人事




 その日、外回り営業から戻ってきた戸上は珍しい光景を目撃した。

 小谷が自分のデスクでパソコンに向かい、頭を抱えていた。
 じっとモニターを見つめているところを見るに、何やら悩み事のようだ。

 定時を過ぎて一時間もするとだいぶ閑散とする社内で、上司はさっさと帰るべし、をモットーとしている小谷が居残っているのは実に珍しい。

 ただいま、と声をかけると社内のあちこちからおかえりと返事がある。
 つい最近独立した親会社からの習慣で、挨拶は徹底した教育がなされている結果だ。

 その声に気づいたようで顔を上げた小谷が、おいでおいでと手招きをした。

「おかえりなさい、社長」

「はい、ただいま。何か問題?」

「そこそこ問題。中途募集したいんですが、どう思います?」

 つまり、従業員の頭数が足りない、という話のようだ。

 実際のところ、子会社化してからは運輸業に拘らず営業をかけているおかげもあり、同業界別会社の基幹システムなどといった広い分野の受注が増えている。
 完全なシステム開発専門企業よりも、運輸業に関わる企業経営にマッチしたシステムを必要とする時に痒いところに手の届く提案ができるのがこの会社の利点だ。

 しかし、確かに子会社化したこのタイミングで受注は増えていて現在人手不足だが、人員を増やすのならばさらに先の受注見込みも勘案する必要があり、安易に増員に踏み切れないのも事実だ。
 一斉に受注が発生している分、波が引いたときが予測できない。

「外注とか派遣とかではダメか?」

「そこで困ってるんですよ。欲しいのは、もっと上流工程ができて全体的に目端が届いて進捗管理が的確に行える、リーダークラスなんで」

「あぁ、お前が抜けた分か」

 それは困ったな、と戸上も腕を組んだ。
 外注するにも派遣社員を雇うにも、上流工程を任せることはできるのかもしれないが最終的な決定権を持てるのはやはり社員のみで、どうしても社内に一人以上の管理者が必要になる。
 その人員が社内に不足しているわけだ。
 年次の若い社員の教育として仕事を回すにしても、複数のプロジェクトをこなせる能力的な余裕のある人員はすでにめいっぱいに使い切っていて、サポートするような余力がない。

 ならば新しい人材を雇い入れれば、となるわけだが、それだけの経験を持つ人材はなかなか流出しない上に、ステップアップを望んでいる人がほとんどであるために希望収入額もまたそれなりだ。
 社長職ですら年収六百万に届かない弱小企業であるこの会社で、希望に沿うのはなかなか難しい。

「転職コンサルに声かけてみるか」

「じゃ、こっちで対応しときます。希望としては、ハナさんベースで良いです?」

「年収は少し下げて出しといて。次回昇給時に考慮の方向で」

 了解です、と軽く答えて、小谷がパソコンに向き直る。
 自分の仕事を始めてしまった小谷にこれ以上ちょっかいも出せず、戸上は自分の机にカバンを置くと胸ポケットに手を当てながら部屋を出て行った。




 小谷が喫煙室に来たとき、戸上と花井が真剣な表情で話をしていた。
 どうも、先ほどの経験者を中途採用したいという件を聞いていた花井が何やらきづいて忠言を呈しているようなのだが、そもそも花井は喫煙者ではないしどうしたのかと首を傾げる。

 その喫煙者でなかったはずの花井の手には、吸いかけのタバコが一本。

「あれ〜? ハナさん、タバコ吸う人でした?」

 何だか真剣な雰囲気を気にせずに声をかければ、二人から苦笑が返ってきた。

「小谷君が入ってくる前の年までは禁煙に苦労してたんだよ、俺」

「初期メンバーでヘビースモーカーっていえば俺じゃなくてハナさんの名前が挙がってたくらいだからね。随分久しぶりではあると思うけど」

「頭パンクしそうになっちゃってさ。もう俺、いっぱいいっぱいだよ」

 現在、プロジェクトリーダーになっている案件にプラスして、若手二人に任せたプロジェクトのサポートと外注した案件の窓口の三件を抱えている花井である。
 しかも、新規顧客への提案のための資料作成やプレゼンなども小谷と手分けしてこなしているおかげで、プロジェクト化していない分も含めれば常時五〜六件の案件を抱えている計算だ。

 こんな花井の現状が、花井だけでなくベテランSEの五名全員に当てはまっているのだから、人材がほしいと小谷が思うのも無理のない話だ。
 中でも花井は小谷に信頼されている分忙しい人筆頭なのだが。

「それで、何のお話をされてたんですか?」

「あぁ、うん、そうそう。新しく人を入れようって話だろ?」

「俺と明義の話がネックになるんじゃないか、って心配してくれたんだよ」

 言われた途端にきょとんと目を丸くした小谷だったが、それが何を指しているのかしばらくして思い当たる。

 そもそもこの会社は、社長と開発部長が同性愛カップルである事が公認されている。
 現在の社員はそれで納得しているかも知れないが、今後の新人には同性愛に生理的な嫌悪を覚える人は相応しくないだろう。

