節電
エアコン温度設定29度。扇風機2台稼働中。
「どっちが電力消費量少ないんだろうねぇ」
団扇をのんびり振りながらのぼやく声に、花井はくすくすと楽しそうに笑った。
ぼやいていたのは年下の開発部長だ。
クールビズを名目に、営業職以外の内勤メンバーには私服を許可している。
Tシャツやタンクトップ、キャミソールといった薄着で勤務をする社員たちを眺めての、感想だった。
服装を薄くすることで体感気温を下げ、空気を回してエアコンの効率を上げ。
それでも冷房禁止にしないのは、この会社がIT企業だからだった。
パソコンの廃熱はかなりの気温上昇要因であり、さらにはあまり外気温が高温では熱暴走してしまう。
30度というラインはどうしても越えられないのだ。
団扇片手にのんびりしている小谷の隣で花井がのんびり笑っているのは、別に仕事が暇だというわけではない。
今年の猛暑による全国的電力不足のため、政府から国内全企業全国民に対して節電要請が出ており、これに対応した節電対策検討会議の真っ最中だった。
節電は冷房の節約のみにとどまっていない。
開発室はパソコンのディスプレイを見るのに必要な光量を確保するために照明を落とすわけにいかないが、めったに使用しない会議室は使用時以外消灯を徹底し、点灯時も半分ほど蛍光灯を間引きしている。
パソコンを使う用事など資料作成とメールチェックくらいという幹部レベルの机が並んだ窓際の席は、これも蛍光灯が間引きされている。
給湯室にはやかんが登場し、常時熱源を必要とするポットは夏の間は使用禁止。
トイレの温水便座も電源を抜かれてしまった。
さらにこの忙しい業界にあって珍しく、残業禁止令が発令されている。 どうしても残業になる場合は準備してある卓上ライトを自分の机に持っていって、暗い中自分の机だけを照らして仕事をするように決められている。
残業せずに納期に間に合わせるにはスケジュール管理能力と個々の能力向上が欠かせないが、必要に応じた人員配置が今のところは功を奏しているようだ。
節電にもっとも力を入れているのは、開発部長である小谷だった。
自宅では営業職であるために夜遅くまで忙しい伴侶に代わって家事を引き受けている小谷は、それだけに主婦的感覚が身についているらしい。
庶民的な節電対策案を次々と発案し、自ら率先して実践の音頭をとっていた。
会議室といっても衝立で仕切られただけの同室内で、今は空気の対流の妨げになるからと衝立も取り払われている。
だからこそ室内をのんびり見渡して団扇なんぞを扇ぎながらぼんやり呟くことも出来るわけだ。
社長の机も室内の端にぽつんと置かれているくらいの開放感あるオフィスなだけに、どこからでも全体を見渡すことが出来る。
したがって、この部屋に三つある扉のうち最もエレベーターホールに近い扉を開けて人が入ってきたのも一目瞭然だった。
それは、吹き出る汗をタオルで拭きながらため息をつく社長その人だった。営業周りから戻ってきたらしい。
小さなシステム開発会社であるこの会社のオフィスは、親会社の本社オフィスビルに入っている。
したがって、オフィスビルのルールは親会社に準拠している。
エレベーターは五階以上の階差がある場合と来客の場合、大型の荷物を運ぶ場合、肉体的に階段での移動が困難であると認められる場合のいずれかに該当しなければ使用不可というルールが定められた。
二台あるエレベーターのうち一台は稼動していない。
そもそも、地下一階から地上六階という総階数七階建てビルでは、五階以上の移動をする人間は限られているのだ。
ついでにいえば、最上階は会社役員や役員秘書の部屋割りとなっているため、利用者が非常に少ない。
そもそも大ボスである親会社社長が率先して六階まで階段で移動しているのだから、部下が従わないというのは出来ない相談だ。
外出から戻ってきた社長は、荷物を自分の机にどかっと置いて、そのまま会議室に移動してきた。
会議室の椅子が不足しているので、マイ椅子持参だ。
わざわざ社長机など用意していない普通のオフィス机とOAチェアを使用しているので、その車輪の回る音は軽すぎるほどだ。
「ただいま」
「おかえりなさい。外はやっぱり暑いでしょ?」
