、と思う。
 誘ってしまった手前、追い出すわけにも行かないのだが、戸上の性癖が歓喜の声を上げていた。
 改めて観察すれば、好みのタイプど真ん中だった。
 ただでさえ、可愛い後輩と気に入っていただけに、これはマズイ。

 と、見つめられていることに気づいたのか、小谷はふと顔を上げ、首をかしげた。

「飲まないんですか?」

 飲むとすぐに酔いが回るタイプなのか、今日の体調のせいなのか、頬を赤く染めて、小谷は悩ましい表情で戸上を見上げていた。
 箸を持って、買い込んで来た唐揚げを摘む。
 大きく口を開けてそれを咥えた仕草に、またもドキリと胸が高鳴った。

 まだ二十代とはいえ、大して若くもない年齢である。
 戸上としては、下半身に直接刺激が来るような高揚感を味わうのは実に久しぶりのことだった。
 それだけに、自分が抑えられない。
 やりたい盛りの高校生でもあるまいし。

「戸上さん、ダメですよ、そんなに見つめちゃ。恥ずかしいです」

 恥ずかしい、と言いながら、表情はめちゃくちゃ楽しそうに、小谷はそう言って目の前で手をばたつかせた。
 まるでおばちゃんの世間話のノリで手を振る様子に、戸上は少し笑う余裕をもらった。

「小谷、それはおばちゃんくさい」

「あはは。よく言われるんですよ〜」

 よく言われるのに直さないということは、本人にはそれが悪いことだとは思えていないのだろう。
 まぁ、いい年をした男がやると、意外と面白い仕草であることは確かだ。

「タバコ、良いですか?」

「ん? ……あぁ、悪い、灰皿出してねぇな。ちょっと待ってろ」

 立ち上がって、ついでに台所の換気扇も回し、戻ってくる。
 それは、戸上がまだ新人だった頃、付き合っていた高校生の彼氏が、修学旅行土産に買ってきてくれたものだった。
 使えるものは元彼のものでも気にせず使うのだが、時々当時を思い出してしまうのが少し辛い代物だった。

「わ、可愛い。新選組ですね。京都土産ですか」

「昔付き合った奴がね、修学旅行で買ってきてくれた」

「……戸上さん、それ、微妙に犯罪なんですけど」

「何で?」

「だって、大人になってからの恋人なら、高校生に手を出すのはどうかと思うし、同年代なら、未成年でタバコ吸ってたってことでしょう?」

 言われてはじめて気づいた。そういえば、と納得を示して手を叩く。

 歳が離れているとはいえ、二十二歳の若手サラリーマンと高校三年生なら五歳程度しか歳の差はなく、当時は男同士であることの方が気になって、そんなことは気にしたことがなかった。
 今なら、自分の性癖に開き直るくらいの度胸はついたが、当時は本気で恥ずかしいと思っていたのだ。
 その大事に比べれば、高校生の恋人なんて、どうと言う事もなかったわけだ。

 今更その事実に気づいたらしい戸上に、少し抜けたところもあるんだなぁ、とその人間味に感心して、小谷は楽しそうに笑っていた。

「その恋人さんとは、もう別れちゃったんですか?」

「あぁ、あいつが高校卒業した直後にな。夢を追いかけて、アメリカに留学して、向こうで彼氏が出来たって。写真同封で惚気られたら、諦めるしかないだろう?」

 その別れ方には、やはり戸上もショックを受けていて。
 あれから、誰とも付き合わずに今に至っている。

 そうなんですか、と自分のことでもないのに寂しそうに答えて、小谷はしゅんと肩を落とした。

「すみません、変なことを聞いてしまって」

「いや。気にすることはないよ。もうだいぶ昔の話だ」

 どうやら反省してしまっているらしい小谷に、戸上は平気な様子で手を振り、元気付けるように肩を叩いた。

「まぁ、でも、あれからもう四年だ。そろそろ、新しい恋がしたいね」

「戸上さんなら、すぐにできますよ。女性にもてそう」

 多分、励ました言葉なのだろう。
 戸上が女性に興味を持てない性癖であることなど、小谷には知る由もない。
 それはわかっているし、今までもそんな励ましを受けた経験があるので、今更傷つくものでもなく、ただ苦笑するだけだった。

 とはいえ、つい先ほど恋心を自覚した相手に励まされるというのは、さすがに傷つく。

「もうこの歳だし、どうせ出会うなら運命の相手が良いね。これ以上失恋したくはない」

「なんだか、気弱なんだかメルヘンチックなんだかわからないですね」

 こんな性癖してて恋愛に自信満々な奴がいるなら、見てみたいよ、俺は。
 そう、心の中で呟く戸上だったりする。

「いいなぁ、運命の相手かぁ。そんな人がいるなら、会ってみたいですね」

「一生は長いんだ、そのうち会えるだろう」

「だと良いんですけど。もう、諦めちゃいましたよ。目に付く相手って、ちゃらんぽらんなの多くって。けっこう誠実な人が好みなんですけどねぇ、俺、人を見る目がないのかなぁ」

 どうやら、小谷もまた、恋愛に敗北中の人だったらしい。
 俺より五歳も年下なのに、と戸上は少し哀れんでしまう。

「今は、好きな人、いないのか?」

「いるにはいますが。両思いになるのは難しそうです」

 くすくすっとなぜか楽しそうに笑って、小谷は旨そうにコップの中身を喉に流し込んだ。
 片想いに慣れてしまっている節がある。
 そのことに、戸上はなんだか妙な親近感を覚えていた。

