派遣社員




「え〜。気持ち悪くないですか、そんなの」

 喫煙室の扉を開いてすぐに嫌悪感をもろ出しにした悪口を聞いて、小谷は思わず立ち止まった。

 室内にいるのは意外な高成長を遂げた谷本と親会社のシステム大改修プロジェクトのために社外から一時雇い入れた派遣社員の二人だ。
 信じられないと盛大に顔を顰めて嫌悪感を示す派遣社員の30代男性に、まだ20代後半ほどの谷本は困った表情だった。

「この会社そんなに多いんですか、ホモ野郎って」

 歯に衣着せることなく口悪く非難する男性に、入ってきたのが小谷だとわかっている谷本は少し慌てたようだ。
 社内では同性愛者もあまりその事実を隠さないので誰に聞かされるでもなく覚った男性が、見た目で同性愛者には見えないうえにチームの仲間でもある谷本に確認していたらしい。

 谷本もまた小谷に片想いして玉砕した過去を持っているため批判できる立場になく、何と答えるかと困っているようだった。
 ちなみに、今は可愛い彼女ができて結婚を考えているらしい。

「生理的に嫌悪感があるのはわかりますが、非難するにしてももう少しオブラートに包んでくださいね、田中さん」

 助け舟を出すのは直属の上司であったこともある小谷の役目だと理解して、谷本の代わりに男性の話し相手を買って出た。
 ずいぶん手垢も付いて渋みが増してきたジッポライターで咥えたタバコに火をつける。
 相変わらず強いタバコが好みのようで、値段が上がって本数は控えるようになったものの銘柄は変わっていない。

 子会社化して5年目。
 開発部長としての仕事もこなれてきて、今はシステム大改修プロジェクトのプロジェクトリーダーとして日々忙しくしている小谷だが、公私共に充実しているようでプロジェクト内でも若手に張る元気の良さを発揮している。
 若くして有能な小谷を目標にしている谷本としては、恋愛感情を昇華した今はますます尊敬を深めているところだ。

「部長さん的には何か思うところはないんですかね? 社内に同性愛者がいるなんて、非常識でしょ」

「常識のありかには議論の余地がありますが、少なくとも当社では私的な性癖を取沙汰するつもりはありませんよ。
 男女一緒にプロジェクトに参加していてもそれが恋愛に発展することはまれなことです。同性愛者だって一緒でしょう。仕事に私情は挟みません」

 どうやら同年代より年下に見える開発部長に遠慮する気はないようで、無遠慮と言えるほどの態度を隠しもしない。
 だから派遣社員のままなんだなぁ、と小谷などは感想を持った。
 IT業界で本当に有能な人物であれば、派遣会社に登録するまでもなく個人事業主として独立して仕事をすることは可能なのだ。
 その方が中間マージンも少なくて済むため、社員なんてやってられないと脱サラして個人でその能力を発揮できる職場に契約するエンジニアも多い。
 そうではなく派遣社員で多数の事業所を転々としている経歴は、やはりそれ相応の思想の影響があったわけだ。

 とはいえ、仕事に私情は挟まない、という経営方針はここにも適用されるので、彼がプロジェクトに悪影響でも及ぼさない限りは契約解除するまでには至らない。

「何ですかそれ。会社公認ってわけですか」

「そう取っていただいてもかまいませんよ。ただし、契約どおりお仕事はしていただきます。
 あぁ、そうそう。当社の社員は腹の中ではどうでも一応全員が理解して勤めていますので、あまり吹聴されるとご自身のためになりませんからお気をつけて」

「ふん。どいつもこいつもホモ野郎ってわけですか。腐った会社ですね」

 憤った様子で捨て台詞を吐き、吸いかけのタバコをひねりつぶして喫煙室を出て行く。
 その姿を見送って小谷は肩をすくめた。

「ごめんね、言い過ぎた。仕事やりづらくしちゃったな」

「良いですよ。俺もむかついてたんで部長から言ってもらって助かりました。でも、何なんですかね、あれ。何であぁも口汚く罵れるのか理解できないんですけど」

「自分の意見が何でも常識だって思い込んでるんでしょ。そういう人の方が多いんだよ、世の中は。
 うちの会社が許容範囲広すぎで特殊環境なんだ。同性愛って頭では理解した気になってても生理的嫌悪があったりするものだから、余計に仕方ないよね」

 男女どちらでも恋愛対象にできる、というよりは自覚もなく恋愛対象にできた実績のある谷本には実感がないのかもしれないが、男性しか愛せない小谷は生理的嫌悪感から排除された経験がいくらでもある。
 それゆえに至った結論のようだ。実際に統計を取ってみれば、自分の不利益がなければいくらでも許容できる、という意見が大勢かもしれない。
 だが、実際に排斥されてしまう立場から見れば排斥する側の声が大きすぎるのだ。
 そのため、そちらの意見が大多数であるかのように見えてしまう。

 結局悪口を直接聞かされてしまった小谷が相手方の立場にも理解を示してしまったことで悪口を言うわけにもいかず、谷本ははぁと大きなため息をついた。

「小谷さんはなんだかんだ言っても懐深いですよね。俺も見習います」

「深くないよ。突き放してるだけ。むしろ壁作ってるんだから狭いんじゃない?」

「壁作ってるのは田中さんの方ですよ。小谷さんのは懐の深さが異次元ポケットなんです」

 いまや世界中で有名になりつつある某アニメキャラクターの道具の名前を持ち出して懐の深さを表現するのに、小谷ももちろんその道具は知っているからこそ、くっくっと楽しそうに笑った。
 どんな大きなものでも入る不思議なポケットだが、急いでいるときは欲しいものがうまく出てこずにあれでもないこれでもないといろいろ取り出している姿が笑いを誘う一品なのだ。