「クーラーついてると涼しいなぁ。極楽極楽」
応えながらも、例年ほど冷やされていない空気で汗がなかなか引かないのをタオルで拭き拭きというところだった。小谷に扇いでもらって幸せそうに目を細める。
「で? どんな感じ?」
これは戸上の方の問いかけだ。この時間節電対策会議をしている予定はしっかり把握していたようだ。
それに対して、小谷が手元の資料を手渡す。
「ここ一週間の電力消費量とここ数ヶ月の電気代請求書にある消費量を比べた資料」
「単純に四倍でも減ってるってことか。十分な成果だな。今年はこの体制で乗り切るか」
「クーラー、もう1度下げたいんだよね。一日動かしっぱなしのパソコンがあっちこっちで悲鳴上げてる」
訴えたのは戸上よりも年上の古参社員である藤倉だ。
三人いる開発部担当マネージャのうちの一人で、個人技能とシステムに関する知識量ではダントツの人物である。
そのかわり、多少オタク系のにじみ出た言動と融通の利かないこだわりに対する頑固さから出世が遅れていた人だ。
うるさいくらいのモーター音を周囲に撒き散らしているパソコンが点在しているのは確かで、それは考慮の余地ありだった。
大事な商売道具を犠牲にするほどの節電では意味がない。
業務に支障をきたさずに乗り切るための会議である。
「じゃあ、来週は試しに1度下げてみるか。それでまた様子を見よう」
1度下げた程度では焼け石に水かもしれないが、しないよりはマシである。
全員が頷いて、会議は散会となった。
出席者が三々五々散っていくのを見送って、戸上は隣に残った小谷に視線を向けた。
「どうした?」
問いかけに言葉では答えず、タバコを咥える仕草をしてみせる。
ついでに首を傾げるからその姿が妙に可愛らしくて、戸上は苦笑しつつ頷いた。
苦笑する理由の大半は、ようやく汗が引いたばかりでまた屋外へ出ることになったせいだ。
社内禁煙を徹底しているオフィスビルには二階ごとに喫煙室を設けられていたのだが、節電対策と称してこの喫煙室を閉めてしまったのだ。
かわりに、喫煙者たちは非常階段に灰皿を置いて炎天下で喫煙していた。
唯一の救いは物流会社故の大型トラック集積地であるために生じた広大な敷地のために、隣にビルが接していないことである。
となりのビルの空調室外機が目の前、などというオフィスビルも腐るほど存在することを考えれば、随分と恵まれている。
喫煙にやってきたのは小谷と戸上の他、最近喫煙習慣が復活してしまった花井もだった。
「戸上家は家でも節電?」
「そうなんですよ。ハナさん、聞いてください。この暑い中、帰宅後一時間しかクーラー入れてくれないんですよ、うちの嫁さん。後は窓全開で扇風機のみ」
「うへぇ、頑張るなぁ」
いかにもバテバテな感じに感心して答える花井に、うちの嫁さん呼ばわりされた小谷は軽く肩をすくめるのだが。
「だって、夜はさすがに30℃下回るじゃないですか。部屋に篭った熱を下げたら後は外気温で十分ですよ」
「うーん。うちの嫁と同じこと言うんだなぁ。さすが主婦?」
「婦、じゃないですよ、俺」
むっと不機嫌を示すように唇を尖らせてぼやく小谷に、戸上と花井が顔を見合わせて楽しそうに笑う。
「けど、家庭の節電も良し悪しだよな。暑いから嫁さんが家の中で薄着でいるだろ? 自宅だからって結構遠慮なく肌蹴るからなぁ。すげぇそそられるんだ、これが」
「わかりますわかります。でも暑いからって嫌がられるんですよねぇ」
「そうそう」
お互いほぼ同時期に結婚している新婚同士。どうやら意気投合したらしい。
同じ男性ではあるが妻の立場が身に染み付いてしまっている小谷はというと、このケダモノどもめ、と呆れて見ているだけだ。
何はともあれ。辛抱の暑い夏はこれからが本番。
「二人とも、せいぜい奥さんに逃げられないように自制してくださいねぇ」
熱を放出するために開放的にならざるを得ない分、気持ちまで若干開放気味の二人に、他人事のように忠告の言葉を投げる小谷であった。
途端に二人から同時に抗議の声が上がったのは言うまでもない。
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