 けれど、小谷の反応はあっさりしたものだった。
 なんだ、そんなことか、ということのようだが。

「大丈夫ですよ。面接するときにズバリ聞いちゃうつもりですから」

「それは、会社にダメージにはならないか?」

「ん〜。その程度のダメージで再建不能に陥るほど柔な会社ではないと自負してますけど、違います?」

 言われて、戸上と花井は顔を見合わせた。
 確かに、親会社が基盤のしっかりした優良大会社であるのとこれまで積み重ねた実績は、その程度の醜聞ではびくともしないに違いない。
 そのために、というわけではないが、足元のしっかりした会社作りには心血を注いできたのだ。

 それに、と小谷は胸のうちに納めてあった作戦を披露する。

「実は、二丁目に声をかけてこようかと思ってるんですよ」

「二丁目って……新宿?」

「えぇ。同性愛者だっていうだけで職を失ったり会社を転々としてたりするSEさんってけっこういるんですよ。声かければちょっと条件悪くても喜んで来てくれると思います」

 学生の頃に無茶をした名残なのか、彼氏同伴でちょくちょく遊びに出かけているおかげなのか、意外に界隈では顔の広い小谷だ。
 思い当たる伝手があるのだろう。

「任せて良いのか?」

「せっかくなんで、一緒に行きましょうよ、戸上さん」

「そうそう、旦那も一緒に行って、良い人見つけてきてよ」

 頼むよ、と切実に訴える花井に、戸上は渋々、小谷ははっきり、頷いた。




 営業から戻ってきてそのまま喫煙室に来ていた戸上は先に仕事へ戻り、花井はもう一本箱から出して火をつける。
 その花井に、小谷はそそっと近寄っていった。

「そういえば、外注さんの窓口って田中さんじゃなかったでした?」

 確かに仕事の集中している花井だが、他のメンバーより仕事が集中している分、それぞれに専任の担当者をつけた案件のサポートとして割り振っていたはずで、今持っている三件の案件にしてもメインは一件で他二件はそれぞれに若手の担当者が配置されている。
 若手二人がメインで開発中の案件については基本設計と進捗管理が花井の仕事でそれなりに重いが、外注した案件については若手教育のために窓口を専任で若手に回し、進捗の確認と相談の受付くらいの楽な仕事のはずだった。

 それが、今現在電話などで問い合わせを受けているのは主に花井で、専任だったはずの田中は花井が持っているメインのプロジェクトでのコーディング作業しかしていないようなのだ。

 小谷の指摘に対して、そうなんだよねぇ、と花井は疲れた様子で肩を落とした。

「最初は田中さんに窓口を任せてたんだけどね。
 田中さんって若手の女の子で口調とかもおっとりしてるから、こっちの足元見られてるんだよね。
 こっちから提示した仕様とまったく違うシステム出してきやがって、しかも直しを要求したら仕様変更だって追加料金請求してきやがってさ。
 最初にこっちで基本設計出してるんだから、逸脱した納品物出してきたら直しを請求するのは当たり前だろ?
 埒が明かないから俺が出てく破目になったわけよ」

「今回が初めての外注先でしたっけ?」

「いや、前は栗田さんのところで使ってたはず」

「あぁ、栗田さんは声もメールも迫力ありますもんね」

「中身はバカ丁寧で大人しい人なんだけどね、ドスが効く人なんだよね」

 それにしても相手によって態度を変えるとは、仕事を舐めてるのかとしか思えない態度だ。

「今回を最後に切っちゃいましょうか」

「栗田さんの意見も聞いといて。俺はこれ以上付き合いたくないけどね」

 そういう花井も普段は実に人当たりもよく温厚な仏様のような人なのだ。
 その人にここまで言わせる外注先と長々と付き合っていくメリットはあまりない。
 今は取引先まで影響していないが、今後問題があってからでは遅いのだ。

 花井には慎重な意見を述べられたものの、小谷の中では今後の対象外リストに早々に書き加えられた。
 とはいえ、担当者が若くて大人しい女の子であればどこの企業でも大なり小なり手を抜かれる可能性はある。
 となれば、やはりもっときっぱりはっきりした担当者をこちらに用意していく必要があるのだろう。

 そういった意味でも、今回の中途採用は大事な意味を持つはずだ。
 気を引き締めて採用活動に当たらなければならない。

 が、小谷自身採用活動など初めての経験だったりするのだが。

「小谷君、戸上君とはうまくやってる?」

「……突然何ですか、ハナさん。おかげさまでラブラブな毎日を過ごさせていただいてますが」

「そっか。いや、そうやって惚気られるなら心配ないんだ。ただ、ほら、最近俺、帰りが遅いだろ? うちの嫁さんが機嫌悪くてね」

「あ〜、うん、そうですよね。
 ハナさん近頃頑張りすぎです。もっと若手に仕事振っちゃってくださいよ。俺の手が空いてたらヘルプ入りますし、声かけてください。あんまり抱えないで、ね?」

「そうだな、うん。頼りにしてる」

 元々、こうして自分ひとりで抱え込んでしまう癖さえなければ小谷より出世が早かったはずの花井だ。
 小谷が開発第一線から退いたことで癖が表面化してきているのだろう。
 こうして愚痴を言ってくれると対策のしようもある。

 そう考えれば、社員一人ひとりとのコミュニケーションもまた、開発部長となった自分の仕事なのだろうな、と気を引き締める小谷だった。





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