「だとしたら、もっと精度の良いポケットにしなくちゃね」

「小谷さん、どこまで進化するつもりなんですかぁ。今でも十分追いつけないのに、勘弁してくださいよぉ」

 意図してそうしているのだろう情けない声に、小谷は機嫌よく笑って返していた。




 喫煙室から戻ってみると、外注先訪問で外出していた戸上が戻っている代わりに問題の田中がまだ離席中だった。
 PCもロックされたまま設計書も放り出されたまま、足元にあったはずのカバンだけが見当たらない。

 おや、と首を傾げて小谷はチームリーダーである安田に視線を向けた。
 彼もまた田中が目の敵にしている同性愛者だが、社内では中途採用三年目にして中核社員だ。

「安田さん。田中さん戻ってきた?」

 声をかけられて顔を上げて、小谷と田中のいた空席を見比べて首を傾げる。どうやら把握していないらしい。
 ならばと隣の席の落合という女性を見下ろせば、落合の方はどうやら気にしていたようですぐに小谷を見上げた。

「さっき戻ってきてすぐにいなくなったんですよ。お手洗いかなと思って」

 戻っては来たようだ。そして、カバンがここにないことを考えると、便所ではなく帰ったと考えるのが自然だろう。
 反対隣の谷本が念のため便所を見て来ると言って出て行く。

 しかし、直属の上司に何も告げずに行方不明になるとは、迷惑この上ない話だ。

「どうした?」

 社長室なるものもなくその端っこに追いやられた社長席から見ていた戸上が心配してやってくる。
 無断退出とはいえこの場で糾弾するのも憚られる内容で、小谷はあっちでと会議室を指差した。
 了解して戸上が先にそちらへ移動していく。チームリーダーとして安田も呼び寄せて、すぐに戻ってきた谷本にも手招きしながら自身も会議室へ移動した。

 会議室といっても背丈程度の仕切りがあるだけで同室内だ。
 話し声は外へも聞こえてしまうため、極力音量を抑えて小谷は戸上と安田に事の次第を説明した。
 とはいえ小谷自身も途中からなので話のきっかけは谷本から説明させる。

 一通り聞いて、なるほどなぁ、と戸上が腕を組んだ。

「てことは、逃げ出したか」

「そうなんでしょうね。仕方がないとはいえ、責任感なさ過ぎて迷惑ですけど」

 身内が相手なら他人をこき下ろすのも容赦がない。
 ここで無責任にも無断退出したりしなければ小谷はもっと寛容なのだが、さすがに堪忍袋の緒ももたなかったようだ。

「とりあえず、派遣元には免職の通達と契約違反の補償要求だな。それと、穴埋め要員を用意してもらおう。
 今度は正社員面談と同様にうちの特性を理解できる人間を雇うように注意してくれ」

「了解です」

 経営者として当然の判断に、判断するという形式が必要だっただけで特異な指示でもなく小谷があっさり了承する。
 一方で、首を傾げているのが安田だ。口には出さないところを見ると私的な感想なのだろう。
 どうしたのかと戸上に問われてさらに首を傾げるが。

「誰を見てそれに気づいたんですかね、と思って。
 仕事中にそんな雰囲気出してるやつ、いないでしょう? 社内でイチャイチャしたりとかもしないし」

「あ〜。それは、俺が口を滑らしたんです。
 昨日なんですけどね。坂上さんご夫婦がランチから帰ってきたのを見てて、毎日同じ野郎とメシ食いに行ってて飽きないのか、とか言ってたんで、あそこのご夫婦はいつも仲良いですよね〜って」

 そこから、同性愛者が社内にいてしかも夫婦扱いされているという前提条件ができたらしい。
 そういう目で見れば怪しい人間はたくさんいるのは確かだ。すみません、と谷本が謝っている。
 相変わらず迂闊な性格は直っていないようだ。小谷は呆れ顔だし、戸上は苦笑してしまっている。

「で、周り見回してみたら怪しそうな人いっぱいいるじゃないですか。まぁ、怪しいも何も本当なんで仕方ないんですけど。それで、気持ち悪いって話になったんですよ」

「本当なのは確かだが、あれはあんまりもてないぞ。老若男女問わず」

「無責任は人間として評価を下げますからねぇ」

「自分に降りかかってこない火の粉に過敏過ぎんだよ」

 人伝に聞いた話だとしても最低評価を下すのに十分だったようで戸上が扱き下ろすのを、安田も同調して頷いている。
 きっかけを作った谷本はさすがに反省しているようだが。

「まぁまぁ。いない人をどうこう言っても仕方ないですし。次に来る人に期待しましょう」

 過ぎたことだとあっさり見切りをつけて旦那を宥める小谷に、三人の視線が集まった。
 そもそも、田中に知らなかったとはいえ直接糾弾された立場だ。
 多少はショックを受けていてもおかしくないのだが、それはないらしい。

「お前はホントに受け流すの上手いよな。こういうのを懐が深いって言うのか?」

「受け流してる時点で懐に入れてないですよ」

 しみじみとした伴侶からの評価に苦笑で返してくる。
 が、ですよね、と同調した谷本がその否定に被せてきた。

「だからね、小谷さんの懐は異次元ポケットなんですって」

「お、良い事言うじゃねぇか」

 先ほどは小谷に否定された内容を繰り返し、戸上の同意を得てようやく満足したように谷本が笑い。
 小谷は本格的に呆れたようで、さらに諦めたように肩を落とすと深いため息をつくのだった。





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