ストップウォッチ




「小谷さん、ちょっと」

 年配の女性の声に呼ばれて顔をあげると、総務の松中が手招きしている。

 親会社からシステム開発部を独立させて子会社化されたこの会社では、総務や経理のシステムは親会社のものをそのまま使用しており、担当者も親会社からの出向だ。
 子育てを終えての再就職でやって来た松中は極めて有能な事務員で、手が足りている親会社でのんびりさせるよりはやりがいがあるだろうと、この子会社で唯一の総務担当として来ていた。

 お陰様でほとんど母親世代の松中に頭の上がらない小谷は、いそいそと呼ばれて行く。
 部長の肩書きにあり得ない腰の軽さだが、社内では普通の光景だ。

 手渡されたのは一枚の納品書。

「これがどうかしました?」

「部長決済の金額範囲内なのは分かりますけど、内容が不適切じゃないですか?」

 経費節減が親会社からの下知で徹底されているため、目に止まったようだ。
 部長決済権限での備品購入のため物言いの対象ではないはずだが、それでも経費として認められない細目は容認してくれない。

 問われて、小谷は逆に不思議そうな顔を見せた。

「なくて困ってたんですよ。ちょうど佐久間くんが不便そうにしてたから、せっかくなんで買いました」

「何のために?」

「むしろ、時間測る以外の役に立つんですか? ストップウォッチって」

 手渡された納品書に書かれている品目は、まさしくストップウォッチだった。しかも、5個。

「なんでシステム開発にストップウォッチがいるんですか、ってお聞きしてるんです」

「むしろ、なんで誰も文句を言わないのかが不思議だったくらいですけど? 必須アイテムでしょうに」

 あまりに自信満々に答える小谷に、問い質している松中の方が混乱してきたらしい。

「必須アイテム、ですか?」

「そうですよ」

 問い返されて頷いて、小谷はいきなりクルリと背後に反転しておもむろに手を挙げた。

「ストップウォッチ、あったら便利だと思う人、挙手!」

 小谷の一声に、作業しながらも全員の手があがる。
 どうやら全員気になって聞いていたようだ。

 さらに反転して元に戻り、ね?と小首を傾げてみせる。

「負荷試験で必要なんです。帳票出すのに、ある程度の時間がかかるのは仕方ないとしても、1秒でも早く出したいじゃないですか。試行錯誤するのに、時間測ってるんですよ。試験の確証にも、測定時間を入れる項目があったりしますしね」

「私はてっきりカップラーメンの待ち時間でも測るのかと……」

「あ、良いですね、それ」

「駄目ですよ!」

「良いじゃないですか。資源の有効活用ですよ」

 年齢不相応に無邪気に笑う小谷に怒りきれず、松中は呆れてため息をつくのだった。




 最近は日中に社内にいることが珍しいほどになった戸上は、今日は久しぶりに日のあるうちに会社に戻って来た。
 社内公認の同性の奥方を遠慮なくタバコに誘って行くのを、なんとも微笑ましく見送られている。

 商談がまとまって上機嫌の戸上に、小谷も社内のささやかな事件として松中とのやり取りを語って聞かせた。
 カップラーメンのタイマーができたよ、と。

「言われてみれば確かに、ないと不便だけどなかなかないツールだよな」

「時間計測して報告しろとかレビューで簡単に言われてるし俺も言ってたけど、そういやあると便利だなぁってふと気づいてさ。
 そう高いものじゃないし。でも、オフィス用品カタログにないんだよ。意外だよね。何でもあると思ってた」

「オフィス用品じゃなくて学校用品だろ。スポーツ用品は当然として」

「そうなんだよね。スポーツショップから通販しちゃった」

「今頃不思議がられてるんじゃないか? 見るからにシステム屋だからなぁ、うちの屋号」

 そうだねぇ、と小谷は改めて気付いたように楽しそうに笑っている。

「時間かぁ。なんか、なかなか良い玩具ができたな」

「玩具?」

「そうそう。色々測るものはあるだろ?」

「試験以外じゃ遊びにしか使えないじゃんさ」

「そう。だから玩具って言ったろ。来週のミーティングでちょっとやってみようか」

「……何を?」

「ストップウォッチ見ないで一分間。社員それぞれの一分の感覚が測れて一石二鳥だ」

「ただの遊びじゃん。確かに興味はあるけど。
 仁科さんの五分が短いのもそうだけど、福井くんの五分が十分くらいなのが常々気になってたんだよね」

 性格のせいも勿論あるだろうが、体内時計を測ってみるという試みは言われてみればなかなか面白そうだ。

「明義の体内時計が妙に正確なのも気になってたんだ。来週が楽しみだ」

 ニマニマとイヤらしい笑いかたをわざとしてみせてそう言う戸上に、小谷は少し頬を染めて脇腹を肘で小突き。

「スケベ」

「自覚あるんじゃねぇか。あんな時までキッカリ十分測れるって、どんな体内時計してんだ、お前」

「企業秘密ですっ」

 今度こそ真っ赤になってそっぽを向く小谷に、戸上は短くなったタバコを灰皿に押し付けながら声を上げて笑うのだった。





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