「戸上さんは? まだ、好きになれる人はいないんですか?」

「好きになりかけている相手なら、いるな」

「それ、実るといいですね」

「……無理だろうな」

「え〜? 何でですかぁ。実らせてくださいよぉ」

 自分は難しいといっておきながら、他人の恋路を応援するのはどうなのだろう。
 そう思って、戸上は苦笑する。
 酔っているのか、だいぶ舌っ足らずな口調が可愛い。

「もう酔ったのか?」

「はーい。酔っ払いでーす」

「酔ってないだろ」

「あはは〜」

 ずいぶんと陽気になった小谷は、しかし、顔色も目元も普段と変わらず、まったく酔っているようには見えない。
 ただ、せっかくの酒の席、遠慮を少し抜いて本性を出してみた、といった感じに自然だった。

 本当に酔っているのか、それともそのフリをしているのかは定かではないが、先輩後輩の枠を自分から取り外してくれた小谷に、戸上は少し嬉しくなった。

「小谷って、そうしてると、もろ俺の好みなんだよなぁ」

「へぇ。ちょっと子供っぽいところがある人が好きなんですか?」

 それが、問題発言であることに、まったく気付いていない返事だった。

 そもそも、性格がどうのという以前に、男に対して好み発言をするのはおかしいのだ。
 そこにツッコミが入らないことに驚愕すら覚えるわけなのだが。
 反応した本人には、自覚が無いらしい。
 はっとして自分の口を塞いだ上に、驚いて目を見張る戸上に、小谷は首を傾げて見せるだけだった。

「え? 俺、何か変なこと言いました?」

「……変なことを言ったのは俺だけど、小谷の反応も変だろう、それは」

 自爆しておいて、聞き流してくれた人を追及するのもおかしな話だが。

 ヒントをもらって、先ほどの会話を思い返して、それでも意味がわからない小谷は、またもや首を傾げた。
 今度は反対の方向に。

「どこが?」

「小谷って、俺の好みだ」

「えぇ、そう言ってましたね。自分で子供っぽい自覚ありますし、変じゃないでしょう?」

「小谷、男だろう?」

「……あれ?」

 はっきり指摘されて、ようやく小谷はその不自然さに気付いたらしい。
 反対に、ようやく気付くという事実が、戸上には一つの可能性を想像させた。

「小谷、もしかして、ゲイ?」

「……戸上さん、同類ですか?」

 互いに確認しあうのもおかしな話だが。

「ゲイって、同類はわかるっていうけど、嘘ですねぇ……全然わからなかった」

「以下同文……」

 がくり、と肩を落としたのは、二人同時だった。

 しばらく落ち込んで、先に笑い出したのは小谷だった。
 くっくっと肩を震わせていたが、やがて堪えきれずに本気で笑い出す。

「なんだぁ。もう、せっせと隠して損した〜」

「損?」

「損ですよ。さっきから、もう、喉元まで出掛かっては無理して飲み込んでたんです。好きな人、って話してたでしょう? 相手、目の前にいるんですから」

 もう、言いたくて言いたくて、と笑った。
 可笑しくて、可笑しくて、笑わずにはいられなかった。
 あなたが好きです、と、喉元まで出掛かって、それが原因で仕事ができなくなるわけにはいかない、と最大限に理性を働かせて言葉を飲み込んだ。
 それが、まったく、とは言わないが、九割がた無意味に終わったわけだ。
 これを笑わずにいられようか、と小谷は思うのだ。

 一方、戸上はといえば、これは単純に、驚いていた。

 夕方までは、ただ可愛い後輩でしかなかった。
 家に帰ってきて酒を酌み交わして、仕草の可愛さに気付いて恋心を芽生えさせた矢先、相手から告白を受けたのだ。
 驚かないはずが無い。

「両想い?」

「そうなんですか? 嬉しいな」

 笑いはなかなか収まらず、小谷はそのまま戸上に向かってにこりと笑って見せる。
 それは、欲しいものを手に入れたときに見せられるような、まさに喜色満面で。

「俺、戸上さんのこと、好きです」

「……俺もだ」

「付き合ってもらえませんか?」

「良いよ」

 断られることなど微塵も考えずに出した申し出に、受けた方は簡単に了承の返事を返す。

 改めて顔を見合せ。

 今度は、戸上が笑い出す番だった。




 翌朝。

 眠り姫は、王子のキスで目を覚ます。姫は小谷で、王子は戸上。

「おはよう」

「おはようございます」

 むに〜、と寝ぼけた声を上げながら、ごろりと寝返りを打つ小谷に、戸上はひとしきり笑ったが。

「朝ごはん、できてるぞ。鍵もそこに置いておくから、会社に持ってきて」

「え〜。一緒に行きましょうよぉ」

「ダメ。テストしないといけないから早く出勤するって言って出てきただろう?」

「あぁ、そうでした」

 出来たばかりの恋人に甘えた声を出すものの、まだ敬語は抜けないらしい小谷のかわいらしいおねだりに、そうしたいのは山々だが、と心の中で呟く。
 戸上の説明に、ようやく小谷は目を覚ました。
 ガバリと布団を跳ね除けて起き上がり。

「うきゅ〜」

 何とも不思議な効果音をつけて、再びベッドに撃沈。
 腰をさすっているので理由がわかった戸上は、少し申し訳なさそうに眉を寄せた。

「無理しないで、ゆっくりおいで。無理そうなら、休み取っても良いから」

「いえ。間に合う時間には行きます」

「そう? じゃあ、先に行くね?」

「はい。行ってらっしゃい」

 名残惜しそうに額にキスをしてくれた戸上に、小谷は蕩けそうなほどに幸せに微笑んで、ひらひらと手を振った。




 これが、二人の馴れ初めの物語。





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